五、玉の見せたお山の外
ヤシマジヌミは、お山の浄化と自分の怪我が治るまで、イワナガの家に泊めてもらうことにした。
自由に動けるまで二日もかけてしまった。今まで骨折したことは何度かあったが、ここまで時間を要するのは今回が初めてだった。お山の瘴気の影響もあるんだろう。微量の瘴気が自分にふりかかり、本来の自然治癒力を鈍らせているんだ。
三日目に怪我が完全に治癒した。これまで厄介になった礼と、ヤシマジヌミは家の外へ出て狩りを始めた。山の獣を狩ったり山菜や木の実を集めたり、食材をイワナガに持ち帰った。
瘴気に溢れたお山に生息する獣は、もちろん瘴気の影響を受けている。ゆえにその体は毒をはらんでいるといってもいい。ヤシマジヌミはそういった毒や穢れにもともと強いためか、さばいて調理した獣の肉を食っても腹痛さえ起こしたことがない。後で聞いてみたら、イワナガはそういった獣の毒を抜いて調理ができるらしかった。
瘴気に呑まれた獣を狩ることで、お山の浄化を促すことができる。それは微々たるものだが、お山の住人の安全を守る手っ取り早い方法である。
ヤシマジヌミの浄化方法は、おおむね獣の狩猟に尽きる。獣を狩り続けていくことで、瘴気の根源へたどり着くことができるのだ。
狩りをしながら、ヤシマジヌミは見失ったそのひとを探していた。異国風の顔立ちをした白衣の者。男か女かわからないから、彼とも彼女ともいえない。
(異国の方は、日本特有の穢れに弱いと聞きますし……見つけてから三日以上経っていますし……早く見つけて保護しないと、瘴気に呑まれてしまいます)
ヤシマジヌミの不安は、その一点だった。
つい保護に焦る彼を、「急いては事をし損じるわよ」とイワナガが落ち着かせた。お山での狩りもそこそこに、探し人を結局見つけられなかったヤシマジヌミは日が暮れる前にイワナガの家へ戻った。
「それに、貴方の目撃情報からして、迷い込んだという風ではなさそうだし、だとすると自分からこのお山に入った可能性が高いわ。このお山の瘴気が濃くなり始めたのは半年前からなの。危険なお山だとわかっていながら入ったのだから、ある程度の対策はしていると思うの。心配しなくても大丈夫よ。落ち着いて探せば見つかるわ」
「そう、そうですね……。少し焦ってしまっていました」
「そうよ。……ほら、これでも食べて落ち着きなさい」
そういうとイワナガは、一杯の椀を差し出した。ヤシマジヌミの狩ってきた肉や採った山菜を材料に煮込んだものだ。
ヤシマジヌミはそれを受け取って一口すすると、自然と冷静さを取り戻した気がした。
「ふぅ、あったかくてとても美味しいです」
「ありがとう」
するすると汁物を飲んでいると、奇妙な感覚がよぎった。ヤシマジヌミはその味を知っている。母の味とは違うのだけど。
「どうしたの? お口に合わなかったかしら」
「いえ、そんなことはないです。何か、初めて食べた気がしなくて……」
「……。知り合いの味付けに似てるんじゃないかしら」
「そうかもしれませんね。でも僕、この味大好きですよ」
「……ありがとう」
イワナガが、そっぽを向いた。
「あ、ひとつお聞きしていいですか?」
「何かしら」
「お山を下りて、街で買い出しとかはしないのですか?」
「あまり行かないわ。だいたいのものは、ここででもそろえられるから」
「そうですか……。このお山に来る人々は、どれくらいいます?」
「それほどいないわ。一年にひとりかふたり訪れた、いい方かしらね」
「え、そんなに少ないんですか?」
「……。ここはあまり人が近寄らないからね」
「こんな寂しい所におひとりだとは……怖くはないですか」
「慣れてしまったわ。それに、あなたが感じるほど退屈でもないのよ」
ほら、とイワナガが何かを手のひらに乗せてヤシマジヌミに見せた。
ん? とヤシマジヌミは身を乗り出す。そこには小さな水晶玉が乗せられていた。
「この玉はね、お山の外を映してくれるの」
「外……? あっ」
イワナガの持つ玉の内部が、すうっと白い煙に包まれた。煙が晴れると、その中には町と思しき風景が映し出されていた。
「これは……」
「出雲の、須賀あたりかしらね。どうやら、またもめごとが起こったみたい」
「……え?」
ヤシマジヌミは玉をじっと凝らして視る。
小さな球体に映し出された光景は、彼の気持ちをしずませるものだった。
ヤシマジヌミの故郷である須賀の人間や国つ神々が、高天原から下って来た天つ神々の厳しい叱責にひたすら耐えている。どうやら、期日までに納めるべき税や供物が不足していたらしい。
天つ神々は地上の神と人間を明らかに見下している。対等な立場に置いていない。地上の住人達は誰も、天つ神と目線を合わせようとしないのだ。相手は天上の神々であり、自分たちはとうてい叶わないような存在なのだからと。
「須賀が……」
「今に始まったことではないけれど、視ていて気持ちのいいものではなかったわね。ごめんなさい。この玉はね、見たい場所を自由に観ることができないの」
「いいえ。須賀は、僕の故郷です。でも僕が須賀へ帰ってきた時は、ちっともそんな筈じゃなかったのに」
ヤシマジヌミは故郷の真実を覗き見たことを少しだけ後悔していた。
「そう……。きっと、あなたの住んでいたところは幸運だったのかもね。玉から察する限り、今や地上は高天原の支配下にあるもの」
「忘れていました。僕はたまたま運がよかっただけだったんです。それ以外の中つ国は、もう……」
ヤシマジヌミは中つ国じゅうを旅していた。旅の道で目にした光景は、今うつされている須賀の地とほとんど変わらない。
今や中つ国は高天原に支配されている。対等というものはない。いつもどこかで天つ神の監視の目が光っているのだ。
ある程度の自由は与えられても、其れ以上に追わされる義務が重すぎる。食い物や金銭などでの課税に天つ神々への捧げもの、夫婦の契りに勉学の自由すら天上の許しがなければ得られない。
だけど、とヤシマジヌミは反発する。
自分が視て来た中つ国は、高天原は、決してこんなはずではなかったと。
「これは、夢なんでしょうか。こんなこと考えるのは失礼だと思ってますが、イワナガさんの見せた幻覚だったらどんなにいいかって、今はそればかり思ってます」
「……。私もよ。これが私のいたずらだったら、あなたにとってこれほどない救いでしょうね。でもね、現実なのよ。……ごめんなさい。戯れに見せるべきではなかったわ」
「いえ、いいんです。僕こそごめんなさい、ひどいことを言ってしまいました」
「いいのよ。それなら、これでおあいこにしましょう。また明日から、仲良くしてもらえると嬉しいわ」
「もちろんです。あっ、でも顔は見ません、約束ですからね」
顔を隠したイワナガから、ふっと笑いが漏れた。