【Primary】
「璃来ってさ、よくあんな地味な子といるね。何が面白いの?」
「地味、……って羽衣子のこと? すごくいい子だよ。話合うし、私は一緒にいて退屈なんかしないな」
二年生で同じクラスになり、関わりは多くても特別仲良くもない友人の嘲るような言葉。気分はよくなかったが、璃来はごく普通に返す。こんなことで揉めるのは面倒だ。
「そーいうのやめなよ、綾。いーじゃん、誰と仲良くしたってさぁ」
顔立ちもセンスも、何かと華やかで目立つリーダー格の未夢が、彼女を軽く窘めた。意外と姉御肌で頼れる部分もあるこの友人には、璃来も一目置いている。
所謂スクールカースト上位と評されるグループに属していることにはなるが、璃来は特にこの集団の特権など期待もしていない。そんなものがあるのなら、だが。
単に、一緒にいて楽しい時間が過ごせるからに他ならなかった。特に未夢は、同性からしてもなかなかに魅力的なキャラクターだと思っている。
「あ、そ、そうだよね。ゴメンね、璃来。未夢も」
「別にィ」
「うん」
焦ったように謝る綾に、璃来と未夢はおざなりに頷いた。
「あれ? 璃来ちゃん、お弁当のバッグは?」
下駄箱で上履きをローファーに履き替えようとしたタイミングで、羽衣子に訊かれる。
「あ! いっけない、忘れてた! ありがと、羽衣子。取ってくるから待ってて!」
「わかった。慌てなくていいよ~」
友人の言葉に甘えて、璃来は教室に取って返した。
誰もいない教室のドアを開けて、真っ直ぐ自席に向かう。
「あー、あった。なんで忘れんのよ、こんな目立つもの」
机の横のフックに掛かったままのランチバッグを手に取り、璃来は待たせている友人のもとに急いだ。
「お待たせ! 悪かったね、羽衣子」
「ううん。じゃあ帰ろ」
自宅の最寄り駅が隣同士のため、たいてい登下校は二人一緒に、が習慣だった。
高校に入学してすぐに仲良くなった。どちらかと言えばお洒落で目立つ方と見做されている璃来と、物静かで外見を飾ることは少ない羽衣子。
見た目からはバランスが悪いと言われることもあるが、少なくとも璃来は気にしていない。
他人がどう捉えようと、二人は互いに信頼し合える友人同士だった。
「ねぇ、あたしのクマがないの。バッグにつけてたマスコット。誰か知らない?」
翌朝、教室に入って来るなり未夢がクラスメイトに問い掛けた。
「自分で外してないんならどっかで落としたんじゃない? あー、でもスカーフついてて結構大きいから落としたらわかるか? ガッコ来たときはあったか覚えてる?」
「ううん、違うの。昨日教室に荷物置いたまま部室行って、戻ったらクマだけなかったのよ。スクバの中身もカーディガンもそのままだったのに」
グループの女子たちが騒いでいる。一応その一員である璃来は、話していた羽衣子に断って彼女たちの輪に加わった。
未夢のバッグチャームといえば、友人間なら即伝わる。
ハンドメイド作家の手作りだという、スモーキーピンクのクマのぬいぐるみ。
首元に、紺地に白や金の模様が入った綺麗なシルクのスカーフが結ばれていた。本人は自慢などしないが、他の女子の話では有名ブランドの品らしい。
それなりの大きさの本体にスカーフで、かなり存在感があった。
女子高生らしいのか、逆に幼稚なのか。
おそらく羽衣子あたりの持ち物だとしたら「ダサい」と陰口を叩かれそうだが、未夢には誰もそんなことは言わない。たとえ本音がどうであっても。
璃来も未夢の雰囲気にはあまりそぐわないと感じていたが、決して他人の趣味好みを否定などしない彼女に余計な口出しをする気はなかった。それこそ個人の自由であるし、クマ自体は可愛いと思っている。
