奴隷
冬になりました。外にも雪が積もり、辺り一面が銀色の世界です。
幻想的な世界にいるような気持ちになり、私は思わず仕事の作業を止めて、窓の外の景色を見入ってしまいます。
「セレス、手が止まっているよホント役たたずね」
ご主人様に怒られてしまいました。反省。
私は仕事が日に日に辛く感じるようになりました。それは、私の仕事がいつの間にか「人の命を奪う」方が多くなってきたことが原因だと思います。
昨日も、一昨日も、私は人を殺めてしまいました。私は罪深い者です。
ですがそれとはうって変わりご主人様は喜んでくれました。
「金払いの悪い貴族なんてお断りだよ」
そう言って私が殺した骸の懐から財布を奪い大きく笑っています。
死体は私が処分します。近くの崖から突き落とし、大海原へ還っていただきます。
貴族様たちはお忍びで私たちの館にくるので例え死んでしまったとしても後ろめたい事情があるのならば特に取り調べたりはしないのです。
たまに旦那様の奥様などがこちらに訪ねてくることもあるのですが、そういった場合にも個人的なプライバシーは守るという鉄の掟によりお教えしないことになっています。
それがいいことなのか、悪いことなのかは私には判断しかねます。
ですがご主人様がそれでいいというのなら、それでいいのだと思います。
ある日、同業の女性が妊娠してしまいました。おめでたです。お相手の方はとある有名な貴族の旦那様です。おめでとうござますと言ったら叩かれてしまいました。
その旦那様は妊娠したことがわかると堕せの一点張りだそうで、全く男の風上にもおけないということだそうです。よく分かりません。
その日、私はご主人様に呼び出されたこう命令されました。
「女と赤ちゃんを殺せ」
もちろん私は殺せませんと言いました。
同僚の方です。よくしてもらった覚えはありませんが情があります。それに赤ちゃんを宿しているのです。
「ならお前は役立たずだ。追い出してしまうよ」
その夜、私は部屋で泣きました。なぜ泣いたのかは分かりません。ただひどく悲しかったのです。今夜、私は二人の命を奪わなければなりません。
何を今更、と思うかもしれませんが、今までは貴族の方や軍人さんが相手だったのでそこまで罪悪感というありませんでした。
ですが今回は昔からの同僚。そして小さな祈り。
――無理だ。
私は今回ばかりは勘弁してくれとご主人様に懇願しました。ですがご主人様は聞いてくれません。
「ならお前はお払い箱だよ、役立たず」
私は罪深い者です。ですがこればかりはどうしても出来ませんでした。
ですから私は娼館から出ていくことになりました。
男の商人が訪ねてきて私を檻に閉じ込めて連れていきます。
「ご主人様」
私は心細くてそう呟きました。ご主人様は冷たく私を見下ろしながら「高かったのに、やはり男など買うんじゃなかった」と呟きました。
買う――。
そうか、私は買われたのか。
この五年間、私はご主人様に金銭で買われて働いていたのです。
私は本当は気づいていたのかもしれません。ですが私は愚か者なのであえて何も考えずにいたのです。
ゴトゴトと荷馬車に運ばれながら私は檻を掴みながら小さくなっていくご主人様の姿を見つめ続けます。私が連れて行かれるのを見るとご主人様はさっさと娼館に戻っていってしまいました。
ゴトゴトゴトゴトゴト…………。
これから私はどこに行くのでしょうか。また私を買ってくださる方はいるのでしょうか。
言うことを聞けばよかったのでしょうか。
――いえ。
これでよかったと思います。
だって、どうせ出来ませんでしたから。私は役たたずです。
私は作業用の汚れた服のまま連れていかれたので多分私は見窄らしい姿なのでしょう。
せめて綺麗なドレスなどで着飾っていれば新しい買い手が見つかるかもしれませんでしたが……。
いっそこのまま命を絶とうかと考えたりもします。
そういうことを考える度に私は思うのです。
ああ、私は生きることが辛いのかと。
そろそろセレナリア帝都の城門から出ていくところです。
これから私は知らない土地に売られていくのでしょうか。
――もうダメだ。
私は多分限界だったでしょう。逃げる気力もありません。だって私は馬鹿なので一人で生きていくことも出来ないと思います。
このまま死んでしまおう。そんな考えばかりが頭に浮かんできます。
きっと私は罪深いので天国に行くことは出来ません。
地獄に行くのでしょうか? 地獄には悪魔様がいるのでしょうか?
