第十一話 回り始めた歯車 ― 商と因果
帳面を閉じた時、
拙者は、しばし手を止めた。
最初から、
もう一度だけ見直す。
襄陽で売った香。
長沙で回した絹。
道中で捌いた分。
――数倍。
(……一度きりではないな)
偶然ではない。
流れが、できている。
⸻
中平五年(西暦一八八年)後半。
襄陽の市には、
香が欠けることなく並び、
絹も、常に揃うようになっていた。
それは、
良い兆しであると同時に――
次の段階へ進めという合図でもあった。
(……下がったな)
交州からの品は、
定期的に届くようになった分、
値が落ち着いてきている。
量は出る。
だが、
一つ一つの利は、薄い。
(市だけでは、
ここが限界か)
⸻
拙者は、すぐに手を打った。
初回の成功は、
祝うものではない。
広げるものだ。
程氏の若い者を数人、
交州と荊州に配する。
帳面を任せ、
蔵を預ける。
拠点は二つ。
襄陽。
長沙。
どちらも、大きくはしない。
⸻
襄陽では、
市外れにある
大きすぎぬ邸宅を一つ、買い取っていた。
表向きは住まい。
実際には、
商いのための拠点だ。
蔵を設け、
荷を分け、
人を休ませる。
倉を貸してくれる時代ではない。
ならば、
持てばよい。
それだけの話だった。
⸻
隊商は、
一月おきに出すことにした。
交州を発ち、
長沙を経て、
襄陽へ。
香と薬は、
定期的に届くようになる。
結果――
単価は下がった。
だが、
量が出る。
帳面の数字は、
むしろ増えていく。
(……これでいい)
商いとは、
そういうものだ。
⸻
長沙にも、
小さな拠点を置いた。
倉を構えるほどではない。
市の外れに、
荷を一時的に預けられる家を一つ。
隊商が南北を往復する中で、
ここで一度、荷を整え、
流れを揃える。
襄陽が、
判断と集約の地であるなら。
長沙は、
その支点だった。
拙者が北へ出ている間も、
この地があることで、
流れは、止まらずに済む。
⸻
(……ならば)
(次は、
高いところへ売る)
拙者は、
ふと考えた。
(せっかく、
交州の北まで来ている)
(ならば――
一度くらい、
洛陽を見ておくのも悪くない)
商人にとって、
都は危険な場所だ。
だが同時に、
最も金が動く場所でもある。
⸻
準備は軽く済ませた。
襄陽の拠点――
邸宅の蔵を閉め、
帳面を預け、
必要最低限の荷だけを持つ。
北へ向かうなら、
荷は重くせぬ方がいい。
動ける方が、
生き残る。
⸻
北へ向かう道は、
自然と南陽を通る。
苑。
市は賑わい、
人と物が集まっていた。
袁家の名は、
まだ中原で重い。
南陽の市を見て回るだけでも、
それは伝わってくる。
拙者は、
香や布をいくつか捌き、
品を見、
相場を確かめた。
その中で――
一度だけ、顔を合わせた。
苑に拠る、
袁術。
名門の気配は、確かにある。
だが、
それ以上は、測らない。
商人にとって、
深入りは不要だ。
⸻
南陽に滞在していた、その折。
市に、
ざわめきが走った。
「洛陽が――
董卓に占拠された」
言葉は、
瞬く間に広がる。
(……なるほど)
拙者は、
迷わなかった。
占拠直後というのは、
最も秩序が乱れ、
同時に――
最も祝賀が求められる時だ。
(今なら、
入れる)
⸻
洛陽への道は、
重かった。
兵が多く、
視線も鋭い。
だが、
通れぬほどではない。
拙者は、
南方の商人として、
面会を求めた。
理由は単純だ。
董卓は、
涼州の人。
西域や北方の物には通じているが、
南の品とは、
ほとんど縁がない。
だからこそ――
会う価値がある。
⸻
面会は、
短かった。
祝賀の言葉。
形ばかりの挨拶。
場の空気は重く、
長居は無用。
だが、
拙者の持ち込んだ品に、
一瞬だけ、
視線が留まった。
それで十分だ。
名を売るのではない。
名を、
覚えさせる。
⸻
洛陽を発ち、
拙者は、
そのまま南へ戻った。
南陽を抜け、
荊州へ。
襄陽に戻った時、
市は、
変わらず動いていた。
隊商は回り、
邸宅の蔵は、
満ちては、空く。
拙者が離れていても、
商いは止まらない。
(……よし)
⸻
夜。
灯の下で、
帳面を開く。
数字は、
安定している。
(だが――
これを、
どう続けるか)
人は疲れる。
商も、
いずれ擦り切れる。
ならば、
人が集まり、
人を測れ、
人を残せる仕組みが要る。
⸻
拙者は、
ふと思い出した。
市や宴で、
手慰みに行われていた、
あの遊び。
牌を並べ、
勝ち負けを競う。
中華では、
珍しくもない、
古くからの遊びだ。
(……あれなら)
(ただの余興で、
済む)
⸻
遊びは、
人の本性を映す。
ならば――
集まる前に、
用意すればいい。
拙者の脳裏に、
一つの地が浮かんだ。
零陵。
木があり、
人がいる。
水路も、
陸路も通る。
(……あそこだな)
⸻
帳面を閉じ、
灯を落とす。
その時――
⸻
System access……
(システムに接続しています)
⸻
Status check
(現在の状況を確認します)
•Trade network: Established
交易網:確立
•Regular supply routes: Active
定期流通路:稼働中
•Main base: Xiangyang private estate
主拠点:襄陽・私有邸宅
•Relay point: Changsha small depot
中継拠点:長沙・小拠点
•Northern survey: Completed
北方視察:完了
•Historical interference: Minimal
歴史干渉度:軽微
•Deviation risk: Low
乖離危険度:低
⸻
拙者は、
静かに息を吐いた。
(……ここまでは、
問題ない)
⸻
System Save available
(セーブ可能です)
Create save point?
(セーブポイントを作成しますか?)
⸻
拙者は、
襄陽の夜を見渡し、
頷いた。
⸻
Saving……
(保存中……)
⸻
Save completed.
(セーブ完了)
Save condition:
交易が自走し、
北の情勢を観測し、
なお歴史に深く触れていない地点
(保存条件:
交易が自走し、
北の情勢を観測し、
なお歴史に深く触れていない地点)
⸻
表示は、
それだけだった。
⸻
拙者は、
灯を消す。
零陵。
荊州。
そして――
次の局。
(……さて)
(次は、
人を集める番だな)
⸻




