事件の幕引き
翌朝のテレビ報道は、その男があっさりと逮捕されたという話題で持ち切りだった。被害者と金銭トラブルを抱えていたという情報も次々と明るみに出て、ワイドショーは大喜びで掘り下げている。
客観的に見れば、警察の捜査は順調そのもので、事件はあっという間に解決へ向かったと言っていいだろう。
喫茶店に駆け込んできた依頼人の青年は、その報道を確認してからこちらへ来たらしい。
居合わせた常連客が声をかけるより先に、青年はまっすぐ桐原を睨みつけた。
桐原は例によって、いつものカウンター席でゆっくりとコーヒーを飲んでいる。
「犯人、捕まりましたよ。警察が決定的な証拠を掴んで、もう犯行動機まであちこちで報じられてるんです」
「そりゃ良かったじゃん。だから最初から、警察がいれば十分だって言ってたでしょ」
桐原はまるで嬉しそうに見えない。
淡々とした声の裏には、どこか楽しげな色も混ざっているようだが、それを読み取れるのは長年の常連ぐらいのものだろう。
青年は苛立ちを隠さないまま言い募る。
「結局、あんたは何もしなかったじゃないか。 ‘探偵’ を名乗るくせに、ぼくの力になろうともしてくれなかった。これじゃあ、ただの傍観者ですよ!」
すると桐原はゆっくりと振り返り、くつくつと笑った。
「本気で ‘探偵がいないと事件は解決しない’ と思ってたの? 警察に任せればいいって、ずっと言い続けてたじゃん。俺はそれを証明しただけなんだよ」
青年のこわばった表情が、怒りを通り越して困惑に変わる。
近くにいた客たちが固唾を飲んで成り行きを見守る中、青年が声を絞り出す。
「お前、本当に ‘探偵’ なのか?」
「さあね。 ‘探偵’ って名乗れば面白そうだったからやってみただけ、かもしれないね」
あまりにも無責任な発言に、一気に喫茶店内がざわつく。
マスターや常連が互いに目を見合わせていると、青年はなにやら紙切れを取り出して、桐原の前に差し出した。
「実はぼくも、もう黙っていられなかったんだ。あんたの事務所の存在を調べようといろんな人に聞いて回ったら、あんたが ‘ただのミステリ好き’ だって証言する人が出てきたんだよ。 ‘探偵免許? そんなの持ってるわけないよ。いつも小説の話ばっかりしてるただの読書家だ’ って」
周囲から「やっぱり」「そういうことか」と小さな声が上がる。
誰もが感じていた違和感が、ここではっきり形をとったのだ。
桐原は全く動じない。むしろおかしなほどに落ち着いて、しれっと答える。
「ほら、現実見た? 俺が ‘実は本当に有能な探偵でした’ みたいな劇的展開を用意すると思った? 悪いけどね、俺は昔っからミステリーが好きなだけの一般人なんだ。好きが高じて ‘探偵ごっこ’ を始めてみただけ。人は何でも勝手に期待してくれるけど、実態はそんなもんさ」
マスターが複雑そうな顔をして、「それで? 何がしたかったんだ」と問いかける。すると桐原はコーヒーをすすり、言葉を続ける。
「フィクションの探偵なら、鮮やかな推理で警察を出し抜く。読者は ‘やっぱり探偵はすごい!’ とか憧れるよね。でも現実はそんなに劇的じゃないだろ。警察が捜査して、証拠が出れば犯人は捕まる。それが当たり前。俺みたいなのがいなくても事件は終わるし、それでいいんだよ。 ‘現実を味わってみなよ’ って言いたかっただけ。悪趣味だって自覚はあるけどさ」
青年は虚を突かれたように言葉を失う。
こんな理屈があるのかと呆れる人もいれば、どこか納得してしまう常連客もいるようだ。
「探偵免許だの届け出だの、元から全部曖昧なままで済ませてたのもそのためか?」とマスターが投げかけると、桐原は軽く肩をすくめた。
「きちんと取り繕う気もなかったし、バレたらバレたでそれまで。……とにかく、これで事件も解決したんだから、めでたしめでたしじゃないの?」
青年は言い返そうとして口を開きかけるが、言葉が見つからないまま唇を震わせている。
桐原は残り少ないコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
「まあ、あんたの期待を裏切ったかもしれないが、それが ‘リアル’ だと思ってくれ。華麗な謎解きが見たいなら、俺じゃなくてミステリー小説を読んだ方がいい。そっちの方がずっとエンタメ性が高いし、面白いだろ?」
彼はそう言うと、軽く笑い、マスターに勘定を投げて寄こす。
店内の誰もが言葉を飲み込んだままだ。あまりに呆気なく、そして皮肉に満ちた結末というほかない。
ドアを開けて外へ出る直前、桐原はちらっとこちらを振り返りながら口を開く。
「お前らもさ、探偵小説に夢見すぎんなよ。現実じゃこんなもんだから」
それはあまりに冷酷な宣告とも、ふざけ半分の捨て台詞とも取れる言い草だった。誰もが胸の中で ‘なんだこの展開は?’ と叫びつつ、何ひとつ反論できない。
こうして、桐原はそのまま路地へと姿を消していった。
残された依頼人や常連客、マスターは、しばし沈黙に呑まれたままだ。
突拍子もない事実が明かされたのに、妙な納得感と喪失感が同居しているらしい。
一人がぼそりと呟く。
「これが ‘探偵小説’? まさかただのミステリファンが ‘探偵ごっこ’ してただけだったとは……」
誰も続けて言葉を発しない。
たまたま通りかかったテレビのニュースを見れば、事件の犯人は全面自供しているという報道が流れている。
そう、事件はあっけなく解決した。探偵なんて、実際には必要なかったのだ。
ただ、桐原の最後の言葉だけは、耳にこびりついて離れないまま、喫茶店の小さな空間をいつまでも支配していた。