第七話 襄陽 ― 名を通す
襄陽に着いて、
まず拙者がしたのは――
売ることでも、買うことでもなかった。
名を、通す。
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商人の口は、
城よりも先に動く。
船頭から、
問屋へ。
問屋から、
役所へ。
数日も経たぬうちに、
拙者の名は、
然るべきところへ届いていた。
蔡瑁。
蒯越。
襄陽で商うなら、
避けて通れぬ名だ。
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拙者は、
大仰な挨拶はしなかった。
南方の香。
沈香を少々。
形の整った桂皮。
「交州より参った商人にございます」
「当面は、市で静かに商う所存」
それだけ。
蔡瑁は、
品を一瞥し、
短く頷いた。
蒯越は、
香の匂いを確かめ、
こちらを一度だけ見た。
――十分だ。
商人にとって、
これ以上の言葉は要らない。
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顔繋ぎを終え、
拙者は市へ戻った。
ここからが、
本分だ。
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襄陽の市は、
長沙とは明らかに違った。
布の質が違う。
色が揃っている。
織りの目が、安定している。
(……なるほど)
(絹は、
ここで“商品”になる)
長沙で織られた布も、
襄陽を通ることで、
名を持つ。
選別され、
値が付けられ、
再び流れていく。
拙者は、
中等から上質の絹を中心に買い付けた。
派手すぎず、
だが、交州では十分に目を引く品だ。
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一方で、
南方から持ち込んだ香と薬は、
よく売れた。
富家。
役人の使い。
医の者。
「また来い」
そう言われる程度には。
(悪くない)
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商いの合間、
拙者は贈り物も選んだ。
父上には――
洛陽より流れてきた茶。
日常の飲み物ではない。
だが、
「都の香り」がする。
あの人なら、
価値を分かる。
兄上には――
書。
経の写しと、
注の入った一冊。
武ではなく、
官に連なる兄にこそ、
これがよい。
(……うむ)
(贈り物もまた、
言葉だな)
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数日が過ぎた。
市での取引が一段落し、
顔も覚えられた頃。
拙者は、
あらためて使いを出した。
「劉表様へ、
謁見を願いたい」
商人として。
交州の士家の分家として。
名を売りにするのではなく、
名を隠さぬ程度に。
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襄陽の空は、
今日も澄んでいる。
ここは、
売るだけの場所ではない。
人が集まり、
言葉が交わり、
価値が定まる地。
拙者は、
静かに息を整えた。
次は――
表の場だ。




