ごめん、テレビの中に転移させちゃった。〜俺はリモコン操作で闘う男。時代は巻き戻し。〜
「ごめん、テレビの中に転移させちゃった」
身の丈よりも長い傘の形をした杖を握っている女の子が言う。
「ほんとごめん、ミス」
「いやいや、軽過ぎない?」
俺の声はスピーカーを越して観衆へ響いていた。と思う。画面を隔てているからどんな風に聞こえているかは事実不明だ。けれど、俺の認識としてはテレビ通話。こちらから関係者を見下ろすような景色的に、大画面にでかでかと俺が登場している予感。秘密結社のボスみたいな感じで。顔の前で手でも組んでみた方がいいだろうか、サングラスが無いのが悔やまれる……、……じゃない!
非常事態だ。
サラリーマン極まる現代社会からファンタジー極まる異世界……にあるテレビにまで俺を転移させた張本人は、うーんうーんと唸っている。
これ以上の厄介事、聞きたくないけど聞くしかない。
「今度はなに?」
「おっかしいなぁ。キミのこと、元の世界に送り返せなくて」
「え、俺一生このまま?」
「かもしんない」
「いやいやいやいや、他人の人生に対して軽過ぎない?」
あははと目を大なり小なり不等号にしたような笑顔を浮かべた女の子は、まるで反省が見られない。何なら後悔も見られない。飲み物こぼしちゃったわーたはーっくらいの軽やかさ。しかも零したのは水。
なんて、決め付けるのは良くないな。きっと、余りにことが重大過ぎて思考が追い付かないのだ。
ひとひとり、テレビの中に監禁しちゃってるわけだから。
「ちょっと、どうしたらいいか探ってみんね。他のみんなは解散して〜」
偉そうな責任者の方々を解散させないで欲しい。みんなで頭を悩ませて欲しい。散り散りにならないで。
そんな俺の絶望の表情を知ってか知らずか、広間からわいわいと騒々しく人々が光の中に去って行く。こんな困難な状況下、あんたたちに何を楽しく話すことがあるんだと手元にあるリモコンの音量を上げれば「失敗かぁ?」「だーから転移なんて無理って言ったんだよ」「上のさらに上のさらに上の人達がね、早く事態を解決させたかったらしくてね」「まあ何とかなるだろ。天才大魔法使いさんだし」適当な会話が流れる。
おいおい。俺は引き攣った笑みをするだけ。
「ごめんね〜。折角来てくれたのにテレビから出られんくて」
広間には魔法使いと呼ばれているであろう女の子と、テレビに映る俺の二人になった。最早これを二人居ると扱っていいのか分からないし、死角に人が居ないかどうかも分からないが。
先ずは不本意な台詞に突っ込みを入れる。
「いや、来てないよ。来させられたんだよ?」
「そなの? あたし、異世界に行きたいって強く思ってる人を召喚したよ。行きたくない人を連れて来たら可哀想じゃん」
「ぐっ……」
痛い所を突かれたな……。大正解。俺は異世界でなんかいい感じに強くなって、いい感じに楽しくやって、全部いい感じのエンディングを迎えて気持ち晴れやかに余生を過ごしたいと思っていた。
これはバチが当たったんだ。友情努力勝利よりも、なんかいい感じにhappyになることに重きを置いた転移を望んだ俺に。
「ねね。今そっちってどんな感じ? 転移は出来てる感触あるから、どこかには飛んでるんだよね?」
俺は周囲を見渡す。
当然、物理的にテレビの中に居るわけじゃない。
出入り口の無い小さな薄暗い部屋に居て、そこには映画館のように大きな画面と椅子が一脚あった。それから、リモコンがひとつ。
でっかい画面には見下ろすように異世界の一室が映っている。自然と女の子がこちらを見上げる形になっていた。
