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十三、記憶に消えた思い出

 幼い頃の、遠い記憶だ。


 その日、自分は父と母に連れられて、静かなお山に足を踏み入れた。


 お山にはたくさんの鳥や獣たちが楽しそうに暮らしており、木々はせわしなく風に揺れていた。

 葉が太陽の光を遮っているためあたり全体は暗かったが、ヤシマジヌミはこのお山が好きだった。


 お山の主である神は豪快で大柄で、体の大きい父スサノオでさえかなわないほどだった。


 主は自分たちを歓迎してくれた。大きなお屋敷に招き入れ、いきのいい食材や澄み切った酒をふるまってくれた。

 スサノオと主は、すぐに仲よくなった。


 それを傍らで眺めていた自分に、お山の主が声をかけた。

 自分と同じほどの年の娘がいるから、お屋敷の近くで一緒に遊んでくるといいと言ってくれた。大人たちの会話で退屈している子供の心をすぐに察知したんだろう。ヤシマジヌミは、喜んで娘を連れてお屋敷の外へ出た。


 主には二人の娘がいた。姉は大人しく控えめで、妹は活発で元気だった。

 ヤシマジヌミは二人と仲良く遊んでいたが、どちらかというと物静かな姉の方に惹かれた。

 同じ年ほどの子供とは思えないほど大人びていて、周りの空気がいたく澄んでいた。その空気に当たると、とたんに心が落ち着く。

 その雰囲気を読み取った妹は、『おばさまのところに行ってるね』とお屋敷に戻って行った。


 しばらくして、ヤシマジヌミは姉と一緒に落ち葉を拾ったり木の枝で城をつくったり、のんびりと楽しんでいた。


『ここはいいお山ですね』

『そう? お父様のお山だから、そうなのかもしれないわね』

『はい! 僕も父さんも母さんも、ここへ来てからとても気持ちがいいんです』

 元気に答えるヤシマジヌミを見て、姉姫はふっと笑いをこぼした。

 

 そうして半月、ヤシマジヌミは両親と一緒に、お山で過ごした。大人たちはそれぞれの持ち場で働いていた。傍らで、妹姫はクシナダの手伝いをし、姉姫はお山の主の着物を繕った。ヤシマジヌミは薪拾いへと父に連れられた。時折姉姫と落ち葉拾いをして山にしたり、木登りしてお山の遠くを眺めたりした。


 ある日、いつものように落ち葉で山を作っていたときのこと。

『サクヤはいいなあ。あんなに明るくて』

『どうしたんですか? 急に。サクヤさんのこと、嫌いなんですか?』

『嫌いじゃないわ。羨ましいの。あんなに元気で素直で。お山の獣や神々はね、みんなサクヤの方を可愛がってるの。私、暗いから誰も近づきたくないんだわ』

『そんなことないですよ。チルだってとっても素敵じゃないですか。サクヤさんのように明るくはないですけど、チルはとっても優しくて静かで……えっと、こういうとき、なんていうんでしょう? みりょくてき、でしたっけ? 母さんから教わった言葉なんですけど』

 上手く言葉にできずうーんと唸っているヤシマジヌミを、姉姫チルは心底驚いたような表情で見つめた。

『そう思う? 変に思わないの? 暗くっていじけてて』

『暗くないです。いじけてるようにも見えません。チルの隣が一番好きです、僕』

『……。そう、嬉しい』

『ん……? わっ、チル、どうしたんですか? どこか怪我をしましたか!?』

 ヤシマジヌミが慌てふためくのも無理はない。急にチルが泣きだしたのだ。大声を張り上げるでもない、嗚咽をぐっとこらえている静かな泣き声ではあったが、チルが感情をむき出しにするなど今回が初めてだったのだ。


『な、泣かないで下さい、チル……。えっと、痛いところはどこですか?』

 つとめて優しく問う。チルは静かに首を横に振った。

『け、怪我してないわ……。ちょっとびっくり、しただけ……。そんな風に言ってくれるひと、お父様とサクヤ以外には、いなかったから……』

『チル……。おねがいです、泣かないでください。ど、どうしましょう、僕、父さんに似て泣いてる人を慰めるのがそんなに得意じゃないんです』

『大丈夫よ。すぐ、落ち着く、から……。……』

 すんすんと鼻をすする音がしては落ちていく。おろおろと見守っていたヤシマジヌミは、困り果てていた。


 こんな時、何て声をかければいいんだろう。

 迷いながらも、ヤシマジヌミは正解を導き出した。


『あっ、そうだ! 僕、大きくなったら、チルをお嫁さんにします!』

 子供じみた約束だった。だけど彼は真剣だった。

 女の子をそれほど知らないから、チルが一番魅力的な女の子だと勘違いしたのかも知れない。結婚という約束を、簡単に見ていたかも知れない。


 だが、ヤシマジヌミは本気だった。大人になったら――せめて、父くらいの背丈になったら、チルをお嫁として迎え入れようと決めた。所詮は子供心に過ぎなかったが、ヤシマジヌミは心からそう思っていた。


『ほんと?』

 泣いていたチルが、顔を上げた。涙でぬれた顔を、ヤシマジヌミは指で拭う。

『ほんとです。今は小さいからできませんが、大きくなったら、絶対にチルをお嫁さんにします。約束します、忘れません!』

『約束よ? 忘れては、駄目だからね……?』

『はい! 忘れません。もし忘れてしまったら、意地でも思い出して見せますから』

『それ、つまり忘れるってことじゃない』

『あれっ、そうですね。ではなんていえばいいんでしょう……』

『……ぷっ。ヤシマは、へんなひとね』

『んむ、すみません……。でもよく言われるんです、変な子だって』

『でもね、私、そんな変なヤシマが好きよ。ヤシマのお嫁さんになれたら、きっと毎日が素敵だろうなって感じる』

『そうですか? えへへ、チルに言って貰えてうれしいです』

『うん。……ねえ、ほんとに約束してくれる? お嫁さんにしてくれるって』

 チルが改めて問う。


『もちろんです! 約束します。大きくなったらぜったいに、チルを迎えに来ます。そしてお山の主様に、チルを僕に下さいって言います』

『……。ありがとう、ヤシマ。約束ね』

『はい、約束です』


 そうしてふたりは手を取り合った。


 小さい頃の記憶が、ヤシマジヌミのもとへとかえってきた。

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