第十八話 零れた代償
奇襲の翌日。
龐統は、本営へ戻ってきた。
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夜を越え、
馬を替え、
最低限の護衛だけを連れて。
胸の痛みは残っていたが、
命に別状はない。
それだけで、
奇跡だった。
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帳をくぐり、
本営に足を踏み入れた瞬間。
龐統は、
違和感を覚えた。
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人の動きが、
どこか静かすぎる。
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「……士元殿は?」
龐統が、
最初に尋ねたのは、その名だった。
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返事は、
なかった。
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帳の外で、
誰かが目を伏せる。
それだけで、
十分だった。
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龐統は、
それ以上、何も聞かなかった。
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――その夜。
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奇襲の報が届いた、その時刻。
拙者は、
机に向かっていた。
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書付。
人員表。
兵糧の再配分。
一つ終わらせては、
次に手を伸ばす。
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止める理由が、
なかった。
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体が、
重い。
指先が、
思うように動かない。
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(……妙だな)
そう思ったのは、
それが最後だった。
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胸の奥で、
何かが引きちぎれる感覚。
息が、
吸えない。
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(ああ――)
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(もし龐統が戻ってきたら、
何と言えばいいだろうか)
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(生きていてよかった、か)
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(それとも――
代わりに死んだのが、
自分でよかった、か)
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その考えに至った瞬間、
拙者は、
ほんの一瞬だけ気づいた。
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――歴史修正力。
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だが、
そこまでだった。
意識は、
そこで途切れた。
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翌朝。
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拙者は、
その夜のうちに死んでいた。
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戦ではない。
毒でもない。
刺客でもない。
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過労死。
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文官として、
書類の山の中で。
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軍旅の最中ゆえ、
葬儀は簡素に行われた。
粗末な棺。
短い読経。
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龐統は、
その場に立っていた。
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「……そうか」
それだけを言い、
しばらく黙っていた。
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やがて、
誰にともなく呟く。
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「龐統は死なず、
士元が死ぬ、か」
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「なるほどな……」
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一得一失。
誰かが得れば、
誰かが失う。
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あの賞品は、
落鳳坡で失われた。
雀譜も、
金の飾りも、
もう戻らない。
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では――
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士元とは、
一体、何だったのか。
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龐統は、
答えを出さなかった。
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ただ、
静かに頭を下げた。
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こうして。
龐統士元は、生きた。
そして、
拙者は死んだ。
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劉備陣営の未来は、
確かに明るくなった。
少なくとも、
軍師は失われなかった。
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だが。
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文官が、
増えたわけではない。
仕事は、
減らない。
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誰かが、
また削られる。
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それでも。
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歴史は、
前へ進む。
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それが、
代償というものだった。




