CDプレイヤーの妖精
まず目に入ったのは床に並べられた長方形のカード、だった。今回の場所は多目的室のようだ。開けられた窓からは春の心地よい風が流れてくる。
「今日もよろしくね、CDプレイヤーさん」
小学校の制服を着た女の子が、僕に向かって声をかけた。ただし、その瞳は僕を見ていない。
僕はCDプレイヤーの中に住んでいる妖精だ。人間達が音楽や音声の曲順をランダムにして流したいとき、その順番を選んでいくのが仕事。他にできることはない。
プレイヤーの上で足をぶらぶらさせつつ、彼女が「再生」のボタンを押すのを待つ。カチリ、と小さい音を立てた途端、低い人の声が流れ出した。札と呼ばれるカードの前で正座をした彼女の目が鋭くなる。
「はいっ……」
彼女の手が動く。小さく床が音を立てる。
「やった、またちょっと速く取れた……」
――彼女が「百人一首」というカルタをやり始めて、どれくらいになるだろうか。僕は毎日違った教室で目覚め、彼女に音を届けている。そんな時間と彼女が、僕は大好きだ。
「あーあ、せめてもう二人、いや一人居てくれたら、もっと楽しいんだけどなあ……」
次の音声。腕が動く。寂しそうな笑顔に、心がうずく。
札に書かれている「句」もしくは「歌」というのは五、七、五、七、七音の言葉でできているらしい。後半の十四音が並べられたカード、札に書かれていて、前半の言葉を聞いて札をとるゲームのようだ。一対一でするもの、大勢でするもの。いろいろ種類はあるらしいが、どちらにせよ一人ではできない。それでも彼女は、毎日僕を起こしている。本当にカルタが好きなのだろう。
次の句。すぐに手が動く。彼女の好きな歌なのだ。一瞬だけ姿を見せた友達にあれは本当にあなただったのだろうか、と寂しさを見せる歌。
「ルリちゃん……」
彼女の顔は晴れない。
以前、僕を起こしに来る女の子は二人だった。真剣な表情でカードを見つめ合っていた。それがいつの間にか一人になっていた。
「お買い物のときに見たあの子、本当にルリちゃんだったのかな。カルタ、もうやめちゃったのかな……?」
悲しそうに次の札をとる彼女を見るのは、何回目だろうか。いつからか僕はこの歌を聞くたびに音量を調節するボタンに向かって走るようになっていた。しかしこの体の大きさが故に、いつもたどり着けずにいた。百首歌が流れきると、彼女はカルタを箱に戻して帰ってしまうのだ。
僕にできることは少ない。彼女に僕の姿は見えないし、声は聞こえない。できるのは、録音された音声を流すことだけだ。
「……それでも」
プレイヤーの上で立ち上がり、走り出した。すぐに息が切れる。どんどん歌が流れていく。九十八首目に滑り込むようにしてたどり着いた。が、僕の小さな手では押すことができない。でも。
「それでも僕は、彼女の役に立ちたいっ」
助走をつけて大きくジャンプをし、ボタンに飛び込む。カチ、と音がして、一つ音が大きくなった。九十九首目が流れる。後は、あの歌しか残っていない。
「えいっ、えいっ、えいっ」
何度も飛び跳ねる。足が衝撃でがくがくと震えているが、気にしない。続ける。
「……ん、音量、おっきくなった?」
もうすぐ、次の句が始まる。
「――ながらへば またこのごろや しのばれむ うしとみしよぞ いまはこひしき――」
低い、滑るような言葉が、最大音量で彼女の耳に届く。歌の意味は知っているはずだ。
「つらかった思い出が今はこんなにも恋しく思えるように、最近の日々もいつか懐かしく思える日が来るのだろうか……だっけ」
――確かに、友達がいなくなったのは悲しい。でも、前を向いて欲しかった。何にもできないが、何かをしたかった。
プレイヤーの冷たいボディが気持ち良い。荒い息をしつつ、音量と流れ狂う歌に驚いて呟きを漏らす彼女を見た。僕の思いは、届いただろうか。
その時。
「……あの、廊下歩いていたら百人一首の歌が聞こえてきたんだけど……あなた?」
音楽室の入り口に、彼女と同じくらいの女の子が居た。知らない子だ。唐突に現れた少女に、彼女は戸惑う。
それでも、
「……う、うんっ」
と返事をした。
ふわりと春の風が彼女たちを包む。
何もできないCDプレイヤーの妖精である僕。再び二人になった少女たちを見つめながら、今日も僕は自分にできる事をする。
さて、次はどんな言葉を選ぼうか。




