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呼び出された名探偵?

 薄曇りの午後、薄茶色のアパートが立ち並ぶ街外れに、パトカーの赤色灯がちらついていた。

近所の住民が戸惑い顔で玄関先を窺い、遠巻きにざわめいている。

室内からは何やら慌ただしい声が聞こえるが、ここは一般人が立ち入れる領域ではない。

殺人事件だという噂だけが先行し、入り口付近には規制線が張られていた。


 そんな場面に、気だるげな様子の男が一人。

くたびれたコートを羽織り、ずいぶんと軽い足取りで現場を覗き込んでいる。

男の名は桐原惣介――“私立探偵”という肩書きを名乗っているらしい。

顔立ちは悪くないが、どこか醒めた瞳をしていて、盛り上がる人混みから一歩引いているような印象があった。


「すみません、桐原先生……!」

 声をかけてきたのは、被害者の友人だという青年だった。

まだ若い。名刺を出すほどの余裕もなく、事件のことで頭がいっぱいのようだ。

「電話で失礼しました。今朝、別の知人から桐原先生の連絡先を教わりまして……」

「いやいや、いいって。ところで、あんたが連絡をくれた人?」

「はい。あの……こんなことを言うのもなんですが、本当に来ていただけると思ってなかったので、助かります」

 青年は確かにほっとした表情を浮かべている。

しかし、そこには不安も混ざっていた。実際に探偵がどんな存在なのか、想像がつかないらしい。


 桐原は軽く頷くと、アパートの一室へ目をやった。

そこは被害者の部屋らしく、ドアの前には刑事たちが立っている。

室内は荒れており、血痕らしき赤黒いシミが床に散らばっているのが遠目でもわかる。

青年の話によれば、被害者は二十代の会社員で、今朝早くに遺体で発見されたという。


「この状況、もしかしたら密室殺人じゃないかと思ってるんです」と青年は言う。

「密室ね。ま、現代のアパートで厳密な密室が成立するかどうかは別として、昔から定番のパターンはいくつかあるよ」


 桐原は急に興味を示すというよりは、しれっとした口調で言葉を継いだ。


「たとえばエドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』が密室トリックの祖と言われててね。それ以降、大抵のミステリーには“どうやって部屋を施錠したか”とか“外部犯行の形跡を残さずに実行できるか”って要素が出てくる。日本なら乱歩もそうだし、海外ならクリスティ、カー、クイーンあたりが有名だろ。綾辻行人の〈館シリーズ〉なんかは、屋敷そのものがトリックみたいなものだし……」


 話し始めると止まらない。

青年はまるで講義を受けているような気分になったらしく、思わず感嘆の声を漏らした。


「すごい……詳しいんですね。さすがプロの探偵、いろんな作品をご存じなんだ。僕も少しミステリーは読む方ですけど、それほどまでは……」

「昔から読んでるんだ。トリックといえばこれ、って感じで頭に入ってる。まぁ、現実の事件が小説と同じようにいくかは別の話だけどさ」

 桐原はポケットに手を突っ込みながら、どこか淡々とした調子で言った。


 そこへ刑事の一人が寄ってくる。

「あなた、探偵か何かですか? ここは捜査中なんで立ち入りはご遠慮願います」

「俺? ああ、まあ……呼ばれたから顔出してみただけだけど、捜査を邪魔する気はないんで」

 桐原の曖昧な態度に刑事は怪訝な顔をしたが、彼を追い出すこともなく、再び室内に戻っていった。検証作業がまだ終わっていないようだ。


 青年は気まずそうにこちらを見ている。

「そういえば、先生の事務所ってどこにあるんです? 落ち着いたらお礼に伺いたくて……」

 すると桐原は、ちょっと言葉を探すように口を閉じ、そのまま曖昧に笑った。

「事務所ね。まあ、形だけ作ってるようなもんで、場所もあっちこっち変わっててさ。落ち着いたら連絡するよ」

「そ、そうですか。探偵免許のことも含めていろいろ頼りになりそうだって……」

「免許? ま、そこらへんは大丈夫だから、あんまり気にしなくていいよ」

 それきり詳しい説明もなく、青年は拍子抜けしてしまう。しかし桐原の博識ぶりを目の当たりにしている手前、あえて追及もできないようだ。


「さて、ここは警察が隅々まで調べるだろうから、俺の出番はないだろうね」

 ふいに桐原が気の抜けた声を出す。

「え、もう帰るんですか?」

「うん、警察がやるから大丈夫だろ。下手に首突っ込むより、向こうに任せた方がスムーズに進むし。気になることがあれば後で聞けばいいしさ」

「そ、そんな……事件はどうなるんでしょう。見ての通り、あんな惨状で……」

 青年は戸惑いを隠せない。

桐原が勢いよく語ったミステリー理論を聞いた直後だけに、頼れる探偵だと期待していたらしい。

しかし当の本人は、まるで他人事のようなそぶりだった。


「まあ、警察は優秀だから。じゃあ俺、行くわ。なんかあったら電話して」

 桐原はそう言い残すと、踵を返して規制線の外へスタスタと出ていく。その背中は、あまりにもあっけなく消えていった。

青年はほう然としたまま、残された混乱の現場を見つめるしかない。


 まだ血生臭い気配の残る部屋を警察が丹念に調べる一方で、自称探偵の桐原は、殺害現場をまるで興味の薄い仕事場のようにあっさりと後にした。

青年が脳裏で繰り返しているのは、「あれほどミステリーに詳しいのに、このまま行ってしまうのか」という疑問――そして、「本当にこれで事件は解決するのか」という不安だった。

気になることは山ほどあるが、いまはそれを問い返す言葉すら見つからない。

どうやら、思っていた“探偵”とはずいぶん勝手が違うようだ。

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