3話 手紙と報せ
「――いったい、あんたはなにを言っているの? ……まあ、とりあえずお手紙ありがとう」
ランペルツ子爵領、ボルツ町の外れにある牧畜地帯。そこがアメリーの家がある場所だ。
お披露目会の記念品として万年筆をもらった。それを使っていっしょうけんめいに書いた手紙を、アメリーはそっと乾草庫の隅にある事務机の上へ置いた。宛名は『親愛なるカロルへ』としてある。
干草突きを壁に立てかけ手紙を取り上げて、一通り読んだ友人のカロルは、魅力的なそばかす顔を上げる。そして眉根を寄せて、開口一番アメリーへとそう言った。カロルはあまり本を読まないから、慣用句が伝わらなかったのかしら、とアメリーは思った。
クラリスのように遠くへ行かなくてはと思い、無事に王都から遠い場所であるランペルツ子爵領へと帰って来た。しかし、手紙の意味が伝わらないのでは自分の労苦が報われない。けれど、もしかしたらクラリスの手紙に対しても、みんなこんな反応だったのかもしれないわ、とアメリーは思い直した。
お披露目後、王都での観光もそこそこに、ずいぶんと憔悴した様子の兄とともにランペルツへ戻ってきた。自宅には、アメリーが首を長くして待っていた物が本屋より届いていた。『クラリスと恋の花束』の四巻、そして未読だった一巻と二巻だ。もちろんすぐに四巻を読んだ。続きが気になってしかたがないのだ。
そして、四巻によると――クラリスは、遠くへ行く際に親しい人たちへ置き手紙をしたのだ。
よって、アメリーもそれに倣い、こうして本人の目の前へ手紙を置いて回っている。カロルは三人目だ。みんな御礼を言ってくれるので、これはきっととてもいいことだ。
さて、気を取り直して家族にも置き手紙をしなくては。今日は週末なので、兄も町に借りているアパルトマンではなく敷地内のどこかにいるはずだ。たくさんの質問と日頃の感謝を書いたので、すぐにでも置き手紙をしたい。
王都を出る前に、アメリーは兄に連れられ病院と警察署へ行った。そして検査と聞き取り調査に応じなければならなかった。どうしてなのかしらと思い、質問は『あれはどうしてですか』と書いた。
兄を探して緑餌貯蔵室の周辺を歩いていたら、なぜかカロルも着いてきた。とても複雑な表情をしている。
「どうしました、カロル?」
「……あんたがなにしてるのかよくわかんなくて」
「まあ、カロルも経験がありませんか? わたくしも初めてです! これは『置き手紙』です!」
アメリーは手に持った紙束を見せて言った。カロルは一拍後に「ちょっと意味わかんない」と言った。きっと見てもらうのが早いだろう。
牛舎の中を覗くと、長身で黒髪の男性が清掃をしている姿が目に入った。アメリーは「オーバン!」と名を呼び、急いで紙束の中から彼宛の手紙を探し出す。
「はい、お嬢。おはようございます」
オーバンはこちらに顔を向けてにこやかに言った。作業を中断して歩いてきたので、アメリーはあわてて「そこで止まってください!」と言った。オーバンは夕焼け色の瞳を真ん丸にして足を止めた。
さて、どうしよう、とアメリーは思った。牛舎に机はない。どこに手紙を置けばいいのだろう。少しだけ悩んで、アメリーは数歩オーバンへ近づき、しゃがんで牛舎の通路に手紙を置いた。そして急いで元いた場所へ戻る。
オーバンは真ん丸の目を、手紙とアメリーへ行ったり来たりさせた。牛舎の奥で最近生まれた子牛が高い声で鳴いている。
しばらくの沈黙の後、オーバンは二歩で手紙にたどり着き拾い上げた。そして目を走らせるとやさしい表情になる。
アメリーはカロルを振り返って「こういうことです!」と言った。カロルは即座に早口で「いや違うと思う」と言った。
「……お嬢。たくさん褒めてくださってありがとうございます。あの、質問していいですか」
「はい、どうぞ!」
「この……最後の『つむじを見せてください』って、なんすか」
「つむじを見せていただきたいのです!」
アメリーから乞われるままにオーバンは通路に膝をつき頭を下げた。
お披露目会のときに、ベッドに引っかかっていた男性と同じ黒髪だ。しかしオーバンはクセのない髪質だった。つむじがよく見えない。ひと声「失礼しますわね」と口にしてから、アメリーはつむじを探した。オーバンが居心地悪そうに身じろぎする。
――なんと、右巻きだった。
「――右巻きでしたわ」
「なにがです?」
「つむじです!」
アメリーは天啓を受けた気分だった。――黒髪だからといって、つむじは左巻きとは限らない!
