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八、イワナガの素顔


「あ、あれっ? えっ? い、イワナガさん……? ここは」

「ここって……私の家だけど、いつの間に帰って来たの」

「いえ、僕もそれがよくわからなくて……。探していたひとを見つけたんですが、何を仰っているのかよくわからなかったですし……」

「探し人? ああ、こちらへ来た時、言っていたわね」

「はい、お山の奥深くまで進んで、このお山に蔓延る瘴気のもとも突き止めました。その近くにいらっしゃって、連れて戻ろうと思っていたんですが……」

 ヤシマジヌミは首を傾げる。そしてもう一度、自分の置かれた状態とさっきまでのできごとを思い出してみた。

 

 お山の奥深くで見つけたのは、どす黒い瘴気の集まる何かだ。あれがお山を穢す原因で間違いない。

 その真っ黒な瘴気から、現れたのは、ずっと探していたひとだった。

 瘴気から出てきたということからしてすでにヤシマジヌミの常識を越えている。ヤシマジヌミにしてみれば、お山にはびこる瘴気は生物にとって有害な脅威である。その中から何の影響も受けずに出てきたなんて、あの翡翠の瞳のひとは何者なんだろう? 少なくとも異国の者であることはわかっているのだけれど。


「……。それで、探しているというひとは見つけたのね?」

「はい。でもそのひと、何だか奇妙なことを言っていました。危ない場所にいたのに体調を崩していらっしゃるふうでもありませんでした。あんなに強い瘴気に当たっても平気だなんて、僕には信じられません」

「見つけて……ここへもどってきてしまったのね」

「そうです。でも僕、自力でここまで戻ってきたわけではないんです。気がついたら、イワナガさんのお屋敷の中に入っていました。ごめんなさい、履物もぬがずに」

「いえ、いいのよ。それより、探しているひと……連れて来るのではなかったの?」

「は、はいっ! そうです! ごめんなさい、もう一度行ってきます! 今ならまだ……」


 突如、イワナガの家の窓から、強い風が吹き抜けた。窓はとじていたはずなのにいつの間にか開かれ、風一つないよい天気がどういうわけか荒れていた。

 強い風はなおも吹き続け、家屋をがたがた揺らす。


 その風が、ヤシマジヌミに掟を破らせた。



 風はするりとイワナガのかぶっていた布を払いのけ――――



 彼女の顔をヤシマジヌミの前にさらした。



「……あ」


 ヤシマジヌミは、間抜けた声しか出せなかった。


 イワナガの顔を、ヤシマジヌミは偶然にもその目に映してしまった。


 彼女の顔の形は、全体的に角ばっている。鼻や頬の輪郭は鋭く、尖った岩のようだった。

 色素の薄い目は落ちくぼみ、乾いた唇と牙にも似た歯が規則正しく並んでいる。

 

 何が起きたか、イワナガには一瞬わからなかった。

 だが、常に目深にかぶっているローブが脱げていることに気づいた途端、ヤシマジヌミから顔を背ける。ローブがめくれただけだというのにその所在がわからぬほど彼女は動揺していた。膝にかけていた布を慌てて頭にひっかぶせた。

 肩が微かに震え、細い手は顔を覆った布を決して手放さない。


 ヤシマジヌミは何も言えずにいる。お山を下りるまでの間、イワナガの素顔を絶対に覗かないという約束を破ってしまった。

 その約束をわざと破ったつもりはない。ヤシマジヌミは、一度交わした契約と約束には忠実な性格だ。強いていうなれば、突如として吹いた不自然な風が、ヤシマジヌミをそうさせた。



「……。見たわね」

「あ」

 ヤシマジヌミは約束を破ったうしろめたさから、言い訳もできなくなっていた。

「あれほど言ったのに。強く強く、言ったのに……」

「えと、あの……」

「よくも私に、恥をかかせたわね」

「ご、ごめん、なさ」


 イワナガがすっと立ち上がる。ヤシマジヌミの横に立てかけられた棍を、ぱっと掴んだ。

 そしてそれを乱暴に振り回し、ヤシマジヌミへと振り下ろしていった。


「出て行け。出て行け!」

「わ、うわ」

 その場しのぎの布から覗ける瞳には、殺意の入りまじった激怒がこもっている。

 棍を振り回す姿に冷静さはない。怒りに狂って、ひたすら掟を破った男を叩き潰そうとしていた。



「出て行け、でてけぇっ!!!



 今まで聞いていた落ち着きのある澄んだ声は、どこにもなく。


 耳をつんざく金切り声が、ヤシマジヌミに刺さっていく。

 彼女にほんの少し恐怖した彼は、下ろしていた荷物を拾い上げる余裕もない。


 肩や背中を棍で打ち据えられる。置いてあった花瓶を投げつけられて、反射で避ける。

 飛び散った破片が腕や顔にかすり、ヤシマジヌミを切った。真っ赤な血が、ぱっとイワナガに飛んだ。


 どれほどヤシマジヌミに暴力を振るったんだろう。彼女は体力の続く限り、棍を振り回し、物という物を投げつけた。

 ようやく落ち着いた頃には、彼女は息を整えるのに精いっぱいだった。


 振り乱された髪や怒りに震えた口元を、ヤシマジヌミは恐怖と既視感でもって見つめていた。


(……あれ?)

 恐怖を抱くのはわかるが、どうしてこの状態に懐かしさを覚えるのか。


 彼女に追い回されるまま、イワナガの家から出ることになってしまった。


 少しの食料と仕事道具を詰めた袋と、母からの棍を残して。

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