プロローグ
「彼女は貧しく、病気だ。家畜輸送車に横たわっている。人形みたいに服を着せられ服を脱がされている。ところが彼女は美しい。映画スターのように美しい。彼のすぐ横に、この美が辱めを受けてそっくりある。この細長い清純な汚された肉体がある。彼女は美しい。ミュージックホールで歌っている、そして睫毛のあいだから彼を見て、知り合いになりたいと思ったのだ。まるで再び自分の両足で立ち上がってもらったかのような気がした」_J.P.サルトル「自由への道」
白い枕が二つ並んで、枕元には水差しとコップと灰皿が置かれている。
電気スタンドが、薄明るく灯っている。
ベッドシーツには埃ひとつとして見当たらず、上質なシルク生地がいっそう映えている。
徒に夢想を繰り返した日々、そんな暗い過去と振り切り、梅雨明けのいちだんと高くはげしくなる真昼の太陽のように、若人の心はより高次の段階へと向かう。
雨でも槍でも降ってこい、そんな境地に達した一人の若人が、せわしなく彼女との行為を妄想しながら、落ち着きのない様子で部屋を見回している。
艶やかなムードを創りたいと思い、店長お薦めラベルが貼られたレコードを引っ張り出す。
室内に設置された蓄音機にレコードを嵌め込むと、バロック調のクラシックが流れてくる。
重々しくも荘厳だが、ボリュームを下げれば十分入り込める曲調だ。
ブラームスだろうか。
烈しく脳内をフル回転させている若者を尻目に、アルト声のハミングが、何処吹く風といわんばかりに、シャワーを浴びる音と共にバスルームから漏れてくる。
若人は 艶やかな躯を 一目みん 一目みんとぞ ただにいそげる
茂吉先生。
詠んだところで、彼女の初々しくも光り輝いている煌々とした純白の躯は訪れない。
ならば此方から参ろうではないか。
見せぬなら 剥がしてしまえ ほととぎす
向こうはすっぽんぽんなのに剥がすとは、これ如何に。
そもそも野鳥を剥がしてどうするのだ。
まさにレームダック。
何らかの方法で野鳥が捕らえられるシチュエーションを想像しよう。
例えば学問研究の目的で、雄蕊と雌蕊の違いを確認する事が困難である場合、羽毛が邪魔になり、それなら羊毛を刈り取るようにこの野鳥も哀愁漂う姿に晒してしまえ!と思い立った学徒と教授。
破滅のフィルハーモニー。
レコードのケースをちらりと見やる。
ヴィヴァルディ「アラ・ルスティカ」と明記されている。
もう少し妄想を膨らませよう。
野鳥が無残にも羽毛を全て剥がされる_ある程度のイメージは作られた。
ではこの野鳥(この場合はホトトギス)の行く末はどうなるのか。
食物連鎖の流れに沿えば、その野鳥が人間に調理される事が一番望ましい。
雀を食す習慣は中国は勿論、日本でも色濃く残っているのだが。
中国の農村部では、蛋白質の貴重な補給源として今でも雀の捕獲が定期的に行われている。
因みに雀を食す場合、大抵はそのまま串焼きにして火を炙る。
羽毛を剥ぐ手間などかけない。
彼女はドアノブに手を掛ける。
振り向くと、彼女はすらりとした長い脚を見せつけるように、白のバスローブ姿を見に纏った、黒髪の長いストレートロングの彼女が、そこに佇んでいた_。