その1
「レイフォード様を愛しているのよ! 私が婚約者なのに、あの方は私を見てくださらない。どんなに想いを伝えても努力しても、受け入れてはくださらない。あなたのせいよ! あなたがいるから!」
ヘンリエッタは悔し涙を浮かべながらヒステリックに叫んだ。
なんなの? そんなこと言われても、私にはどうしようもないじゃない。
忿怒の形相で私に迫っているヘンリエッタ・マクガイヤー伯爵令嬢は、ストレートの黒髪に深い碧の瞳の上品な美少女。それに対して私ことイングリッド・チェルシーは栗色の髪と瞳で、不細工とは思っていないがごく平凡で地味な少女、一般的に殿方は美女を好むだろう。でも、性格がね……。
泣きたいのは私の方よ、あなたが激しく嫉妬するせいで、レイ兄様は家を出ざるを得なくなった。私たち兄妹を引き裂いておきながら、それでもまだ気が済まないの!
「レイ兄様をお金で買ったような人が、愛されるはずないじゃない」
私は思わず本音を漏らしてしまった。内気で無口な私が反論したことにヘンリエッタは驚き、ポカンと口を開けた。
言ってはいけないことだとわかっている。没落寸前の我がチェルシー子爵家を援助してくれたのはマクガイヤー伯爵家だ。彼女がレイ兄様に恋慕して、レイ兄様との婚約を条件にして。
「なんですって! 私が彼をあなたの家を救ったのに!」
「お金を積んで脅迫まがいに婚約したくせに」
私は俯いたまま、ボソッとぼやく。
「レイフォード様は納得してくれたのよ、我が家が援助しなければ学園も退学するしかなかったでしょう、優秀な彼の将来が閉ざされるのを私が助けたのよ、あなただって入学出来なかったわよ」
私はそれでも良かった、レイ兄様が意に沿わぬ婚約を受け入れてまで犠牲になることはなかったのに……。兄様は自分のことより、私の将来を考えて決断してくれたのだろう。
「なのに、あなたは恩を仇で返すように、私の悪口をレイフォード様に言ってるんでしょ!」
私の悪口を言いふらしているのはヘンリエッタの方だ。だから入学当時から私に向ける周囲の人々の目は冷たい。私はヘンリエッタとレイ兄様の仲を邪魔する悪者に仕立て上げられていた。
レイ兄様はそれを知っていて、私がこれ以上孤立しないように、私を遠ざけている。兄様が寮に入ってからほとんど話をしていないのよ。それでもヘンリエッタは私の存在自体が気に入らないようだ。
「あなたが悪いのよ! あなたがいるからレイフォード様は私に目を向けてくれないのよ!」
ヘンリエッタは憤慨しながら私を突き飛ばした。
そこは階段の上。
無防備だった私は手すりを掴むことも出来ない。
不覚だった、貴族令嬢がまさか暴力に訴えるなんて! 突き落とされるなんて思ってもいなかった。
驚いた顔のヘンリエッタが私に手を伸ばした。彼女もそんなつもりはなかったのかも知れない、私は彼女の手を掴もうとしたが、それは届かず、私は落下していった。
* * *
あれから何日経ったのだろう。
そろそろ復学しなくては……私はベッドの上で重い身体を起こした。
ヘンリエッタに階段から突き落とされた私が意識を取り戻したのは自室のベッドだった。大きな怪我はなかったようだ。
誰も付き添ってくれていないのが寂しかった。母もずっと体調を崩しているし、レイ兄様は寮生活、父は家に寄り付かない。
そして今朝も誰もいない。
貴族とは名ばかりで、うちには侍女もメイドもいない。みんな辞めてしまった。それは仕方ないことだ、給料が払えないんだもの。
我が家は一年ほど前、義父が事業の失敗で多額の負債を抱えてしまった貧乏貴族。領地をすべて売り払っても今後貴族税を払える目処は立たない、爵位を返上しなければならない崖っぷちに追い詰められ、長年勤めてくれていた執事や侍女も全員解雇せざるを得ない状況に陥った。
レイ兄様は王立学園に通っていたが、退学して働く決心をしていた。平民になっても、自分が私と母だけは養うと言ってくれていた。
そんな我が家に手を差し伸べたのが、私を突き落としたヘンリエッタの家、マクガイヤー伯爵家だった。
王立学園入学当時から、金髪碧眼で眉目秀麗、その上頭脳明晰で運動神経も抜群なレイ兄様は令嬢たちの注目を集めていた。もちろん一番人気はルルーシュ王国王太子のクリストファ殿下だけど、所詮は高嶺の花、手が届かない存在である。しかし子爵令息の兄は違う、十分に狙える相手なのだ。