「ホントに大事なのよ。他のものは教科書もなんでも買い直せるもん。でもあれは、……どうしよう」
常に自信に溢れた未夢の、いつになく弱気で心許ないこんな姿は初めて見た気がする。
彼女はさっぱりした性格で、モノに執着があるようには見えなかった。実際、教科書でさえ「買い直せばいい」と平然と口にできるくらいに。
結局、心当たりがあると名乗り出る者もなく、未夢の失くし物の行方はわからないまま始業の鐘が鳴る。
集まっていた皆はそれぞれ自分の席に着いた。
◇ ◇ ◇
「そんじゃ俺、ごみ捨て行って来るな」
清掃の時間。
教室の当番に当たっている男子生徒の一人が、後部ドア脇に置かれた大きなごみ箱を持ち上げながら他の当番生徒に声を掛ける。
「おー、いつも悪いな。慎也」
「坂本くん、モップ持って適当にやってるフリとかしないもんね。力仕事自分からやってくれて助かるぅ」
「いや、単にこの方が楽なだけ。フリのほうが面倒じゃね? それくらいならサボるわ、俺。ちゃんと掃除してるお前らの方こそエライじゃん。じゃあ、……あれ?」
軽口を叩きながらごみ箱を抱えて集積場へ行こうとしていた慎也が、ふと疑問の声を上げた。
「ん? 慎也、どした?」
「いや、ごみ箱の向こう側に……、間違えて落としたとか? いや、そりゃねえか」
「はぁ?」
男子数人が教室の後ろに固まって首を捻っている。
「ちょ、これ! これまさか、……未夢!」
不思議そうにしているだけの男子たちの元に、つかつかと歩み寄ってきた女子生徒が騒ぎ出した。
「いや、未夢は班違うじゃん。たしかあの子は音楽室じゃなかったっけ。なんなの?」
教室の中央に向かって大声を出した彼女に、女子生徒が次々寄って来る。
ごみ箱を除けた床の隅には、紺地の美しい布切れとピンクの塊。
知っている者ならすぐにピンとくる。未夢のクマと結ばれたスカーフだ。
音楽室から教室に帰って来た未夢は、埃に塗れたチャームに咄嗟に声も出ない様子だった。
「あのさ、未夢。昨日これがなくなったのって、みんなが帰ったあとなんだよね? 部室行ってたのなんてほんのちょっとでしょ?」
「そうだよ。十分も経ってないと思う。最初から顔出すだけのつもりだったから、置きっ放しにしちゃってて……」
気丈に振舞ってはいるが、時折震える声。定まらない視線。
「あのさぁ、実はあたし見たんだけど……」
「なによ、綾。知ってることあるならハッキリ言いなよ。未夢が困ってんだし」
こちらも強気な澄香に一喝され、綾が続ける。
「あ、うん。あの、昨日の放課後、璃来が教室入って行ったんだ。ちょうど誰もいなくなった時間。未夢が部室行くの見送ってからあたしも出てさ、そのすぐあとだったから」
「え、それって。……まさか」
ただの憶測が事実のように語られるまで時間は掛からなかった。
担当箇所である中庭の清掃を済ませて教室に足を踏み入れた途端、璃来は一斉に向けられた冷たい視線に立ち竦む。
「なに? どうし──」
「璃来、あんた未夢のクマ隠したんでしょ!? それとも捨てようとしたけどごみ箱から零れたの? やることがあんまりにも卑怯じゃない? 未夢があれ大事にしてるの知ってたからだろうけどさ」
綾に突然詰られ、璃来は何が何だか理解さえできなかった。教室内の雰囲気も、綾の言葉の意味も。
「え? あの、何言ってんのかわかんないけど、私そんなことしないって!」
「言いたいことあるなら直接あたしに言えばいいじゃない! あれはすごく……」
璃来の『釈明』に嚙みつくように捲し立てた未夢が途中で涙声になり、そのまま両手で顔を覆ってしまった。
「未夢、泣かないでよ~」
「ねぇ、これで満足なわけ? 未夢を泣かしてさぞ気分いいんだろーね!」
