10人め「靴磨き小僧とポテトサラダ」
客たちに注文された料理が行きわたり、サガミとシプラはようやくひと息つけた。
ところがそこへひとりの少年がやってきたのである。
茶色い靴みがきの道具箱を肩から下げた、水色のシャツと茶色のパンツという質素な身なりの少年は、近づいてきたシプラに話しかけた。
「ここって安くて美味いものが食えるって、本当?」
「ええ。品物によるけど、安いものは多いですよ」
見るからに年下の少年相手でも、シプラはていねいに対応する。
彼女の笑顔をまぶしそうに見ていた少年はある問いを発した。
「この格好でも店に入れる?」
彼が心配したのは、二等住居区の店でも客にそれなりの服装を要求するところがあるからだろう。
「ええ、どうぞ」
シプラは笑顔で彼を店内に招き入れ、あいている席まで案内する。
まず少年は無料で出された水に目を丸くして、大げさに感心した。
「いやー、こんな美味い水をタダで飲めるなんて、思ってもみなかったよ」
「こちらが献立表になります」
シプラがにっこりと献立表を出すと、少年は困った顔をする。
「悪い、俺、文字を読むのが苦手なんだ。読んでくれない? 安い料理から順番に」
恥ずかしそうにもじもじしながら頼む彼に、彼女は安心させる天使のような笑顔でうなずく。
一等住居区の民ならばいざ知らず、二等以下の民は文字の読み書きが苦手なのは珍しくない。
それで靴みがきの仕事が務まるのか、というのは野暮であろう。
「ええ、いいですよ。水がいっぱい二ロルグ(約二百円)、ポテトサラダが二ロルグと五シラ(約二百五十円)、かけうどん、たこ焼きが三ロルグ、お好み焼きが四ロルグ……」
「えーっと、じゃあぽてさら? とかいうやつ」
大きな声で少年がシプラの読み上げをさえぎる。
「はい。ポテトサラダですね。かしこまりました」
シプラが下がってサガミに注文を伝えようとすると、ひとりの客が彼女を引き留めて話しかけた。
「あんなガキ、放り出した方がこの店のためなんじゃないの?」
「あら、そんな悪いことを言うお客さん、店主に永久凍土まで投げ飛ばされちゃいますよ?」
彼女は口元こそほころばせていたものの、緑の目はまるで笑っていない。
「お、おう……」
客は己の失敗を悟り、もう何も言わなかった。
しばらくして白い丸皿にたっぷり入ったポテトサラダが、少年の前に出される。
「な、何だこれ……これがぽてさらだ?」
「ええ、そうです。ジャガイモ、ハム、タマネギ、きゅうり、ニンジンを使っていて、塩、コショウ、マヨネーズがかけられています」
シプラが簡単に説明すると少年はきょとんとした。
「まよ……何だ? よく知らないけど、美味いの?」
「うちのお店はどれも美味しいですよ? 合う合わないは仕方ないと店主はおっしゃいますが」
シプラはにっこりと笑ったが、何とも表現しがたい迫力があり、少年はたじろいでしまう。
「ごちゃごちゃ言わずに食えよ、ぼーず。シプラちゃんはとびきり可愛いけど、怒ったらとびきり怖いんだぞ」
近くの席にいた中年の男性が、彼をたしなめる。
「う、うん」
少年は慌てて銀のスプーンに手を伸ばす。
ポテトサラダをおそるおそる口の中に入れ、咀嚼すると表情が明るくなる。
「お、美味い。よく分からないけど、ハムとニンジンが美味いし……後は何だろ? よく知らないソースもいけるね」
彼はジャガイモとキュウリとタマネギが分からなかったらしい。
「よく分からないけど美味いって、何だそりゃ」
近くの中年男性が麦酒のグラスを片手に笑う。
「う、うるせー、だって細かいことなんて、わからねーんだもん」
少年は赤くなりながら、ぷいっと横を向く。
「それでいいじゃないですか。みんながみんな、料理に詳しい必要はないですよ」
シプラがうれしそうな顔で彼の肩を持つ。
「お、シプラちゃんはそいつの味方するのかい?」
離れた位置にいる中年女性の問いに、彼女は隙のない笑顔で応じる。
「私は美味しいとおっしゃるお客さん全員の味方ですよ?」
「あー、はいはい。シプラちゃんは店員の鑑。店主さんは果報者だね」
客たちは好意的な笑い声を立てた。
「ああ、私にはすぎた店員だよ」
顔を出したサガミは真顔で言い切ったため、客たちからは拍手と歓声が起こる。
「て、店主」
シプラは頬を朱色に染め、困ったように上目遣いで彼に言う。
「お言葉はありがたいのですが、みなさんの前ですよ」
「おっとすまなかったな」
彼女は案外恥ずかしがり屋な一面があるということを、サガミはようやく思い出す。
ふたりきりで言うならばまだしも、人前で言われたくないということだろう。
「くそう、仲いいなあ」
男性たちの何人かは悔しそうにする。
「普通はもう少し店主が照れたり、素直になれなかったりするもんじゃないかい?」
別の誰かの発言に、サガミは笑いながら応じた。
「普通は逆だとよく言われるよ。すまないね」
「うわー、余裕たっぷりに切り返された」
客たちは何やら敗北感を味わったらしく、うなだれてしまう。