第三話
「ただ黙々と、純粋無垢な日々をおくり、希望にも心惑わされず、悲しみにも乱されはしない」_トマス・キャンピオン
雑閙の中を掻き分けて進むと、鞍山擒ちゃんに出会った。
紛う方無く、今朝の夢に出てきた擒ちゃん。
彼女は1つ下の5年生だけど、身長は僕よりも高く、文字通り頭ひとつ抜けている。
僕が六年生の割に小さすぎる、といえなくもないが。
きゅっと引き締まった足首に映える、プリーツのついた赤いスカートに、黒地に柄模様のハイソックス。
上着は少しだぼだぼな、チャールズ・シュルツを感じさせないスヌーピーの絵柄の白地のセーター。
首元からはピンク色のブラウスが覗く。
気の強そうなきりりとした表情とは対照的に、くせもなくまっすぐに伸びた長いストレートヘアー。
清々しい朝の空気が、擒ちゃんの控えめに膨らんだ、胸の辺りに掛かる黒髪をふわりと揺らす。
その姿はどこか凛として、大人っぽい雰囲気を漂わせている。
いいなぁ。
僕もこれくらい、身長があったらなぁ。
前ならえをする時に前ならえをする相手がいない屈辱。
因みに僕は昨年のクラス替えにより、男子では前から4番目の位置に付けている。
「おはよう、鞍山さん」
「おはよ」
僕は少し仰々しくお辞儀をした。
その意に反し、擒ちゃんは一瞥したあと、こちらに振り向きもせず、5年生の教室のある渡り廊下の方へ歩き出した。
ああ、今日もダメか。
意を決して話すような事も無かったし、僕はやっぱ、こっちの方はてんでダメだ。
擒ちゃんは同じ地区で、通学路もほぼ一緒。
小学2年生の時、新しく集団登校する相手が増えたんだなぁ、って程度にしか思ってなかったけど。
いつの間にか、僕は小学6年生で、擒ちゃんは5年生。
そろそろ身の振り方を考えないといけない時期に来てしまった。
集団登下校するチャンスなんて頻繁に起こるけど(特に最近は物騒で、1学期中全てが原則集団登下校する時期もあった)、4年も一緒に登下校していると、流石に話のネタも尽きてくる。
無理して話そうとしても、『お前空気読めよ』ってなる。
仕方なく僕はマサル君との下らないお喋りが殆どで、擒ちゃんは下級生と和やかに話す。
これが僕らの集団登下校。
僕は『そっちの世界』はよく知らないのだけれど、擒ちゃんは身体の成熟度がとにかく早い。
腰回りのくびれが同世代の女の子とは雲泥の差。
それでいて運動神経は抜群。
それでいて少しクールな印象を与える端正な顔立ちは、女生徒の嫉妬心に火を付け、また男子達からからかいの的にされていると風の噂で聞いた。
僕は最近の若い子のイジメとか分からないけど、歳が幼くなるにつれその手口は巧妙化する傾向にあるらしい。
どうか、擒ちゃんを護ってくれる、思いやりのある男性に巡り逢いますように。
祈念してから踵を返し、大河原よし子先生が嬉々とした表情で僕らの登校を迎えてくれる6年3組の教室へ、階段を一段抜かしで歩いていった。