第十九話 余白
拙者が死んだことは、
大きくは扱われなかった。
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軍は、動いていた。
成都は目前で、
仕事は山ほどあった。
一人の文官が倒れたところで、
戦は止まらない。
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奇襲の翌日、
龐統は本営へ戻った。
落鳳坡での戦は、
完全な勝利でも、
壊滅でもなかった。
ただ――
前へ進むために、
血を払っただけだ。
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龐統は、
戻るなり拙者の名を呼んだ。
返事は、なかった。
帳の外で、
誰かが視線を逸らす。
その仕草だけで、
理解するには十分だった。
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「……そうか」
それ以上、
龐統は何も言わなかった。
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拙者の死は、
戦死ではない。
病でもない。
記録上は、
「急死」とだけ残された。
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軍旅の最中ゆえ、
葬儀は簡素だった。
棺と呼ぶには軽い包み。
香を焚く暇もない。
名を呼ぶ声も、
長くは続かなかった。
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龐統は、
一歩下がった位置でそれを見ていた。
胸に、
妙な引っ掛かりを覚えながら。
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――龐統が死なず、
士元が死ぬ。
なるほど。
一得一失、というやつか。
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あの瓢箪も、
銀の酒筒も、
紐付きの盃も、
沈香の香筒も。
すべて、
落鳳坡で失われた。
残ったのは、
記録だけだった。
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士元。
龐統士元ではない。
歴史に名を刻むことのない、
もう一人の士元。
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だが、
役割は果たされた。
龐統は生きている。
軍は前へ進む。
成都は、近い。
劉備陣営の未来は――
少なくとも、
史実よりは明るい。
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もっとも。
文官の数が足りない現実は、
何一つ変わっていなかった。
仕事は、
相変わらず優秀な者に集中する。
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孫乾は、
拙者の机に残された竹簡を引き取った。
一つ、また一つ。
その重さを、
彼は黙って受け取った。
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歴史は、修正された。
だが、
負担が消えたわけではない。
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誰かが倒れ、
誰かが埋める。
それを繰り返しながら、
時代は前へ進む。
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士元は死んだ。
だが、
龐統士元は生きている。
それで、
よかったのだろう。
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少なくとも――
この世界においては。




