「私じゃない誰かになりたい」
これは、自分から逃げたくて仕方なかった女の子が、「なりたい自分」になるための林檎を噛んだ話です。
「転生林檎」…食べたら本当に生まれ変われる?その代償は?
雪村鈴音の変わりたい願いと、その先にあるものを描いていきます。
楽しんでいただけたら嬉しいです!
「……好き、です。」
その言葉は、気づいたら口から零れていた。
ロマンチックな演出なんて一つもなくて、夕日も音楽もなくて、ただチョークの匂いを含んだ放課後の風だけが流れていた。
荒川駆くんは目を見開いたまま、固まっていた。
あの表情、分かる。嬉しいわけでも、嫌悪でもない。ただ予想外――それだけの顔。
「あ、俺……」
荒川くんは何か言おうとしたけど、喉に引っかかったみたいに言葉が出なかった。
ああ、やっちゃった。
まただ。
また、やらかした。
頭が考えるより先に体が動いて、私は深く頭を下げた 。存在そのものを謝るみたいに。
「い、今の忘れて!お願いだから忘れて!ただの……その、雰囲気に流されただけだから!そう!それだけだから!あは、は……!」
自分でも分かる。ひどい笑い声だった。
返事を聞く前に、私は踵を返して走り出した。
上履きが廊下を叩く音が大きく響く。
逃げているわけじゃない――そう思い込みたいのに、逃げている以外の何物でもなかった。
何考えてたの、私。
どうしてあんなこと言ったの。
頭おかしいんじゃないの。
「もう……ほんと最悪……なんであんなこと言っちゃったの……!」
階段を駆け下りながら、顔を両手で覆った。胸の奥が苦しくて、息がうまく吸えない。
“やり直し”のボタンがあったら、叩き壊れるまで押してる。
今すぐ消えたい。
空気に溶けて、なくなりたい。
――私は雪村鈴音。
十六歳。
鎌倉南高校の二年生。
簡単にいえば……“普通の人間”に失敗した。
うまく話せない。
すぐパニックになる。
考えすぎて全部が怖くなる。
十言あれば、一言しか返せない。しかも大体失敗する。
名前を呼ばれたら、「人違いじゃない?」ってまず思う。
優しくされたら、「どうせ嘘だよね」って疑う。
こんな自分、もう嫌だ。
でも、他の誰かにもなれない。
今日は、本当ならただの平日だった。
だけど私はなぜか放課後の荒川くんを呼び止めて、そして、人生で一番狂った言葉を口にしてしまった。
――バカな冒険は、いつも最悪なタイミングを選ぶ。
帰り道の鎌倉の空は夕焼けに染まっていて、自転車の音があちこちから聞こえた。
私はひとりで歩きながら、鞄を抱きしめるように胸に寄せた。誰にも会いたくなかった。
追いかけてくる人なんていないのに、逃げ足は止まらなかった。
歩く人の影を見るたび、荒川くんの表情を思い出してしまう。
あの困った顔。
思い出すだけで消えたくなる。
「あああ……なんで私、こうなの……」
ずっと俯いたまま。
目を合わせるのが怖い。
誰かに見られるのが怖い。
心の中で笑われている気がしてたまらない。
そして一番怖いのは――
私自身だった。
無意識に唇を噛んでいた。
気づけば家の前に着いていた。
街灯がぽつぽつ灯り始める時間。
玄関を開ける。
「……ただいま。」
返事は、当然ない。
母さんはいつも夜遅くまで仕事だ。
静寂。
私はすぐ部屋に入り、ベッドに倒れ込んだ。
枕で顔を押しつぶし、恥ずかしさに全身が熱くなる。
さっきの出来事が、壊れた映像みたいに繰り返される。
「私って……ほんとバカ……」
泣きたいのに、涙は出ない。
涙腺に扉でもついてるんじゃないかと思うくらい。
どれくらい経ったのか分からない。
――ギィ、と窓が音を立てて開いた。
「……え?」
閉めたはずの窓。
冷たい夜風がカーテンを揺らす。
私はゆっくり顔を上げた。
机の上。
数学のワークの上。
そこに――真っ赤な林檎が置かれていた。
ただの林檎じゃない。
色が濃すぎる。
表面が淡く光っているように見えた。
ベッドから上体を起こす。
変だ。すごく変。
だけど――なぜか理解できた。
「もしかして……これ……」
震える指で近づく。
床に足音が落ちるたび、心臓が跳ねた。
林檎は赤い光を反射して、まるで熱を帯びた宝石のようだった。
正直に言うと、誰だって“本当の願い”を持っている。
口にしないだけ。
認めたくないだけ。
私の願いはひとつ。
今の私じゃない私になりたい。
臆病じゃなくて、惨めじゃなくて、誰かに愛されてもいい自分に。
――「転生林檎」って噂、聞いたことある?
自分を嫌いすぎた人の前に現れる、神からの“贈り物”。
食べた者は、なりたい自分に変わる。
完璧な自分。
理想の自分。
今の自分より生きる価値がある“誰か”。
指先が林檎に触れた。
温かかった。
果物の温度じゃなかった。
まるで――生きているみたいだった。
そして一番怖いはずなのに、怖くなかった。
「もう十分苦しんだよ」
「変わってもいいんだよ」
そんな声が、どこからともなく聞こえた気がした。
何かが崩れて。
何かが私の中でスイッチを入れた。
考えるより早く、
私は――林檎に噛みついた。
甘かった。
信じられないほど甘かった。
願いが全部、喉を通って身体に戻っていくような味。
世界が揺れる。
床が遠ざかる。
目が閉じていく。
ぼやけた意識の中で、声がした。
外じゃない。
内側から。
「――私が代わりに生きてあげる。
君より上手くやってみせる。」
「誰……?」って聞きたかった。
でももう身体が動かなかった。
意識が落ちていく。
秋の最後の一枚の葉が、音もなく地面に降りるように。
暗闇に沈む直前――思った。
“私じゃない誰かになるのも……悪くないかもしれない。”
そして、すべてが消えた。
ここまで読んでくれて、ありがとう!
鈴音はついに林檎を食べちゃった…!
これから彼女の中の「私」はどうなっちゃうんだろう?理想の自分って何だろう? この先も、どうぞ見守っていてください。
感想や応援、すごく励みになります!
次回もお楽しみにー!
— 三日月霊




