二十、その心迷いまよわず
「ち、チル……!?」
ヤシマジヌミは後ろを振り向く。
チル姫のふくよかな胸に、薄くて鋭い何かが突き刺さっているのだけが、痛いほどにわかった。
光り輝くそれは、シャルラの術で創りだされた剣だろうか。表面は半紙ほどの薄さなのに、折れるようなやわさではなさそうだ。
その刃がチルの胸を貫いていた。ぬかった、とヤシマジヌミは悔やんでも悔やみ切れぬミスをした。
シャルラの攻撃は、すべて自分に集中しているものだと錯覚していた。自分が前に出て棍を振るい続ける限り、チルは安全だといつの間にか思い込んでいた。
その思い込みが命とりとなってしまった。
シャルラは最初から、ヤシマジヌミを一気に潰すつもりがなかったんだ。
後方からヤシマジヌミを支援するチルこそ最も厄介だと判断し、先に後ろを片付けることにしていたのだ。ヤシマジヌミはそれに気づかなかった。
獣を大量に創り出して捨て駒としてヤシマジヌミへ送り込むことで、ヤシマジヌミの集中は獣たちに注がれる。
最初から、獣は囮で、いくら創り出してそのたびに葬られても、シャルラにとっての損害は大したものではなかったのだ。
(チル……)
ゆっくりと後方へ倒れて行くチルを、ヤシマジヌミは見ているしかできない。
チルと一瞬目が合った。ヤシマジヌミの驚愕と焦燥にかられた表情に大して、チルは極めて落ち着いていた。
彼女の唇が動く。にっこり微笑んで、子供にさとすように、ヤシマジヌミに告げる。
『だいじょうぶ。だから、すすんで』
ヤシマジヌミの目は、その言葉をはっきりと読み取った。
だがヤシマジヌミは一瞬迷う。シャルラの術がチルを貫通していた。いくら八百万の神といえど、重症は避けられない。
シャルラに背を向けチルを救出すべきか。チルを背にシャルラを殴りに行くか。
(……いいえ)
ヤシマジヌミは決断した。チルの言葉を信じようと。
ほんの少しの間に生まれた決断であった。だけれどヤシマジヌミは何度も何度も繰り返した。
この選択肢でいいのか? 間違ってはいないか? どちらを取るのが最善だ? 何を信じれば勝てるのだ?
そう思いを巡らせて、至った結論は簡単だった。
――将来のお嫁さんの言葉を信じなければ、お婿さんになる資格もありませんねっ!!
それだけで腹はくくられた。
棍を握り締め、一歩二歩でシャルラとの距離を詰めていく。獣の妨害も気にしない。どうせすぐ傷は治る。
チルが大丈夫だと言ったのだ。ならばチルを心配する必要はなにもない。
自分がすべきことは、一刻も早くシャルラを葬ることだ。それがチルを守ることにもつながるのなら、チルの言葉を信じよう。
シャルラの目が少し揺らいでいる。思惑が外れたからだろうか。だけど構うものか。相手が立ち直れずにいるのはこっちにとって有利である。
握り締めた棍の感触を思い出す。どこにでもいい、シャルラにこの一撃を打ち込めば、それですべてが終わる。
チルを守る。お山を助ける。瘴気を祓う。本当の歴史を取り戻す。
ヤシマジヌミの眼差しに、今までののんきで柔和な影はすでになく。
獲物を射る狩人の如く鋭くなっていた。それは父であるスサノオの怒気にも勝るとも劣らない。シャルラが歯を食いしばっている。歯ぎしりかもしれない。
獣の牙と爪がヤシマジヌミを裂き、拳が肩や腹、足を打ってくる。鈍い痛み、鋭い痛みが走るけれど、ヤシマジヌミはそれも無視する。いずれ治るのだから気にしてもしかたがない。
「最後です!!」
ヤシマジヌミは棍を横へと大きく振りかぶる。右手に渾身の力を込めて、左足を地面に踏ん張らせて、左手を添えて、回る様に棍をふりかざす。 一撃を、この一撃だけでいい。シャルラを打ち砕くための一手になればいい。
いや、一手にするのだ。目の前の敵を、討ち取れ! そう自分に言い聞かせて、ヤシマジヌミは思い切りぶん回す。
棍が横に薙がれた。鈍い感覚が、ヤシマジヌミの右手に伝わって来る。棍の宝石部分が、シャルラの胴を捕らえていた。
ぐふっ、とシャルラがむせ、バランスを崩してふらつく。片足は宙に浮いていた。創りだされた獣たちの形が、歪んだ。シャルラの精神がぐらつくと、獣たちも存在が歪むらしい。
棍を薙ぎ切る。シャルラを向こうへと吹っ飛ばすと、右腕と左足にかかっていた重みが一気に消えた。振り切ったことで、ヤシマジヌミの体も大きく回る。
脅威を、撃った。ヤシマジヌミは、為すべきことを、一つ成功させたのだ。




