1人目「商い志望者とかけうどん」
光都ルーメンにある一軒のメシ屋は、英雄と呼ばれる男が店主であることと、変わった料理を出すことが武器である。
ただし、決して繁盛しているとは言えない。
「客がなかなか来ないな」
店主が嘆くように言うと、従業員のシプラが笑顔ではげます。
「そういう日だってありますよ。いつ来てもいいつもりでいましょうよ」
光都でも有名な美少女の笑顔は、まさに「百万ロルグ(約一億円)に勝る価値がある」と言われるものだ。
朴念仁の店長は純粋にはげましに感謝する。
「ありがとう、シプラ」
礼は述べたものの、気持ちは晴れない。
シプラがいれば彼女の顔を見たい若い男がやってきそうなのに、なかなか来ないというのが理由だ。
しばらく待ってようやく、店の入り口のドアが開いて鈴がちりんちりんと鳴る。
「いらっしゃいませー」
シプラが笑顔で出迎えると、入ってきた商人風の若い男は彼女を見てまぶしそうに目を細めた。
十代半ばと思われる顔立ちに気の強そうな緑のまなざしは多くの若い男にとって魅力的だろう。
白いシャツと赤のコックネクタイでは隠し切れないふくらみもある。
「こちらへどうぞ」
男が座るとガラスのコップに入った水と献立表を彼女が並べる。
「え、水は頼んでいませんが」
男が困惑してシプラに抗議すると、彼女は笑顔で説明した。
「当店ではご来店いただいたお客様に、飲み水いっぱいを無料で提供させていただいております」
「えっ? 水がタダで飲めるのですか?」
若い男は目を丸くする。
「はい。光都広しと言えども、このサービスがあるのは当店のみだと自負しております」
シプラは精霊種の特徴である長い耳を動かしながら胸を張った。
「たしかに……生まれて初めて聞いたサービスです」
男はしきりに感心しながら、コップに手を伸ばす。
おそるおそるという態だったのは、味が不安だったからだろう。
ひと口飲んで目を見開き、ごくごくと飲み干してしまった。
「いやー、美味い! この水美味いですよ! これ、タダで出しちゃっていいのですかっ?」
「ええと、二杯めからは有料になります……」
興奮で頬を紅潮させた男に、シプラは申し訳なさそうな顔で説明する。
「一杯につき二ロルグ(約二百円)ですね」
「これなら十ロルグを出しても惜しくはないです! 水がこれだけ美味いなら、食べ物にも期待できますね!」
と褒めちぎって期待を示した男に、店主が話しかけた。
「うちのサービスを聞いたことがないって、もしかして光都の外から来た人ですか?」
「え、そうです。ここで商売をはじめようかと思って……」
「そうなんですね、頑張ってください!」
シプラが笑顔で話しかけると、男の頬が真っ赤になる。
どうやら若くて美しい女性に対する免疫が乏しいようであった。
しばし彼女に見とれたあと、彼はようやく自分がまだ注文を出していないと思い出す。
そそくさと献立表を見て、すぐに青い目に困惑を浮かべる。
「えっと、かけうどん、たこ焼きって何でしょう?」
「かけうどんは麺類で、パスタの親戚みたいなものです。たこ焼きはたこを粉で包んで焼いたもの……とでも申しましょうか」
シプラが説明すると、男は勇気を出したような顔で言った。
「じゃ、じゃあかけうどんをひとつ」
「ありがとうございます」
注文が入ったところで店主が作業をはじめる。
ほどなくして黒い椀に入って湯気が立つかけうどんを、シプラが運んできた。
「おまちどうさま。かけうどんです」
男が見てみると色のついたスープに白い麺が入っている。
「これがかけうどん……スープスパゲティみたいなものかな?」
ついてきた日本の長い棒の使い方が分からなかったため、木のフォークを手に取った。
パスタやスパゲティを食べる要領で口に放り込む。
ついでに木のスプーンを使い、つゆも味わう。
「あ、美味い。パスタやスパゲティとはずいぶん違う気がするけど、これも美味しいです。スープもいけます」
男は相好を崩しながら感想を述べる。
「そうでしょう? 美味しいでしょう?」
シプラは自分が褒められたかのように喜ぶ。
「は、はい」
男は店がはやっていないことを何となく察し、店主に聞いてみる。
「失礼ながら、やっていけているのですか? お昼どきなのに、客が私ひとりのようですが」
店主は苦笑しながらも、この地で商売の後輩となりそうな男に本当のことを話す。
「厳しいな。私は補てんする方法があるから、まだ店をたたまなくてもいいだけだ」
「店主がサガミ・ハリマではなければ、とっくにつぶれてますよね、このお店」
シプラが悔しそうに唇を噛んだが、男は目を剥いた。
「サガミ・ハリマッ? 百頭龍退治や、大国の姫君救出で有名なっ?」
「本人だよ。証明しろと言われてもいきなりは難しいが」
店主サガミは己の知名度を誇示することなく、おだやかに言う。
「し、失礼しました」
男は金を置いてそそくさと立ち去る。
立地が悪いわけではなく、非常に美しい看板娘がいて、味も悪くない店がはやっていない理由に気づいてしまったのだ。
「何も逃げなくても……まったく、百頭龍を退治するのは簡単だが、店を繁盛させるのは難しいな」
「普通は逆ですよ、店主」
シプラが苦笑しながらため息をつく店主に言う。