六、ヤシマジヌミ,翡翠のひとを見つける
その日も、次の日も、また次の日も、またまた次の日も、ヤシマジヌミはお山の浄化にあたっていた。お山で暴れる獣たちを棍で叩きのめすのがほとんどだ。しとめた獲物は、食材としてイワナガの住処へ持ち帰る。毛皮や角を持った獣たちならば、それらをはぎ取っていく。外套になったり武器となったり様々な用途に用いられる。ヤシマジヌミの生活費は、おおむねそれらでまかなわれる。
とりあえず、狩った獲物の素材はイワナガの屋敷へ置いてもらい、お山をおりるときに村や街で売ることにしよう。
そうして狩りという名のお山の浄化を連日繰り返している間にも、翡翠色の瞳の者を捜し続けていた。かれこれ数日経つというのに、ヤシマジヌミは翡翠色のあのひとの足取りを掴めずにいる。
隠れているんだろうか。危険度最高単位の瘴気が満ちるこのお山では、うかつに動くのはかえって危険である。助けが来るのをじっと待っているのが一番賢いやり方だ。
だがヤシマジヌミは疑問を持っていた。曲がりなりにもお山に詳しい自分が、何日もかけて丹念にお山を調査しているのに、最初に出会ったときを除いて一度も会えないというのはいくらなんでもおかしい。
考えられるのはひとつ。翡翠色のひとは、ヤシマジヌミを避けて行動しているのだ。
(でも、そうだとしたら……僕を避けてまでお山にい続ける理由は何なのでしょう)
さきほど狩った、瘴気に呑まれた獣の毛皮を袋につめる。袋を肩に担いで、足取りしっかりとお山の中を探索していく。
ぐわあぐわあとしわがれた鳥の鳴き声が空から降って来た。黒い瘴気をまといつかせた野鳥が、木々から飛び立ったのだ。
生ぬるい風が肌にまとわりつく。太陽が木々に隠れているせいで、昼か夜かもわからない。
時々、不意をうって暴走した獣がヤシマジヌミに襲い掛かるが、ヤシマジヌミはすぐに察知して棍で撃退した。
このお山の中をこうして探索している間、ヤシマジヌミは強い既視感に襲われ続けていた。
お山の名前自体は、父スサノオの依頼で赴くよりも前に聞いていた。お山の存在そのものはわかっていた。
だけれど、瘴気に覆われた木々に触れたり、ざくざくと音を立てる地を踏みしめたり、空を見上げたりしていると、どうしようもなく懐かしい気持ちになるのだ。
(僕は、遠い昔にここへ来たことがあるんでしょうか? でもそんな覚えないですし……うーん、頭がおかしくなってるのかもしれません。お山を下りたら、お医者さんに行きますか)
ヤシマジヌミは頭をとんとんと叩いた。
足下には、無数の虫が蠢いていた。よくよく観察すると、ヤシマジヌミの進行方向へと這っているのがわかる。
「……ん?」
足元から目線を上げると、風が前方へ吸い込まれているのを肌で感じた。
目の前には、いつの間にか黒い渦が待ち構えていた。ヤシマジヌミより一回りおおきな渦が、風や虫を誘い込んでいる。
この先に、このお山を穢れで満たした元凶がいるのだ。
生暖かいはずなのに、急に寒気がしてきた。気温が低くなったせいではない。本能が、恐怖を味わっているんだ。
「ここなんですね……」
誰にともなくつぶやいた。数日間お山の中を回り続けてようやくたどり着いた場所だ。
黒い渦の中へ入れば、おのずと元凶を掴み取ることができるだろう。
だが、それを掴んで滅ぼさなければ、渦の中から出てくることはできない。自分の腕には確固たる自信を持っているが、それが今度も通用するとは限らない可能性も、ヤシマジヌミにはわかっていた。
一旦引き返して、イワナガのもとへ帰ったほうがいい。イワナガには、お山で狩りをしてくるとだけ伝えてある。いつごろに戻るなどの言葉は交わしていない。ただ、「行ってきます」「気をつけてね」と、当たり前のように言葉を贈り合っただけだった。
(このまま踏み込んでもいいかも知れませんが……焦っては禁物ですね)
ヤシマジヌミは賢かった。渦を放置することで及ぶ被害も考慮したが、自分が焦ってことを仕損ずる場合の被害の方が大きいと冷静に判断した。
(目印か何かを作って、もう一度ここへ来て、万全の準備をして来るとしましょうか)
ヤシマジヌミは傍らのやせ細った樹を目印とさだめた。腰にさげている道具入れから朱色のリボンを取り出し、枝に結び付ける。風で吹き飛ばされるかと思われたそれは、存外強く枝にしがみついてくれていた。
「よし。それでは、今はこれ、で……」
ヤシマジヌミは言葉を切る。思わず目を疑った。空いた口がふさがらない。
黒い渦から、誰かがひとり出てきたのだ。這い出るでもなく引き摺ってでもなく、暖簾をくぐるようにあっさりと、当たり前のようにそこから出てきた。
人が簡単に出入りしてきただけでも驚きなのに、ヤシマジヌミをさらにあっと言わせたのは、出てきた誰かというものが探しびとであったことだ。
純白の装束に象牙色の髪、澄んだ翡翠色の瞳をした、男か女かわからない、異国のそのひと。
「きみは……」
ヤシマジヌミがそうこぼすと、そのひとと目が合った。