メイド
クラリーネ様は女神だと思います。私は女神様のご尊顔を存じてはおりませんが、おそらくこの方のように圧倒的な美貌を兼ね備えているのでしょうね。ですが、この方にお仕えすることの出来る果報者の私は、もはや女神さまに現を抜かすことはないでしょう。私の恩人であり、ご主人様であるクラリーネ様。これからは末永く、このセレスをお使いくださいませ!
「私、男って嫌いなのよね」
「はい……」
「野蛮で、毛深くて、まるで知性を感じられない。同じ人間として認めたくないの」
「はい……」
「私の言っている意味、わかる?」
「申し訳ございません。私はどうしたらよろしいのでしょうか」
クラリーネ様は美しい金色の髪を弄りながら、ソファーでくつろいでおられます。もちろん私は床で正座です。かれこれ一時間は経ったでしょうか? そろそろ私の足も限界に近づいています。あ、もうダメッ!
「セーレース? 誰が動いていいって言ったの?」
「クラリーネ様、お許しください……あ、足が痺れてっ……」
「へぇ、セレスってばもう私に逆らうんだ? あーあ、せっかく許してあげようかと思ったのに、これじゃあもっと調教しなくちゃいけないみたいね、セレス、ちゃん?」
クラリーネ様は、本当にクラリーネ様なのでしょうか? 私が男だと知った後、彼女は私に罰を与えました。ひとしきりそれを堪能した彼女は、今度は私にこう言いました。口をにんまりと曲げて、まるでそれは悪魔の囁き、美しい悪魔の誘惑でした。
「セレス、私の前では女でいること、約束出来る?」
その結果、私は、娼館でいたころとさほど変わらない格好をしております。いえ、あの衣装は冬であるのに薄手ですぐに破れるような布でしたが、こちらは比較的丈夫にできていますし、とても暖かいのです。暖かいのですが、やはり一部がスースーします。この感じは私が男であるため、一生感じる違和感なのでしょうね! 絶対に慣れたくはありませんが。
「セレスのメイド服、とっても似合っているわ。あなた、いっそ女になったらどう?」
クラリーネ様はそう言って私の下半身へ向け、手でハサミのポーズを取りました。クラリーネ様……わ、私は、クラリーネ様のためならばっ! どのような命令にも従う所存です! ですが……! ですが……! それは、あんまり、あんまりではありませんか?
「あ、こらセレスったら泣かないの、全く……男の子なのに情けないわよ!」
肝心な時には、私は男の子扱いなんですね。いえ、もうどっちでもいいんです。私はクラリーネ様の召使い、ただそれだけなんです。男にも女にもなれるんです! ほら、見てください、このスカートのフリルを! ヒラヒラです。ヒラッヒラです。
「身長も私より低いし、手足もほっそいわねあんた……。女装させた私が言うのもなんだけど、とても男には見えないわよ」
「うう……気にしているんですから、おっしゃらないでください……」
クラリーネ様は、美貌だけでなく体躯もしなやかで、女性としては完璧としか言い様がありません。(セレス視線)一方私は、身長でいえば大体一五〇センチほどしかありません。クラリーネ様と大体二尺ほどの差があり、正直、情けないやら、悲しいやら……。
「まっいいわ。とにかく私の前で男の姿なんて見せたらお仕置きよ。さっきみたいなことが二度もあったら……分かっているわよね?」
「はい、二度と愚かなことはしません。ですから鞭をどうかおしまいください後生ですから」
一度した失敗は二度とするな、と前のご主人様からキツく言われておりました。次に同じことをしてしまったら、さすがのクラリーネ様にもきっと愛想を尽かされてしまいます。ですが、クラリーネ様、私も、とても恥ずかしゅうございました。それだけは心に留めてほしいのです。
「あーあ……色々あって眠気も失せたわ。でもそろそろだと思う」
「はい? 何がでしょうか?」
クラリーネ様は私の質問には答えませんでした。そのかわり、しばらくすると戸口
から控えめにノックをする音が聞こえます。お客様でしょうか?