それを説明してやる。
「そかそか。こっちはねー、キミが広間のテレビにどんって映ってるよ」
「で、俺はそこから動けない、と。定点監視カメラを担っている、と」
「テレビを移動したら、そっちの視点も変わるんじゃないかなー?」
「移動できるのか?」
「うん……やってやれないこたぁない……よ……」
長めに取られた沈黙の間が難しさを物語っている。テレビ、動かすにはでかいんだろうな。
それにしても、テレビなんて俺の世界とほんとに異なるんだよな? まあ聞くまでもなく、灯りが浮いていたり、テレポート装置みたいなのがあったりするから違うとは思うが。ドッキリでもないんだよな……? 世界に類似点があるだけ。
魔法使いが杖の傘を開くと、ふわりとテレビの前まで浮いてくる。うわ、近い。覗き込むな。近い近い。
「画面に顔近付け過ぎ」
「あ、びっくりしたー? 照れたー?」
魔法使いは呑気な声音で応えながら僅かに身を引いたようで、大画面にドアップの顔が映り込むという状況は回避された。
「どんなとこか見ようと思って! たぶんね。キミはこの世界のどこかに居るんだと思う。思うというか、居るはずなの。確かにこの世界には転移出来てるんだもん」
「どこか……?」
「うん、どこか」
「んな、曖昧な……」
俺は肩の力が抜け落ちるのを感じる。言葉もはらはらと吐息と共に漏れ出るみたいで。
軽やかに浮いた魔法使いは続けた。
「外の封印を解かないと出入り口が出てこない感じかな〜?」
現代から転移してきた俺にも分かるように、ひとつひとつと現状を紐解いてくれる。残酷な現実を。
「……つまり、俺、ここに閉じ込められたってことだよな? 食べ物も飲み物も何も無いのに」
トイレも無ければ風呂も無い。想像するだけで最悪な最期だ。震える両手を頰に張り付かせる。
人差し指を顎に当てた魔法使いは、ん〜と目線を上げて考える素振りを見せた後。
「大抵そーいう部屋は魔物が待機していることが多いから、時間的負荷が掛からないように調整されてるはずだよ」
「それは助かる……じゃなくて! だいたいこの辺かな、っていうのも分かんない? 無理そう?」
「外部からの位置特定などの干渉が阻害されてる。非常事態用の出口が存在せずに出入り口の気配さえ無い。ってなると……」
「と? ……と? 予想あるんじゃないか?」
俺は画面に前のめりになって尋ねた。
魔法使いは視線をそっぽに向けて小さく口を開く。今日一番言いにくそうに、重たい唇をもって。
「……魔王城かなあ……」
「ま、……魔王城!?」
ってラスボスじゃないのか!? 無慈悲な事態に思わず声がひっくり返る。座っていたら、たぶん椅子もひっくり返ってた。気持ち的にはそのくらいの一驚度合い。
「うん。だから一筋縄で助けには行けないやも」
「あー、……あー! そうかー……。そうか……。けど、ここから出られたら元の世界に戻れるわけだ?」
「それはそう」
無慈悲な世界に一筋の光が差し込んだ心地だ。結局俺がどこかに存在する以上、何とか出られる術はある。それが難解であることには変わりないが、出られるという現実、それを直視できる。
魔法使いは首を傾げてこちらを見つめていた。
「元の世界、帰りたかった?」
「それは……まあ、確かに異世界に行きたいって強く思ってたから、俺も悪いんだけど……移住希望してた癖に実際来たら帰りたいとか抜かしてて申し訳ないんだけど……想像と違うというか……妄想と違うというか……」
「んーん。キミ、戦闘能力とかからっかし無さそうだもんね。国の偉い人たちは魔王を倒して欲しかったみたいだから、元の世界に戻ってもいいと思う」
