阿呆物語(ジンプリチシムスの冒険)Der abenteuerliche Simplicissimus グリンメルスハウゼン作 1669年発刊 試論ドイツ近代小説の金字塔
ドイツバロック文学最大の傑作、いや、私に言わせれば、近世ヨーロッパ文学小説最大の傑作がこれである。
それまでのロマンピカレスクの流れを汲んではいるが、それをさらに深め、人生とは何か、どう生きるべきか、世の栄枯盛衰の実を見通し、最後には透徹した悟りの境地にまで、高めたのは、このグリンメルスハウゼンしか居ない。
そもそも、ピカレスクとは、身寄りのない少年が、召使としてさまざまな主人に仕え、世の荒波有為転変に翻弄されながら、次第に世間知を身につけ、したたかな、青年となり、波乱万丈の人生を送るという、滑稽本の体裁をとりつつ、実は人生への深い悲観から描かれたものなのである。
「ラサリーリョトルメスの生涯」などに代表されるスペインが発祥であった。
グリンメルスハウゼンはこの形式を踏襲しつつ、舞台をドイツ30年戦争当時に設定し、ドイツバロック的世界観から、現世の人間のむなしさ、そして、求むべきは、永遠の生命であり、内面の悟りであるとの主張にもとずいて主人公ジンプリチシムスの滑稽なあるいは悲惨な冒険の数々を描いていくのである。
大長編小説であるからあらすじを書くだけでも、大変だが、原本全6巻の長編、岩波文庫の3巻本で邦訳されているのでそれを読んでもらうしかないが、今は多分絶版であろう。
これは空前絶後というか、それまでのちゃちな滑稽本を凌駕しつくし、かつ、後世の小説、たといえば、
ゲーテの「ウイルヘルムマイステル」などのさきがけをなすものでもある。
一面これは絶妙なる、ビルヅンクスロマン(教養小説)でもある。
ピカレスク小説、例えばのちの「ジルブラース物語」(1715年刊)では、主人公はただ、悪賢くなるだけで、そこに、精神的な発展もないし、もちろん、悟りもない、
ただ、面白おかしく人生裏街道の椿事や、アバンチュールが繰り替えされるだけである。
しかし、このジンプリチシムス(単純な人間)はさまざまな冒険、色恋沙汰、戦争の惨禍、人の醜さ、はたまた放浪遍歴、仕舞いにはなんと日本にまで流れ着き冒険を繰り広げるのである、しかしやがて、大冒険の果てに
人間は永遠の魂を持つ尊厳なる存在であると悟り、一人静かに山にこもり隠者となって、
越し方を回顧、反省するのである。ここで第5巻が終わる、しかし、その1年後、グリンメルスハウゼンはこの、俗世を捨てて、隠者になるといういかにもおきまりの結末に飽き足らず、第6巻を刊行するのである。
そこでは、隠遁生活に飽き足らない主人公は再び、巡礼の旅に出て、運命の計らいで、南海の孤島に漂着し、そこで神に使えながら、自然を友として、自然生活をすることで、自然の恵みを知り、生きる喜びを知るというところで結末としている。
後の啓蒙主義を先取りするかの結末となっている。
たとえば、フランス啓蒙主義のボルテールの小説「カンディード」は直接、「阿呆物語」の影響は云々できないにしても、主人公がそれこそ、世界中を冒険しつくして、そして最後の結語は、「さあ、それより私たちの畑を耕そうではありませんか」で終わるのである。
この小説、、阿呆物語が有形無形に後のゲーテや、ロマン派に与えた影響は計り知れないものがある。
その意味からも、阿呆物語は最重要な小説であるといえるだろう。