1話 アメリーには夢がある
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こちら本日の1話目です
アメリーには夢がある。
いつかきっと、すてきな王子様が白馬に乗ってアメリーを迎えに来てくれるという、ささやかな夢だ。
彼は金髪碧眼で脚が長い美男子に違いない。それにきっと騎士様でもあって、とっても強い。昔もらった絵本にそう描いてある。なので、きっと竜とかも倒してしまうだろう。そして伝説の宝玉を持ち帰りアメリーへと捧げてくれるのだ。
その誓いのキスでアメリーは百年の眠りから目覚め、二人は結婚し幸せに暮らす。その後王子様は毎日アメリーを「かわいい」と褒めてくれる。だって王子様だもの。とてもすてき。
そもそも自分が百年の眠りに就いていない事実や、竜は架空の動物である事実はアメリーにとって些細なことだ。願い続ければ夢は叶う。兄がくれた新進気鋭の女流作家の本にそう書いてあった。なのでそういうことなのだ。――願い続ければ、夢は、叶う!
そんなふわふわとした日々を過ごしてアメリーは十五歳になった。立派な淑女だ。お披露目会へ参加するため、生まれて初めて王都に来た。
アメリーは国の中でも東の端っこにある、ランペルツ子爵領に住んでいる。のどかで小さな地域だ。特産は牛。とても美味しい。そこからはるばる蒸気機関車を乗り継いで六日もかけて、兄と一緒にやって来た場所、王都。
とてもびっくりした。王都は、人よりも牛の数が多い子爵領とはまるで違った。そも、牛がいない。見渡す限り建物、建物、建物。そして人。なんと建物すべてに人が入っているらしい。
(――領の牛よりもずっと多い! こんなに多かったのね、人類! なんてこと……これでは、牛乳が、足りない!)
そんな動揺はありつつも、アメリーは無事、兄のエスコートにより社交界の一員になった。お披露目会には王都にいるすべての人類が集ったに違いない。いや、もしかしたら国中の人類かもしれない。世界中かも。
あまりの人の多さにアメリーはくらくらした。兄によって次から次へと見知らぬ人へ紹介されて行く。
自領の牛の顔と名前は記憶できる。しかし、人の顔と名前を一致させて覚えるなど、人類には早すぎる行為だ。兄はもしかして人を牛だと思っているのではないだろうか。なんて失礼な。あとできっちりと言って聞かせなければ。――と思ったところで、アメリーの記憶は途切れている。
さて。これはいったいどういうことだろう。
アメリーは今自分が置かれている状況を把握するため周囲を見回した。ベッドの上にいる。わけもわからず身を起こす。
部屋も、ベッドも、まるで見覚えがない。そしてスリップとズロース姿の自分。慣れないコルセットは外してある。だれかがお披露目用の白いドレスを脱がせたのか、胴体人形へ着せ付けてあるのが見えた。
そして。――アメリーは自分の左手側へ目を落とした。
黒髪の男性が、ベッド端に、引っかかっている。
アメリーはじっとその左回りのつむじを見る。立派な巻き具合いだ。もしかして死んでいるのではないだろうかと思うほどにピクリともしない。
どうやら上半身だけをベッドに預け、床に膝を着いている様子だ。顔は見えず、知り合いなのかもわからない。そもそも、アメリーに黒髪の男性知人はいない。いや、いるにはいる。
(……オーバン……ではないわよね? メリーの出産へ立ち会うのに、今回はいっしょに来なかったのだもの。彼のつむじは、どちら回りだったかしら?)
アメリーの幼いころから、ずっとランペルツ子爵家の牛を世話してくれている働き者の黒髪男性を思い出す。しかし、背が高い人なので頭頂を見る機会がなく、つむじの巻き方向がわからない。お披露目の晴れ姿を見たいと言ってくれてはいた。けれどアメリーから名前を取った牛の初産を助けるために、彼は領へ残った。しかたがない。牛は大事だ。
それに、今ここに居る男性の腕では暴れ牛を牽引できないのではないだろうか。白いシャツ越しでもとても細いのがわかる。オーバンの二の腕はアメリーの二倍以上あるのだ。牛を一度に二頭しか引けない兄だって、もっと太いはずだ。だから違う、この人は黒髪であっても、オーバンではない。
とりあえず、だれなのかを確認しようとアメリーはベッドの反対側から這い出た。靴を探して周囲を見回すと、ドレスの足元にそろえて置いてあった。薄絹長靴下の脚でつま先立ちしそこまで行く。
生糸を織って作成された繊細なこの長靴下は、とても高価だとアメリーは知っていた。兄が奮発して買ってくれた物の中でも最上級品なので、汚し、破いては困る。きれいな慣れないヒールも、王都の百貨店でいっしょに見繕った。履いてひとまずベッドを回り込む。そして男性の顔を覗いた。
……険のある美形。なぜか眉根が寄ったまま寝入っている。アメリーにはまったく見覚えがない人物だった。
はて、とアメリーは考えた。これはどういった状況だろう、と。
自分は兄と一緒にお披露目の会場にいたはずだ。それはとても大きな広間で、世界中の人類が収容されてしまった。紹介された人たちをぼんやりと思い出す。その中に、この国ではわりとめずらしい黒髪の人はいなかったと思う。
兄は? 兄はどこへ行ったのだろう。そしてなぜ自分はどこなのかも知れぬ部屋のベッドで眠っていて、その傍らには見知らぬ男性がいるのだろう。少し考え、アメリーはあっと小さな声をあげてしまった。
(……これは、もしかして。――『クラリスと恋の花束』と、同じ状況ではないかしら⁉)
アメリーは以前、兄がくれた群像劇小説を号泣しながら読み、その作家の作品を買い漁り読みふけった。全力で感動し長文の感想を出版社へ送ったところ、お礼のはがきが届いた。手紙は間違いなく著者本人に渡し、とてもよろこんでいたと報告してくれた。うれしい。そしてそこにはこうも記されていた。
『「イザベル・シュヴィヤールの肖像」シリーズをお楽しみいただけ嬉しく思います。ぜひ「クラリスと恋の花束」シリーズをお薦めしたいと思いました。こちらは筆者が別名で執筆している作品であり、弊出版社より刊行しております。きっとお気に召されるのではないでしょうか。』
雷に打たれたかと感じるほどの衝撃だった。まだあるなんて、本。もちろんアメリーはすぐさま町の本屋へ向かった。
ランペルツ子爵領はかなり、のどかな地方だ。本屋といえども小規模で、雑貨屋が併設されるほど品数も少ない。なので『クラリスと恋の花束』の在庫は一冊だけで、しかも三巻だった。他の巻を取り寄せている間、我慢しきれずにアメリーは三巻を読んでしまった。
びっくりした。――なんと導入場面は、主人公クラリスが見知らぬ男性と同じベッドで夜を過ごし、妊娠してしまう内容だったのだ!