構いません。私は人殺しなのですから――。
「あの、申し訳ありません。催してしまいました」
荷馬車の主人にそう言って私は外へ出してくださいと訴えます。
主人は訝しげに私を見て「本当だな」と確認をとります。
「本当です、なんなら鎖を付けても構いません」
構いせん、その鎖ごと崖下から飛び降りてしまいます。
私は重くなった脚を引きずりながら崖の方へ移動します。
そういえば、初めて帝都の外に出ることが出来ました。
銀色の世界に包まれた幻想風景が私の見納めになるのでしょう。
せめてこの風景を目に焼き付けておきます。
ようやく私は崖っぷちまで辿り着くことが出来ました。
そうして見下ろしてみるとやはり私にも恐怖というものがあるのだと実感しました。
さぁ後は飛び降りるだけだ。目を瞑り私は今までの人生を走馬灯のように振り返ります。
貧しくても暖かい家庭に生まれ、野盗に両親を殺されて、奴隷として買われたあとに、また売られて……。
母さん、父さん。……行方知らずの妹、セシル……。
私はきっと死んでもあなたたちのところへ行くことは出来ません。
ですが、どうか命を絶つことをお許し下さい――。
体を傾けて、重力に抗わず、ただ為すがまま……。
近くで大声を上げて叫んでる方がいます。荷馬車の主人でしょうか?
もう何も考えません、私はそのまま谷底に……。
「死んじゃダメ――!!!!!」
ガクンと腕を引っ張られて私はそのまま傾いたまま停止します。
ですが私には鎖が付いてるので重さに耐え切れず徐々に谷底の方へ向かっていきます。
「ぐぎぎぎぎぎ……」
振り返えると金色の髪をした綺麗な女の子が顔を真っ赤にして私を止めんがために、その華奢な腕で引き止めて下さっているのです。
とうの私といえば唖然としてその女の子行動を見つめてしまっています。
「ぐぎぎぎぎぎ、あ、もうだめ……」
その言葉と共に私とその女の子は崖の下へ一直線に落ちていって……
――ダメだ!!
死ぬのは私だけでいいのです。こんなところでこんな美しい少女をを犠牲にしていいはずがありません。
私は落ちていく彼女を抱きとめながらくるりと一回転して体制を整えたあと、片手を崖の岩へやって踏ん張ります。
「……ぐっ……」
「きゃー!! わー!! きゃー!!」
「あ、暴れてはいけません!」
少女は私の手に抱かれたままバタバタと手を振りながら錯乱状態に陥っているようです。まずは彼女を落ち着かせなれば。
「あ、安心してください! このまま崖の上へ這い上がりますから」
「きゃー!! わー!! きゃー!!」
効果はありませんでした。
幸いにもあまり落下せずに留まることが出来たのでそのまま上の方へ向かうことが出来るようです。
「…ふっ、くっ、ふっ……」
少女を片手に、鎖でつながれた重い脚。
やがて頂上へ上りつめると私は彼女を下ろして安否をうかがいます。
「どこか、お怪我はございませんか?」
そう聞くと、さっきまで取り乱していた彼女は、その時以上の形相で私の頬を思いっきり叩いたのです。
「バカ!!!!」
怒られてしまいました。
彼女を危険な目にあわせてしまったことを怒っているのでしょうか? そうに違いありません。ですが、私は釈然としないのです。
「どうして、叩くのですか?」
「あんたが死のうとしたからでしょう!! 自殺なんて、絶対にしちゃダメなんだから!!」
その女少女はさっきとは一転して泣きそうな顔で私を睨むように見つめます。
整った顔をみるみるうちに歪ませて、瞳いっぱいに涙を含ませて今にも溢れおちてしまいそうです。
どうして叩かれたのかわかりました。
私は死を選んだことを咎められたのです。その女の子は私に死を許してくれないのです。
「どうか、放っておいてくださいませ。私にはもう、生きる意味も、資格も、ございません」
思い出すのは父、母と、幼い妹。在りし日の面影にすがり、私は再び崖へ足を向けます。
ですが女の子は私の前に立ち、行く手を阻むかのように両手を広げます。
「何があったかよくわからないけど! 絶対に! ぜーーーーーーーーったいに死ぬことなんて許さないからね!」
どうして私の邪魔をするのでしょうか。私は疑問に思い、それから少し怒りに似た気持ちが強くなってきました。
ですが、女の子の流す涙に、私はいつの間にか死への関心が薄らいできたような気がするのです。
「私は売られるのです。ですが両親と妹が育った土地を去りたくはないのです。ですからせめてこの地に骨を埋めたいのです。ですからそこをお通しください、お願いします」
気づけば私は身の内を見知らぬ少女に話してしまいました。決して同情を引こうとか、そういう下心があったわけではありません。私は頭が悪いので細かい算段など出来ませんから。
ガシャリと鳴る鎖と私の見窄らしい姿に女の子は私の正体にようやく気づきました。
そして悔しそうに唇を噛み私の体を抱きしめて言うのです。
「辛かったね……でも、大丈夫だよ……」
私は何が何だか分かりません。人の温もりを失って久しい私は、何が起きているのか分かるのにだいぶ時間がかかりました。
冷たくなった体に、暖かい雫が溢れ落ちてきます。
女の子の涙ではありません。これは、
「私が、助けてあげるから! あなたを、闇から救ってあげるから!」
――私の涙でございました。
季節は寒い冬。
私と、少女「クラリーネ」の運命的な出会いの始まりでした。