「セレス、開けてあげて。紹介したい人がいるの」
言われるがままに私は素早く家のドアを開けました。いらっしゃいませ、初めてのお客様! 私は、溢れんばかりの笑顔でお出迎えをします。
「誰ですかあなたは?」
現れたのは――――メイドでした。それも、とびきりの美人さんです。私は思わず口を開けたまま立ち尽くしてしまいました。それを不審に思ったのか、メイドさんは途端に私へ敵意の眼差しを向けたのです。
「不審者! クラリーネ様に何をした!?」
「え? 違います! 私は、クラリーネ様の召使っ!」
「嘘をつくな! どこの馬の骨とも分からない輩を、クラリーネ様がお雇いになると思っているのか!? 答えろ、クラリーネ様はどこだ!?」
メイドさんは持っていた荷物を投げ出し、私に向かってどこから出したのか、一筋の短剣を持ったかと思うと、私の喉元へ 突きつけました。それはまるで訓練された暗殺者のような手口です。あっと言う間に私は地面へ倒されてしまいました。何が起こったのかまるで理解出来ません。
美しい緑玉の眼をめいいっぱい見開き、メイドさんは焦燥した声で、再び同じ言葉を繰り返しました。その度に私は、召使いです、クラリーネ様はソファーで笑ってらっしゃいます! と訴えたのですが、まるで聞く耳を持ちませんでした。
「プクク……ルーネ、もう十分よ。その子は私の専属のメイドにしたの。あなたの後輩よ。色々教えてあげてちょうだい」
ようやくクラリーネ様はお声をかけてくださいました。私の喉が、掻き切られる寸前で! お恨み申し上げますクラリーネ様。
ルーネさんと名乗る方の疑いがようやく晴れ、私は開放されました。一瞬、亡くなったお母様のお顔が見えた気がしました。そちらではお元気でしょうか? 私は死にそうになりました。
※
「……大変失礼しました。セレスさん。このルーネ、一生の不覚です。どうぞ煮るなり焼くなり好きにしてください」
「そ、そんな、謝らないでください。私こそ、分をわきませず、あ、すいません。頭が高いですねっ! はい」
ルーネさんは、青いみがかった美しい髪を垂らし、私に頭を下げて謝りました。胸には、セレナリアの国章『百合』の銀バッチを身につけて。私はそれを止めて、自らの頭を地面に擦りつけて平伏します。当然です、私はそうになければいけないのです。この国では。
「や、やめてくださいセレスさん! どうしたのですかいきなり?」
「わ、私は、不可触民です。ノーブル(貴族階級)のあなた様には、本来お近づきにすらなれない卑しい身分でございます。どうか、このような者のために、高潔なあなた様を汚すことのないよう……」
そう、私は、本来身分すら与えられない者です。不可触民とは、この国の出身でない者、または生まれが卑しい者を総じてそう呼びます。人さらいによりこの国に送られた私は、当然ながら身分を与えられておりません。つまり私は、奴隷にすらなれなかったのです。そして今、奴隷という身分をなくした私はまた不可触民へと戻ってしまいました。
それはいいのです。身分という言葉がどのような仕組みなのかは、私は頭が悪いのでわかりません。ですが、とにかく私は頭を下げなければいけないのです。そういう存在なのだと、あの機械のように過ごした頃に教わりましたから。
「やめなさいセレス!」
言葉を発したのは、先程までソファーでくつろいでいたクラリーネ様でした。厳しい目つきで仁王立ちし、腰に手を当てて私を怒鳴りつけます。私は、また何か粗相をしてしまったのではないかオロオロするばかり。そこに再びクラリーネ様の甲高い声が響き渡りました。
「立て! セレス! 気高いセレナリアの男児が、安易に頭を下げるな! 頭を下げていいのはこのクラリーネだけにしなさい!」
「クラリーネ様……」
「返事は!?」
「は、はい」
私はまるで声に動かされるようにして自動的に体を起こしました。それを見て満足したのか、クラリーネ様は私の頭を優しく撫でてくださいました。それだけで私は涙が溢れそうになります。ですが、なぜ頭を撫でられたのかわかりませんでした。
「あなたは何も悪くないのよ。セレス。これからゆっくり覚えていけばいいの」
クラリーネ様は怒ったり優しかったり、よく分からない方です。ですが、私は心の奥底に染み渡るような深い愛情を、この方から感じるよう気がして、それに触れてしまうと思わず涙を流してしまうのです。
「もう、セレスったら、男のくせにまた泣いちゃって……」
「うっ、えぐ、えっぐ……だって、だってクラリーネ様……」
「はいはいわかったから、さっさと泣き止んで二人で夕飯を作ってちょうだい。もうお腹ペコペコよ」
二人……そういえばルーネさんがいるのでした。私とクラリーネ様の話を聞いて何やら涙を流しておりました。私にもう一枚のハンカチを黙って渡してくださりありがとうございます。
ひとしきり涙を流したあと、正式に先輩メイドであるルーネさんと自己紹介をしました。あたらめてルーネさんと対峙すると、その背の高さにビックリしました。私は首を上げなくてはその美しい顔を見ることが出来ないのです。
「セレスさん。先程は失礼しました。私は長年クラリーネ様の従者をしております。ルーネ・ビーチャノワと申します。クラリーネ様が申しましたように、どうか身分など関係なしに気軽にルーネとお呼びください」
「そんな、先輩なんですから、せめてルーネさんと呼ばせてください」
「分かりました、そのように。では私は――」
「どうか、セレスとお呼びください」
貴族、賤民の関係ではなく、先輩後輩の関係で、とルーネさんは私におっしゃってくださいました。なぜ、そのようにしなければいけないのですか? と質問した時には、またルーネさんが泣きそうになったので慌てて質問を取り消しました。どうしてだろう。
「わかりました。セレス、では一つ質問してもいいですか?」
「何なりと」
「先ほどの会話から考察してみると、あなたは男なのですよね?」
「はい」
「どうして男性であるのに、メイド服を着ているのですか?」
「それはクラリーネ様に聞いてください」
私は先輩メイドをさっさと置き去りにして夕食の支度に取り掛かりました。調理の際にもしきりに聞いてくるのですが、失礼ながら無視させていただきました。その質問に私から答えることは出来ませんから!