「……アメリー。あたし、あんたがすごくよくわかんない」
「つむじは右巻きと左巻きがあるのです」
「そんなのは知ってるよ。それがどうしたのさ」
「とても大きな違いです!」
カロルのつむじも調べると申し出たが頑なに固辞される。そして「そういうあんたはどっち巻きなのさ」と言われ、アメリーはカロルに調べてもらった。
「左だね」
「え⁉」
――なんたる、符合。アメリーは、お披露目会のときと同じく目の前がくらくらした。そうか、自分とあの見知らぬ黒髪男性は、共通点があったのだ。同じ左巻きつむじだった。クラリスが仮面舞踏会で、天敵であるはずの男性と惹かれ合ったように。アメリーもまた、あの男性とつむじで引き寄せられたのだ。そうだ、あの巻き具合いは立派だった。心からそう証言できる。
「――ねえ、アメリー。あんたがなに考えてるんだか、あたしはさっぱりわからないんだけど。たぶんあんたの思いつきはものすごくズレているから、よくよく考え直してから口にしなさいね?」
カロルの言葉にはっとする。そうだ、まだつむじと決まったわけではない。アメリーはこの考えを胸へ秘めた。持つべきものは聡い友人だと心底思う。
そこで「アメリー!」と遠くで兄の呼び声が聞こえた。牛舎を出て急いでその声がした方向へ走る。
「――ああ、アメリー! よかった、病院から報せが届いたよ!」
「お兄様、そこで止まってください!」
晴れやかな笑顔で両手を開いたまま、兄は止まった。先ほどオーバンへしたと同じく、今度は行き合った農道の真ん中へ手紙を置く。風で飛ばないよう小石を乗せた。
兄は「――なに?」と腕を広げたまま尋ねて来た。やはり着いてきたカロルが「置き手紙ごっこみたいです」と言った。
「ごっこ、とは失礼な! 立派な置き手紙ですわ!」
「うんまあ、手紙なんだけど。なんか違くない?」
兄は拾った手紙をにやにやしながら読んでいた。そしてアメリーへ向き直ると「うれしい手紙をありがとう。おいで、質問に答えよう」と牛舎ではなく家屋へと向かって歩き出した。
「おっと……カロルも来たのか」
「ダメでした?」
「――いや。……助かる。よかったらいっしょに話を聞いてくれ」
雑多な居間には深刻な表情をした父が居て、なにか大切な話がなされるのだとアメリーは勘付いた。カロルも少し驚いた顔をしている。促されてカロルと並んでソファに座ると、兄が砂糖入りのミルクコーヒーを二人に出してくれた。いよいよ、これは重大な事案だ、とアメリーとカロルは身をこわばらせる。
アメリーの父ボドワン・エリオは、口数が少ない朴訥な人柄だ。そして人類よりも牛と語り合っている時間が長い。そんな父がいっしょうけんめい、アメリーへなにかを伝えようと言葉を探している。
思えば、アメリーがお披露目会から帰って来て以来、ずっとそんな様子だった。アメリーは、父へ置き手紙をする機会を窺うが、今ではないと判断した。
兄が父の隣に座った。そして沈黙が落ちる。カロルがコーヒーを手に取ったところで「……わたしから話しますか?」と兄が父へ尋ねる。父が深くうなずいた。
「――アメリー。王都の病院の先生から、お手紙が届いたよ」
「はい」
「……だいじょうぶだったよ」
兄は深い息をついた。カロルがもぞもぞと足を動かした。アメリーはいったいなにが「だいじょうぶ」だったのかがわからず、疑問に思いながら「わたくしは、元々元気です」と言った。
「うん。……うん。あのね。あのとき、どんな検査をしたかわかるかい?」
「検査の服を着て、眠くなるお薬を飲みました」
「……うん。わたしがそうしてほしいとお願いしたんだ。おまえに嫌な思いをさせたくなかったから」
兄は視線をうろうろとさせ、父は両手を組み合わせその指先を見ていた。カロルが「あのー……これ本当にあたしが聞いていいやつです?」と尋ねた。
「――うん。うん。カロル。どうか君には、アメリーの支えとなってほしい。わたしたち男手では、きっと思い遣ってあげられない部分もあると思うから」
兄は深呼吸し、意を決した瞳でアメリーの顔を見た。
「……本当は、その場で結果を聞くこともできたんだ。けれど、わたしにその勇気がなかった。今後の助言も併せて、手紙という形で届けてほしいと医師にお願いしたんだ」
そして「おまえの乙女は、損なわれていなかったよ、アメリー」と述べた。
アメリーは首を傾げ、カロルは「あ⁉」と声をあげた。