とんだ期待外れということ。期待外れな上に、足を引っ張ってるというオチ。そりゃお偉いさん方はさっさと解散するわ。
「元の世界……。魔王城から無事に脱出できたらな……」
「任せて任せて。いっちょ忍び込んで探してくるから〜」
傘を閉じて床へと舞い戻った魔法使いが、ぴょんと跳ねて勝手に期待を受け取っていく。故に一拍置いて待ったを掛けた。
「は、俺は置いて!?」
「怖いし危ないし、待ってた方がいいでしょ?」
「いやいやいやいやいやいやいや! 自分よりも年下の子に任せてぬくぬく待ってられないから!」
「女でも大魔法使いだよ〜?」
「女でも男でも同じ! 自分より幾つも年下の子にだけ行かせられる訳ないだろ!」
「そーいうもん?」
「そーいうもん!」
「男の子でも?」
「男でも!」
「でもキミ、移動出来ないし」
「ぐう……」
それを言われたらぐうの音しか出せない。俺は定点監視カメラだ。
「他の媒体に移動出来たりしないもんね?」
「どうだろ……。やってみるか」
俺は手元のリモコンを睨め付けると、これだとチャンネルを変えてみた。
目の前の大画面がザザザッと砂嵐が起こるかの如く荒れると、突如暗がりが映る。さらにチャンネルを変えてみた。薄暗い部屋。黒。暗黒。漆黒。などなど。灯りが付いていないのか、そもそも映った先のテレビが倒れてるとかで何かを見ることが出来ない状態なのか。チャンネルの変更は機能していない。
暫くチャンネルを回したところで何かが映り込むこともないから、もとのチャンネルに戻してみると画面から魔法使いが消えていた。
……あれ? どこいった?
部屋の映り込む範囲を探してみても居ない。もしかして、俺が戻らないから魔王城に行ったか?
どうする……待ってみるか……?
迷いに陥れば、俺の転移した先である空っぽの部屋をうろうろと歩くしかなくて。
暫く経ってから、仕方なくチャンネルを変更してみる。
その内のひとつのチャンネルに映る眺めが明るくなっていた。
これもまた室内のようだから、誰かが灯りを付けたのか? ここは、……物置? 向こうのテレビは地面に乱雑に置かれているみたいで、少し斜めっている。先程のチャンネルとは変わって見上げている形だ。
遠くからこつんこつんと足音のみが近付いてくる。
正直、割りとホラーだ。俺の居た現実世界なら幽霊なんて信じちゃいないが、ここは異世界。いきなりホラー展開だったり、グロテスクな展開が始まってもおかしくはない。別世界だから。
情けなくもドキドキハラハラと心臓が早鐘を打っていれば、ぬっと足が映り込む。
その足はゆっくりとした歩調で移動していた。
……! ……!!
俺はやばい! と直感的に思った。
この足の持ち主が誰かも分からない為に無言を湛えていたが、靴、ふくらはぎ、膝裏、太ももと映り込んでいる。
その曲線から恐らくは女性の足だろう。もしこのまま上の部分が映った時に、相手が短いスカートだったらどうだろう。俺は犯罪者だ。
急いだ。急いで声を張り上げた。
「止まれ! 頼む止まってくれ!」
まさか異世界で犯罪者になりたくはない。足でも十分にアウトかもしれないが、これはまだ事故の範疇だと思いたい。
俺の声に反応した足の主は、こちらへと近寄ってきた。念の為に両手で目を塞いでおく。俺に見られていると思っていない女の人を見ているのは避けたい。
向こうの甲高い声がこちらに届いた。
「わーっ! 覗きだぁ!」