しゃくりあげる未夢の肩を抱いて慰める澄香を見やって、綾が璃来を罵る。
「き、気分って。私ほんとに──」
「璃来ちゃんはそんなことしない! 絶対しないから! なにかの間違いじゃないの?」
それまで口を挟むこともできずにいたらしい羽衣子が、璃来を庇うように綾を真っ直ぐ見つめて言葉を発した。
「羽衣子……」
内気というわけではないが、普段は穏やかでまず声を荒げる事などない羽衣子の剣幕に、彼女たちは一瞬怯んだようだ。
しかし「地味子ふぜいが生意気な!」と逆にヒートアップさせたらしい。
璃来だけではなく羽衣子まで道連れにされ、クラスの女子にぐるりと取り囲まれる。
詰問され責め立てられる中で、璃来は完全に身に覚えもない行為の『犯人』に仕立て上げられてしまった。
「神崎、俺が騒いじゃったから。なんかゴメンな」
「ううん、坂本くんは何も悪くないよ」
どうやら事態に責任を感じているらしい彼に本心から告げる。
璃来はその場にはいなかったが、クラスメイトにぶつけられた言葉で大体の事情は察した。
さらには、「やり過ぎだ」と憤ったらしい男子生徒が教えてくれたこともあり、不在時の状況はほぼ完全に把握したと思っている。
あの一件以来、璃来はクラスの女子に完全に無視されていた。
それなりに学力は高い進学校でもあり、手を出すどころか仕返しとして持ち物を隠されたりといったこともない。せいぜいすれ違う時に睨んだり、思わせ振りな笑いを浮かべてひそひそ話をするくらいだ。
結局はクラスで孤立させられているだけだった。羽衣子とふたりで。
巻き込んだ彼女にだけは申し訳ないが、璃来はたいして気に病んではいなかった。
そして羽衣子も、元から望んで交友関係が狭いこともあり、平気だと笑う。
心残りがあるとすれば、未夢の誤解を解く方法がないことだった。
彼女は決して睨みつけることも嫌味を言うこともない。そういう子ではないのはよく知っている。
ただ、あのバッグチャームは未夢にとって本当に大切なものだったようで、『捨てようとした』ことになっている璃来に話し掛けて来ることは一切なくなってしまった。
当然のように、彼女に追従して璃来を除け者にする友人が多いことが、クラスの空気に繋がっている。未夢自身は指示などしなくとも。
あの『事件』の前後で態度が変わらなかったのは羽衣子と、慎也を含む一部の男子だけだった。
──自分にとって、本当に価値のあるものがわかってよかったじゃん。羽衣子は私の一生の友達だよ。
強がりではなくそう思う。期せずして、人間関係をふるいに掛けたのと同じだ。
残ったのが、己の真に大切なもの。
「ねぇあんた、よく平気でいられるよね。あんなことしといて」
放課後、校舎内のエアポケットのように誰もいないその場で、璃来に絡んできた綾。今日は羽衣子は委員会があるため、図書室で時間を潰そうと階段を上り終えたところだった。
一人の機会を狙ったというよりはたまたまだろう。綾が羽衣子の存在を気にするとは思えない。
言い訳をする気はなかった。
言いたい、言うべきことはすでに飽きるほど繰り返して来たが、聞く耳を持たない相手には無駄でしかないとわかったからだ。
「ちょっと、無視してんじゃないわよ! あんたのそーいうとこがホンット気に入らないんだよね!」
無言で交わして先へ進もうとした璃来の腕を、綾が乱暴に掴む。
振り払おうとしてバランスを崩し倒れ込んだ先は、今上ってきたばかりの階段。
──落ちる……!
足が宙に浮いたと思う間もなく、痛みも感じないほどの衝撃。叩き付けられたのは身体か、頭か。それさえも定かではない。
徐々に遠のき、黒く塗り潰されて行く意識の中で、綾の悲鳴を聞いたような気がした。