ヘンリエッタは当初からレイ兄様に付き纏っていたらしい。相手の迷惑など考えない、すべてが自分の思い通りになると信じている傲慢で我儘な令嬢をレイ兄様は完全に無視していた。
しかし、相手にされないのは『恥ずかしがり屋の彼は、私のように美しい淑女を前にすると緊張してしまうのね』などと訳の分からないことを言っているらしいと、レイ兄様は嘆いていた。
ヘンリエッタに限らず、兄は群がる令嬢たちに目もくれなかったが、そんな矢先の我が家の危機、いち早く行動に移したのがヘンリエッタだった。
家格が上で裕福な伯爵家からの正式な縁談、そして援助の約束。しかし、それには条件があった。兄が王立学園を卒業すると同時にヘンリエッタと結婚して、現チェルシー子爵は引退して兄に爵位を譲ることだった。
それまでは家を維持する最低限の援助で、兄が爵位を継承してから、本格的に子爵家を立て直すための共同事業に参入させてくれると言うものだった。
我が家にとって、また兄の将来にとっても好条件だった。
三十代で隠居させられる父には屈辱的だが、子爵家存続のためには呑むしかなかった。
父は、事業に失敗して長年続いた子爵家を没落寸前にまで貶めたのは自分なのに、この若さで強制的に引退させられることが不満だった。自分の人生が全て否定されて、なにもかもが終わったように感じて自棄になった。毎晩市井へ出て酒を煽るようになり、家に帰らなくなってしまった。
そんな父の姿を見て母は心を病み、魂が抜けたような日々を送っている。
明るかった我が家は幽霊屋敷のごとく陰気になった。
子爵家存続のために受けた援助、それでよかったのだろうか? 兄はどう思っているかわからないけど、私は平民になっても良かった、もちろん私も働くし、家族が一丸となって頑張れば生活していけたのではないだろうか、少なくとも今よりかは明るい家族として。
私を突き落とした後、ヘンリエッタは逃げたのだろうな。でも、彼女を訴えることは出来ない、泣き寝入りするしかないのだ。
私は着替えをすませて食堂へ下りた。
母が先にテーブルに着いていた。パンとスープだけの簡単な朝食は、母がいつも用意してくれている。
「おはよう」
挨拶は返って来ない。ずっとそんな感じだ。心配だが専門医に診せる余裕はない。マクガイヤー家の援助は今のところ生活に必要最低限だけだ。それなのに父は酒代に変えてしまう。母の精神と身体はいつまで持つだろうか。
ヘンリエッタと婚約が調ってから、レイ兄様は私を避けるようになった。
『俺には婚約者ができたんだ、他の令嬢と親しくするのはマナー違反だ』
『他の令嬢って、私は妹なのに』
『血は繋がっていない』
そうなのだ、私とレイ兄様は血の繋がらない兄妹だった。
レイ兄様の実母が亡くなったのは十年前、その一年後、未亡人だった私の母とチェルシー子爵が再婚し、私は母の連れ子として子爵に入った。私が五歳、レイ兄様が七歳の時だった。
天使が舞い降りたと思った。黄金のように輝くサラサラの髪に宝石のような碧の瞳、浮かべる笑みは甘く優しくて、私は一目で恋に落ちた。レイ兄様が地味な私にどんな第一印象を持ったかは知らない。でも、すぐに妹として受け入れてくれた。
いつも後ろをくっついて回る二歳年下の妹なんて足手纏いにしかならないのに、邪険にすることなく面倒を見てくれた。兄様が大好きだった。レイ兄様も私を実の妹のように可愛がってくれた。
そう、実の妹のように大切にしてくれたけど、あくまでも妹、私と兄様の〝好き〟には大きな隔たりがあることもわかっていた。
ともあれ夫婦仲も円満で、一年前まで私たちは幸せな家族だった。
ヘンリエッタは私と兄が血の繋がらない兄妹だと知って、警戒心を露にした。独占欲が強く嫉妬深い彼女から見れば、血縁者でなければレイフォードの周りをうろつくただの女だ。
きっと兄は私の身を案じて距離を置いたのだろう。ヘンリエッタの兄への執着は異常なものがあったから。
そんな理由で、私は兄から徹底的に避けられ、無視されるようになった。
それでもヘンリエッタは私が気に入らなかったのね、レイ兄様に愛されないのは、自分の性格に問題があるからでしょ!
数多くの作品から、目に留めてお読み頂きありがとうございます。短編にするには少し長いかなと思って連載にしました。12話くらいで完結予定です。
この作品は、「霊感令嬢はゴーストの導きで真相を究明する」の人物が登場しますが、前作を読んでいなくても、問題なく読んでいただけます。でも、前作も読んでいただければ幸いです。




