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三、ヤシマジヌミ,白衣の者を見つける

 父スサノオから受けた依頼を確認したヤシマジヌミは、この件を引き受けることにした。

 機関で出されていたその依頼書に必要事項を記入し、正式にスサノオの依頼を受け取った。


 結界が張られているという話のそのお山は、近づいてみればたしかに瘴気が漏れていた。それもわずかな量ではあるものの、質としては非常に厄介だ。あの瘴気の濃度は、最高単位の危険度であろう。結界が破れて瘴気がすべて漏れ出た場合、近隣の村がまず犠牲になる。人間たちを病におとしめ、獣たちを異形に変える。最初の段階でこれらを食い止めておけば、被害も最小限にとどめることができるだろう。


 須賀で一晩過ごしたのち、ヤシマジヌミは件のお山近くの村へ寄った。その村に置かれている機関でスサノオの依頼を受けた後、茶屋で団子を食べてからお山へ入った。その時はまだ昼だった。


 昼だというのに、お山へ近づくと薄暗くなった。雲が陽を隠しているからだろうか。あるいは結界が光を吸い込んで消しているからなんだろうか。

 ざわざわと風に吹かれた木々が鳴り、小さな獣たちはお山に向かって威嚇する。一歩ずつ近づいていくと、ヤシマジヌミの肌がひりひりした。

(入れるんでしょうか)

 お山の入口に立ち、そう考える。

 ヤシマジヌミは試しに路傍の石を前方へ投げてみる。石は何かに弾かれあらぬ方向へ飛んだ。転がった石を拾い上げてみる。石は弾かれただけで、損傷自体はない。つまり、この結界は触れたら弾かれるが、大きな痛手を負うことがないのだ。


 肉眼で結界は確認できない。透明色ではあるが、空間が陽炎のように揺らいでいるから、ヤシマジヌミには見抜くことができた。


 無謀とは知りつつ、ヤシマジヌミはその結界に、素手で触れてみた。古びた手袋をはずして結界に触れると、ばちんっ、と勢いよく弾かれる。

「いっ、てて……」

 雷に触れたような痛みが一瞬だけ手に奔った。ヤシマジヌミはもう片方の手でさする。右手から少しだけ、赤い血が流れた。

 揺らいでいる空間に、一滴赤い点が浮かんでいる。結界にもヤシマジヌミの血がついたのだ。


「……あれっ」

 ヤシマジヌミは目を見開く。血のついたポイントを中心に、結界がふにゃっ、と開いてしまったのだ。身をかがめれば何とか自分ひとりは入る程度の小さな抜け穴である。

(い、いやいや! 間抜けな考えをするのは入ってからにしないと!)

 ヤシマジヌミは急いで抜け穴に入り込む。結界ははりついた血が消えると自然にふさがった。それを見たヤシマジヌミは胸をなで下ろす。わずかな隙間から、危険度最高単位の瘴気が微量でも漏れてしまったら、お山近くの村に被害が及ぶ。瘴気が漏れ出る前に結界が修復されたのは不幸中の幸いだった。


(気を取り直して……進みますか)

 ヤシマジヌミは手袋をはめ直し、一歩前へ進んでいく。

 


 歩を進めていくたび視界が悪くなる。ぼろきれの外套(マント)で全身を包んではいるものの、冷たい風が隙間から体に入り込んでくる。

 鳥の禍禍しい鳴き声が空の上から降って来た。そっと頭上を見上げると、黒々しい鳥たちが空を優雅に飛んでいった。

 心臓を捕まれているような感覚がする。ずっと昔、肝試しで連れていかれた深夜の森を思い出した。背後から何かがひたひたついてくる気配、早まる鼓動、幼い頃の記憶がおぼろによみがえる。


 このお山はおかしい。今までのお山とどこか違う。

 全身に、常に恐怖がつきまとう。同時に懐かしさまで込みあげてくる。なぜなんだろう。このお山に入るのは、今日が初めてのはずなのに。


「……あれ?」

 ヤシマジヌミは、ぴたっと足を止めた。

 奥へ奥へと進んでいったその先に、人が立っていたのだ。



 ヤシマジヌミに背を向けていたその者は、こちらに気づいて振り向いた。


 象牙色の長髪は、指を通して見たくなるほどさらさらしている。純白の装束に汚れなど一点もなく。

 どこまでも透き通る翡翠色の瞳がこちらを射抜く。

 整った顔立ちは中性的で、一瞥しただけでは男か女か判断しかねた。


(……きれい、です。でも、日本の方じゃ、ない……?)


 翡翠色の瞳が一瞬揺らいだ。ヤシマジヌミと目が合った瞬間、何かに驚いたような気がした。

「えっと……その、」

 ヤシマジヌミはかける言葉が見つからない。ただ一つ、ここにいては危ないと告げなければ。このお山から避難させなければならない。

「あっ、えと……って、あれっ」

 その者は踵を返して奥へと進んでしまった。こんな危険なお山の深くに踏み込んだら危険だ。

 ヤシマジヌミは慌ててその者を追う。伸び放題の草をかきわけて走っていくことに夢中で、気がついたときには、追っている相手が消えていた。――見失った!?


(僕としたことが! こんな初歩的な大失態を犯すなんて!! あの方はどこに行ったんでしょう……。急いで見つけないと!)

 異国風のその者を探し出す焦燥にかられたせいで、恐怖も懐かしさも消えていた。

 愛用の棍をぐっと握り締めて、我を忘れたように自分もお山の奥へ進んでいく。



 それが命とりだった。


 ふっと、一歩足を前へ進めると。


 その先の地面の感覚が――消えた。


「え」


 ようやく我に返って足元を急いで見やる。

 そこに地面はなく。


 かなり高い崖から、自分は踏み外していた。

 ぐらっと揺れた視界には、急な流れの川が一瞬入る。鋭い岩石がちらほらと渓流に逆らい、立っていた。そこに体のどこかをうちつけたら痛いじゃすまない。神は物理的な痛みで死にはしないが、痛いものは痛い。


 だがもう遅い。右手から紺がふわっと離れる。踏み外してバランスを崩したヤシマジヌミは、渓流へとまっさかさまに落っこちた。


(油断、していました……ッ!!)


 がんっ!! と背を強く打った。喉まで何かがせり上がって来る。幸い、受け身を取ったおかげで頭だけは無事だった。長年の経験が本能を思い起こさせた。


(棍が)

 相棒の棍が、だんだんと離れていく。右手を伸ばそうとしても、届かない。

 意識が混濁し、ヤシマジヌミはとうとう意識を投げ飛ばした。

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