その11
なにを言っているの? ヘンリエッタ。
私は困惑した。
「じゃあ、なぜすぐに助けを呼ばなかった! すぐに処置していれば助かったかも知れなかったのに」
レイ兄様もなにを言っているの?
「イングリッドは三日意識不明のまま目覚めなかった。その間も君は俺が付き添うことを許さなかった。万が一目覚めて、君が犯人だと言われるのを恐れたんだな、とどめを刺そうと暗殺者でも手配していたのか? でも君の望み通り、イングリッドはなにも言えずに一人で死んだんだ」
「兄様、私は死んでなんかない、ここにいるじゃない!」
私は兄様に駆け寄った。
しかし、私の手は兄様に抱きつくことが出来ずに擦り抜けた。
え……?
「信じて! あれは本当に事故だったのよ! 酷いことを言われて! イングリッドが悪いのよ、私がお金であなたを買ったなんて言うから!」
「なにが酷いんだ、その通りじゃないか」
兄様には見えていないの? 触れることも出来ない……。
どうなってるの?
「本当のことを言われたからって、イングリッドを突き落として殺すなんて!」
私は……。
私は自分の両手を見下ろした。そして、それが透けていることに初めて気づいた。
そうなの? 私はあの時……。
私はとっくに死んでいたんだ。
じゃあ、王太子殿下も見えていなかったのね。視線が合わなかったのは、殿下がいつもドリスメイ様ばかり見ているからじゃなかったんだ。
「俺はイングリッドの将来を考えて君との婚約受け入れたんだ。ああ、君が危惧していた通りだ、俺はイングリッドを愛していた。義妹ではなく一人の女性として愛していたんだ!」
レイ兄様が私を愛していた?
一人の女性として?
そう言ってくれてるの?
「子爵家があんなことになり、このままではあの子は平民になり苦労することになる。俺はイングリッドの幸せだけを願っていた。たとえ結ばれなくても、あの子だけは幸せになってほしかった。なのに、君は俺からイングリッドを奪ったんだ!」
私の幸せ? それはレイ兄様の傍にいることだったのに、平民になっても苦労しても一緒にいたかったのに。
「君が犯人だと知った時、俺はこの手で君を殺したかった。あの子が奪われたように君の人生を奪ってやりたかった、俺のこの手で! あのまま生贄にされても良かったんだ」
「嫌ぁ! そんなこと言わないで、私はあなたを愛しているのよ」
「君に気に入られたばかりに、俺の俺たちの人生は狂った、俺にとっては君こそが悪魔だ!」
「彼女の犯行は裁判で明らかになる、連れて行け」
王太子殿下が二人の間に割って入り、騎士に指示した。
「放して! 私は悪くないわ! アイツが悪いのよ、イングリッドさえいなければ!」
ヘンリエッタは大暴れするもマッチョな騎士たちはビクともしない。
ヘンリエッタは連行されて行く。
兄様は憎悪の目を向けながらポツリと呟いた。
「イングリッドがいなくても、君を愛することは絶対ない。必ず報いを受けさせるよ」
往生際悪く泣き叫ぶヘンリエッタの声が遠くなった。
もう報いは受けたようなものだ、愛している人に悪魔呼ばわりされたのだから。
「本当に悪魔のような女です。父が事業に失敗した件も、あれは詐欺だったんです。自分で調べた結果、マクガイヤー伯爵が絡んでいたことが判明しました。ヘンリエッタに頼まれてマクガイヤー伯爵がチェルシー子爵家を嵌めたんです」
「そうか、そこまで調べていたんだな」
「俺の、せいで……」
「君のせいじゃない、変な女に執着されたのが不運だったんだ。いや、不運だったで片付けられることじゃないな、すまない」
「イヴァンの気持ちはわかるんです。だから彼も俺を信用したんでしょうね。イングリッドが戻るのなら、俺はどんなことでもできます。でも、その為に他人を犠牲にしたらイングリッドは俺を許さないでしょう、自分のために罪を犯したと、自分を責め苦しむでしょう」
「そうだね、優しい子だからね」
「えっ? 殿下はイングリッドをご存知だったんですか?」
「直接会ったことはないけど、ドリスの友人だからね、話は聞いているよ」
「そうなんですか」
「ブラコン仲間、ドリスも兄様大好きだからね」
「兄……ですか、それですよね、イングリッドにとって俺は兄だった。いい兄ではなかったですけどね、学園でも彼女を無視して」
「イングリッド嬢はわかっていたさ、君が彼女を護ろうとしてそうしていたこと」
「でも、護り切れなかった」
兄様の涙を初めて見た。
いつも優しく微笑みを向けてくれたレイ兄様、そんな顔しないで、兄様は笑顔がいちばんよく似合う。
兄様は涙を見られないように俯いたまま一人で現場を後にした。
私は追いかけたい衝動を堪えて踏みとどまった。だって、追いかけたところでどうしょうもない。私の姿は見えないし声も聞こえないんだから。
他の人たちもそうだったのね、私を無視しているのではなくて、存在自体気付いていないのね。そりゃそうか、普通の人にゴーストは見えないんですもの。私がいきなり見えるようになったのは、自分自身がゴーストだったから。なぜ、気付かなかったの?