「うわあああああっ! 違います違います違います! チャンネル変えたらたまたまここが映っちゃったんです! 悪気はないんです! 大魔法使いさんに問い合わせていただければ」
俺は反射的に現状を素早く紡ぎ始めるものの、すべてを喋り倒す前に申し訳なさそうな声が挟まれる。
「えー……そこまで言わなくてもぉ……。分かってるよ。あたし、キミのこと驚かせてばっかりだね。ごめんごめん」
聞き覚えのある声音に双眸を塞いでいた両手をそうっと避けると、大魔法使いの顔が映り込んでいた。向こうで落ちてたテレビを顔の高さまで持ち上げてくれているみたいで。
「ああ……よかった……。また会えた……」
「疲れてるね〜。いきなり広間の画面から消えて、戻ってこないから探しに出ちゃったよ。こんなとこに居たんだ。埃まみれさん」
テレビがな。
わざわざこんな物置まで探しに来てくれたらしい。それには感謝したい。ありがとうと告げると、どーいたしまして? と疑問調で戻ってくる。
「でもよかった。このくらいの大きさのテレビなら持ち歩けそうだよ。両手のひらくらーい」
テレビを持ち上げて下ろして持ち上げて下ろしてを繰り返してその軽さを示してくれた。酔いそう。テレビ酔いしそう。口元を押さえながら確認を取る。
「なら、一緒に行けるな。……ちなみに魔王城潜入して大丈夫なのか?」
「魔王や幹部を倒すんじゃなくて、秘密の部屋を探しに行くだけだかんね。こっそりしたらいいんだよ」
「なるほど……?」
本当に大丈夫なのか。果てしなく不安だ。
そのまま手持ちサイズとなったテレビを抱えてもらって、現在居る建物の外へと出てもらった。振り返った画面に映り込むのは大きな城。どうやら城の広間のテレビに召喚されて、城の物置の小型テレビにチャンネル移動したようだ。
「そういえば、魔法使いさんの名前は?」
何かと呼び出し難い為に名乗りを求める。再度画面には魔法使いの顔が映り込んだ。世間話くらいの感覚だったが、返ってきた答えは予想外のもの。
「名前はないよー」
「え。名前、ないの?」
「名前はないね。あたし、国の大魔法使いの座に居るでしょ? 個人の名前は捨てさせられてるの」
「はあ? なんだよ、それ」
親から名付けて貰った名前云々はこの世界の価値観とそぐわないかもしれないから、わざわざ言うつもりもないが。他の奴らにはあるらしい名前が無いなんて。現実世界生まれの俺はその違和に何とも言えない気持ちになってしまう。
「じゃあなんて呼べばいいんだ?」
「傘の大魔法使い様とか呼ばれるよ」
「うーん……。もう少し短く」
「え〜。何でもいーよ? 名前は記号でしかないし」
矢張り現実世界生まれの俺とは価値観が異なるのかもな。それを押し付けたくはないけれど、傘の大魔法使い様か……。だからといって、勝手に名付けるのも烏滸がましいし……。
「じゃあ、相棒って呼ぶぞ。暫くの相棒。……いきなり距離詰めすぎか? 近距離に来すぎか? 呼んでもいいのか? 駄目に等しい?」
両手をかさかさ動かしつつ質問の嵐。人間関係心配性の俺は距離感を測る。
魔法使いは心配不安を諸共せずに破顔すると。
「あはっ。……あはは! なにそれ〜! いいよ」
「いいのか」
「とうぜん! 相棒かー。あたし、キミにでっかい借りがあると思ったのに。そんな平等な感じでいいの?」
「まあ事故のようなものだろ。それに、問題を解消して貰えるなら別にいいよ。次は気を付けてなってだけ」
「ふーんふん。相棒か〜。この大魔法使い様の!」
「な、なんだよ……。弱小の存在だろうけど我慢しろよ……」
「いーよいーよ。相棒なった!」
魔法使いは未だにくすくすと笑いの破片を零していく。上機嫌が組んで取れるから、許されているのだろう。