「――なんということでしょう」
アメリーはつぶやいてわなないた。驚いてほかになにも考えられない。黒髪の男性はアメリーの声に反応もせず、息をしているのか不安になるほど深い眠りに落ちている。知っている。きっとお酒をたくさん飲んだのだ。仮面舞踏会で出会った二人は、一夜の恋に身を任せたのだ。どうしよう、わたくし仮面をしていなかったわとアメリーは思った。しかし仮面より重大な事案がある。
(――逃げなければならないわ!)
曾祖母が作ったお披露目ドレスへ手を伸ばし、見様見真似で着用を試みる。まずは腰回りの引き裾部分。腰に巻き付けてしっかりと留める。コルセットをしていないので、前にくるはずのレース飾りが右腰にきてしまった。そのまま上衣をかぶり袖に腕を通す。ああどうしよう、後ろを留められない!
きっととてもひどい見てくれになったはずだ。でもかまっていられない。すぐに逃げなければならない。
(――だって、この人はお父様の政敵の息子で、わたしのことを憎んでいるに違いないのだもの!)
『クラリスと恋の花束』の主人公である、クラリスと共寝をした男性はそういう素性の人だった。三巻にそう書いてあった。
焦るあまり、パニエを穿きわすれていることに気づく。半分に折って肩にかけてみると、ちょっとしたケープみたいになる。よし、これで行こう!
――アメリーの父は政治にいっさい関わりのない田舎貴族である事実。そして仮面をしていない男性の顔を見てもだれだかまるでわからない事実は、些細なことだ、とアメリーは思った。
びくびくしながらアメリーは部屋の扉へ近づいた。振り向いて男性の様子を窺う。まるで動かない。ノブに手をかけてゆっくりと下げる。そしてそっと押し開けた。
廊下は静まり返っていた。今が何時なのかもわからない。暗い中にぽつぽつとランプの光が落ちている。きっと真夜中だ。クラリスの場合もそうだった。アメリーは不安な気持ちで泣きながら早足で廊下を歩いた。
それに、きっと自分は妊娠してしまったのだから、かねてからの夢だった金髪碧眼の王子様のお迎えもないだろう。――とても悲しくて、しゃくりあげながらアメリーは廊下を進んだ。
「――アメリー⁉ どうしたんだい⁉」
少し明かりが多くなってきたあたりで、聞き慣れた声と行き合った。兄のセレスタンだ。自分と同じ亜麻色の髪と水色の瞳が見えたとき、安心して腰が抜けてしまった。兄はびっくりした様子で、目線を合わせるためにしゃがみ、アメリーの背をなでてくれた。
「今おまえの様子を見に行くところだったんだ。ひとりで部屋にいたから、さみしかったのかい? 具合はどうだろうか?」
とてもひどい格好をしているからか、やさしい声の兄は上着を脱いでアメリーの肩へかけてくれた。安月給を押してまで薄絹の長靴下を買ってくれた兄へ急激に申し訳なくなり、アメリーはわっと声をあげて泣いてしまった。
「アメリー、アメリー、だいじょうぶだよ」
ドレスごと抱き上げてあやしてくれる兄の腕の中で、アメリーはクラリスが取った言動を考えた。――彼女は勇敢だった。独りでも、運命に立ち向かったのだ。
「……ちょっと落ち着いたかい、アメリー?」
「――お兄様、お伝えしなければならないことがあります」
そう言うと、兄は廊下の脇にあったソファへ座らせてくれた。そして「なんだい、アメリー?」と穏やかな声で尋ねてくれる。アメリーは覚悟を決めた。
「わたくし、妊娠いたしました」
兄が硬直した。アメリーはパニエで涙を拭き、前を向くために顔を上げた。
(――遠くへ、行かなくては。そうよ。クラリスは、泣いたりしなかった。とても勇敢だった。自分と子どもを守るために、親しい人たちと別れを告げて、すぐに遠くへ逃げたのよ)
「――待ってアメリー、どういうことだ」
打って変わって固い早口で尋ねる兄へアメリーは口をつぐんだ。これ以上、兄を巻き込むわけにはいかない。これはアメリーの戦いなのだ。
今後の生活へと思いを馳せる。……不安だ。それでも、なにがなんでもこの子を守らなければならないとアメリーは思う。――クラリスのように。
(――領に戻ったら届いているかしら……『クラリスと恋の花束』の四巻……)