放心状態の私をよそに、邸内の捜索は続く。王太子殿下の元に次々報告が上がってきて、対応に追われている。
ドリスメイ様は私に寄り添っていてくれた。
王太子殿下がドリスメイ様の同行を許したのは、私の存在を認識できるのが彼女だけだったからなのだ。
「いつから?」
私は震える声を絞り出した。
「最初からよ」
ドリスメイ様は周囲に聞こえないように小声で答えた。
「あなたの姿を学園で見つけた時、私は知っていたもの、階段から転落死した生徒だって」
「でも、私はあの後も学園に登校して、アイリーンやキャメロンとランチをしていたわ」
と言いながら思い当たることはある。こうやって視線を合わせて話をするのはドリスメイ様だけだ。アイリーンやキャメロンの会話に入っているつもりだったけど、違ったのね。彼女たちとは目が合っていなかった。
いつも二人の会話に相槌を打っていただけじゃなかったかしら? あまり深く考えていなかったけど、私の質問はうまく躱されていたような……。そうか、見えてなかったんだ、私はそこにいなかった。『最近、悲しいことがあって散々泣いたでしょ』と言っていたのは私のことだったのね。二人とも泣いてくれたのね。
教室で無視されていたのも、沈黙のイジメではなかったのね。私は本当に誰の目にも映っていなかったのね。
でも、母はちゃんと朝食を用意してくれていたわ。
……それは母が精神を病んでいるからなのね、私の死を受け入れられないからの行動だったのね。
私も生きているつもりだったから、疑わなかったから辻褄の合わないことも全て自分の都合のいいように改ざんしていたのね。だってゴーストは用意された食事に手を付けられないし、そもそも食器に触れない。でも食べたつもりでいた。
はじめてドリスメイ様に会った時、わたしが『お兄様にイヴァンの正体を教えなきゃっ』って言ったら、『えっ?』って驚いた反応されたっけ。それはゴーストのソニア様から聞いた話をどうやって伝えるつもりなのかという意味じゃなくて、ゴーストは普通の人には見えないのに、どうやって兄に伝えるの?って意味だったのね。
でも、私は自分がゴーストだと気付いていなかった私は見事に勘違いしたのね。振り返れば不自然なことは山ほどあったはずだ、なのに自分の都合のいいように歪曲していたのね。
「ソニア様もわかっていたの?」
「ええ、だってゴーストに触れられるのはゴーストだけだもの」
そうね、ヒントはくれていたわ。『この世に強い未練がある者、怒りや恨みを残した者、そして、自分が死んだことに気付けない者は留まってしまう』と言っていた。それは私のことだったのね。
「なぜ教えてくれなかったの、私、バカみたいじゃないの」
「あの時、あなたもゴーストなのよと言っても信じた?」
私は自分が死んでいることに気付いていなかった。そんな状態で死人だと言われていたらどうなっていただろう。それまで存在を無視される陰湿なイジメに遭っていたから、ドリスメイ様まで加担して酷いことを言っていると思ったかも知れない。
そうだわ……きっと傷ついて、混乱して、正気を失って悪霊になっていた可能性もある。ドリスメイ様はそれを恐れたのね。
「そうね、ついさっきまで、自分が死んでいることに気付いていなかったんだもの」
「それはあなた自身が気付いて認めなければならないことなのよ。だから、あなたが気付くまで待つことにしたの」
「ドリス、引き上げるよ」
王太子殿下が戻って来た。
「ええ」
「大丈夫?」
ドリスメイ様の潤んだ瞳を見て王太子殿下は覚ったようだ。
皮肉なものね、死んでからレイ兄様の気持ちを知ることになるなんて……。もっと早く知っていれば、兄様が婚約すると言った時、やめてと泣いて縋っていれば、兄様を愛していると言っていれば……。
ああ、そんなこと考えるだけ無駄よね。
お読みいただきありがとうございました。
霊感令嬢ドリスメイが登場する物語をシリーズにしましたので、他の作品も読んでいただければ幸いです。
☆☆☆☆☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。
次回(明日)最終話です。