「キミの名前は?」
「俺だけ名前呼ばせるのもあれだろ。適当に呼んでくれればいいからさ」
「んじゃね、あたしはキミのことダーリンって呼ぶよ」
「だあーーーりん?」
「ダーリン。この呼び方かわいいなーって思ってたから」
「それだけ?」
「それだけ」
「…………じゃあま、いいか。……いいのか? いいか。交際関係の相手だけに使う呼び方でもないしな……うん……」
「だめ?」
「むずかゆい」
「いいってことだね」
相棒は楽しそうに笑っていた。
テレビの中に転移させられた俺と転移させた傘の大魔法使い様、改め、ダーリンと相棒。
「テレビ、バッテリーとか入ってんの?」
「ばってりい?」
「動かす素……?」
「分かんないけど、これは魔法石で動いているよ〜」
今、そんな物語が始まっ
「大変だーっ! 魔物が出たぞー! 上級の魔物だ! 逃げろー!」
突然荒げた声が響き渡る。相棒がテレビを外側に抱えたまま声の方向に転じたために、俺も自ずとそちらに向き直った。
人々が恐怖に怯えた表情を浮かべて逃げ惑っている。ほんの少し前までは平穏な空気だったのに、一瞬にして悲鳴と怒号の色に塗り変わっていた。
画面の端に開いた傘が映り込む。
「ちょい待ってね。やっつけてから魔王城行くから」
「俺はいいけど、大丈夫なのか? 上級の魔物とか言ってたぞ? 強いんじゃないか?」
「そーかもね。心配しないで。キミを迎えに行くまでは死なないように頑張るよ」
「そういう意味じゃなく、うおわっ!?」
視界が一気に上空へと切り替わる。画面下部に街が広がっているから、遥か上へと刹那で飛び上がったのだろう。
そうして周りを見渡していく画面は、混乱の正体を捉える。
「ど、ドラゴン?」
思わず口に出た。現実世界で言うところの巨大な赤いドラゴンが目の前で羽ばたいている。ドラゴンって絶対強いだろ。例に漏れず強キャラだろ! 先ず、でかい。
「知ってるんだ? あれはドラゴン。上級の魔物の中でも最上級だね」
「勝てるのか!?」
「勝てなくても戦うのが大魔法使いなんだよ」
再び画面が揺れたかと思えば、映り込む傘の先端から氷の刃が大量に放たれる。ドラゴンに向かって真っ直ぐに。
しかしドラゴンが火を噴いてそれらを溶かし尽くしてしまった。
……場違いな感想だけど、魔法の一人称視点ってすごいな。迫力がある。
再び映り込んだ傘には、雷と水と貴金属のようなエフェクトが走った。次ぐ瞬間には雷の渦と、水の砲弾と、貴金属の刃が止め処なくドラゴンに襲い掛かっている。幾らかのダメージを与えることは出来ているが、その巨体を怯ませるまでいかない。
直ぐにドラゴンはこちらまで届くほどの長い火を噴いてきた。
目の前で開いた傘がくるくる回って結界を張り、業火を防いでいる。散り散りに四囲へ流れていく猛炎は見ているだけで体温が上がっていくようだった。
汗ばんだ手を強く握り締める。負けてない。負けてない!
そして画面の大半に映り込んだ傘がぱたんと締まると、そこは、その眼前は、鼻先は、赤で埋まっていた。赤い鱗。硬い、鱗。
「え?」
その素っ頓狂な音を漏らしたのは俺か相棒か判別も付かぬまま、頭上からの強い衝撃に息を呑む。
どうやら、ドラゴンの尾が頭から振り下ろされたみたいだ。
防御も間に合わずにまともに物理的な攻撃を食らってしまった。
「相棒!」
叫声虚しく相棒の身体は地面へと叩き付けられる。
辺りは砂埃が舞って視界が悪い。
「相棒!」
何度呼んでも返事が届くことはない。
まさか、死んだなんてこと、ないよな?
段々と画面が明るみになる。小型テレビは投げ出されていたみたいで、世界がひび割れた横向きになっていた。
その隅に、小さく、倒れた相棒が映り込んでいる。
ぴくりとも動かない。気絶しているだけ? いや。赤がじわりと地面に広がっていく。明らかに無事とは呼べない。
俺は安全が保障された一人きりの部屋で尻餅をついた。街が燃え始めている。画面を満たす赤が増えていく。
「相棒……なんで、こんな……」
あんなにも和やかな時間が流れていたのに、崩壊は一瞬だった。
魔王城に忍び込むんじゃなかったのかよ。こんなところで何やってるんだよ。
……悲しいかと問われると、それは衝撃に近い。ショックに近しい。放心か喪心か。今後の自分の状況よりも、ただただ、戦って、一瞬で消え失せた年下の女の子の命に想いを溶かす。
俺は震える手でリモコンを拾い上げると、祈りとともにボタンを押した。
巻き戻し。
画面の中が大きくブレると、世界を染めいく赤が失せていく。
「も、戻ってる……?」
また空を飛んで、また地面に下りて、相棒が楽しそうに笑ったからそこで慌てて再生を押した。
「いいってことだね」
これは俺の呼び名の話をしている時の、相棒の最後の台詞。
世界が巻き戻った。元通りだ! 相棒が生きている!
「あ……ああっ……! よかった! 死んだかと思った……っ!」
俺の突然の張り裂けそうな言葉に、画面に映る相棒は双眸をきょとんと丸めている。そりゃそうだ。相棒は、自分が死ぬことなんて知らない。
不思議そうに、緩やかに首を傾げていた。
「どしたの?」
俺は覗き込む瞳と真剣に見合って声を大きくする。今必要なのはマジだと伝える必死さ。
「いいかよく聞いてくれ! 馬鹿げて聞こえるとは思うが、俺はどうやら世界を巻き戻す力がある。そして今巻き戻ってきた。この後ドラゴンが現れて、隙をつかれて相棒は死ぬ」
「え、え、……えぇ? いきなり、なに? 怖いんだけど」
「いいから! その時機は言う!」
「え、えぇ〜!?」
戸惑いを全面に押し出す相棒の背後で悲鳴が響く。ぴくっと肩を反応させた相棒は、一驚に際して強くテレビを抱き締めていた。
「ほんとに何か来たぁっ」
「無理はするなよ!」
相棒は一気に飛び出していきそうな心配がある。
今回もうまくいかなかったら、また戻ればいい。確かにそれはそうだけど、もうあの光景は見たくないから。赤で染まる光景なんて心底うんざりするだけだから。
「相棒! ドラゴンを倒す手立ては何かあるのか!?」
「えーとえーと、赤い鱗がすんごく硬いから、魔法使いでひたすら攻撃して削ってくしかない!」
「他には!?」
「ない!」
「ドラゴンの移動先が分かったら、転移させられるとかさぁ!」
「それはっ……出来るやも」
「出来る!?」
「罠みたいにあらかじめ魔力をその場に仕掛けておけば! たぶん……出来ると思う……? ただ相手が巨体で魔力耐性も強いから、ほとんど全部の魔力を密度濃く注がなくちゃ! 移動中に触れるくらいじゃだめだよ! 立ち止まる、決定的な場所が分かんないとむり〜!」
「できる!」
「できちゃうんだぁ!?」
俺の自信に、相棒はずっと惑っている。眉を下げて困っている。本当は、前回と同じように物語が進むとも限らないから、うまく出来ないかもという後ろ向きな考えだってある。
あるにはあったって、敵を目の前にして、出来るか分かんないなんて味方に言ってられないだろ。
「今から相棒が飛び上がる場所の、真ん前! 方角は城と反対! 攻撃二発分と一回の防御の魔力を残して、後は注いじゃって!」
「なんで飛ぶって分かった……? それ以外全部注いじゃうのって……でも注がないと転移させられる気がしないし……、……う〜っ! ダーリン信じてるよっ」
相棒が勢いよく地面に杖の先端を付けると、ドラゴンを囲えるほどの魔法陣の光がそこに刻まれた。
次いで一瞬間にして上空へと浮き上がる。ドラゴンが居た。方角は覚えていた通りだった。
「一発目! 真っ直ぐに打って問題ない!」
「やっちゃうよーっ」
前回と同様、幾つもの氷の刃がドラゴンへと切り掛かっては、灼熱の炎に溶かされて消えた。
「二発目! これも真っ直ぐに!」
「えーいっ、いっちゃえ〜!」
ここは前回と異なって、水の砲弾のみが飛んでいく。俺は分岐した物語に体を強張らせていた。この選択肢で、誰が傷付くか、誰かが救われるか。どうなるのか、まだ見ぬ末に。
「炎がここまで来るから防御して! その間に一気に目の前まで距離を詰められる! そこで転移させよう!」
「まっかして!」
目の前で開いた傘が素早く回って結界を張る。業火が四方へ散っていった。覚えのある光景。
来る、来る、そう構える心臓が言葉をそのまま音と成す。緊張感が画面外まで漂っているのか、心なしか、相棒の杖を握る手も強い。
そして、とうとう猛火の攻撃が止んだ。
「傘を閉じた瞬間! そこだ!」
画面に映る傘が閉じられて、その先に、苛烈な赤が苛んでくる。準備をしていた相棒は狼狽えることなく杖を半回転させながら「くらえっ!」と叫んで魔法陣を起動。
その陣に沿って、地面から眩い光が天高くへと伸びていった。当然、その光はドラゴンへと刺さる。
「ピッタリだねっ」
相棒は無邪気な声をもってドラゴンの存在そのものの転移に取り掛かった。魔法陣がドラゴンの硬い皮膚に纏わり付く。ドラゴンも負けじと暴れて振り払おうとした。
「相棒……!」
「へーきへーき! こっちは異世界の守護がある大魔法使いだもんね」
杖を握る手をぎりりと締め上げれば、ドラゴンのけたたましく轟いていた咆哮が鋭利に途切れる。目と鼻の先、そこにあった赤も消えた。まるでそこに最初から居なかったかのように、ぶちりと。
転移は成功した。しかし。それにしても。あんな巨体。
「……どこに行ったんだ?」
「今頃は海の底だよ。どうなるかは分かんないね。死なないとは思うけど、ドラゴンは総じて水に弱いって言われてるし。他に飛ばせそうな場所も無かったし?」
「じゃあとりあえずは、助かったってことか……」
「ダーリンのおかげだ」
「いや、相棒の強さのおかげだろ?」
「ダーリンに命を救われた」
「救えなかったから今があるんだよ」
「そんな未来は知らない。あたしは救われたし、みんなも救われたよ。ありがとねっ」
なんだか全身の気が抜けた。あんな未来、相棒は知らなくていいよ。あんな痛み、あんな苦しみ。
いい感じに楽しくやって、全部いい感じのエンディングを迎えて気持ち晴れやかに余生を過ごし、なんかいい感じにhappyになってくれ。そうあってくれ。
「……あのさ、その巻き戻しで、転移する前に戻ったらいいんじゃない?」
「あっ」
「キミのこと、忘れるのはもったいないけどね」
「ん……俺が忘れないでおけばいいだろ?」
「ふふ、いいよ。元気でやってくれればいいよ」
「それは、……お互い様だな」
画面を隔てて見つめ合う。元の世界に戻ったら、きっともう会うことはない。俺も彼女も互いが互いの異世界の住人。運命の気紛れで、ほんの少しだけ人生が交差した瞬間だった。ほんの一寸、肌が触れ合っただけだった。
「ばいばい、ダーリン」
「さよなら、相棒」
二つの目に寂しさが灯る。俺の指は僅かな躊躇を覚えてから、巻き戻しを押した。
全部、在るべき形に成るだけ。
景色が戻っていく。後ろへ、後ろへと。
「ごめん、テレビの中に転移させちゃった」
薄々勘付いてたけど、ここまでしか巻き戻んないかぁ〜!