この世界の常識
真名がこの世界に転移してから1週間が経った。
現在、真名は訓練の休憩時間を利用して王立図書館にて調べ物をしている。
彼が読んでいる本は『煌皇国の歴史』という何の捻りもない題名の本。
そう、彼はこの世界の文化について調べているのである。
「……やっぱり僕たちの世界とは全然文化が違う」
この国の文化を乱暴に言うのなら、中世ヨーロッパ文化の構成要素を無理やり鎌倉~江戸に入れ替えたようなものだ。
例えば騎士団は武士団に、貴族ではなく大名に。使用する道具もベッドやベルなどの洋風ではなく布団や鈴などの和風になっている。
しかし全てが同じといくわけではない。
国の形は全然違うし、四季もない。宗教も女神を軸とした一神教だ。そして何より、住んでいる人たちは全員ヨーロッパ風の相貌。
真名が知る日本ともヨーロッパのどの国とも違う。
やはり異世界を元の世界で例えるには無理がある。
「文字も独特だね。ヨーロッパ風と和風が混じってる」
真名は文化だけでなくこの世界の字も勉強していた。
どうやら翻訳が効くのは口語だけらしく、文字は自分で学ばなくては読めないらしい。
幸い今は城の使用人を使って読み聞かせをしてくれるが、出来るなら自分で読めるようになりたい。
そのために調べた結果、面白いことが分かった。
この国には素字と組字という概念がある。
素字はアルファベットのようなもので、組字は素字を組み合わせて出来る漢字のようなものである。
一見すれば漢字文化に近いように見えるが、素字が組字より先に出来た事、そして素字はアルファベットに近いことからそうとも言い切れない。
これもまた異世界独特の文化といったところか。
「あとは魔法か」
もう一つ、この世界には魔法という技術が存在する。
体内の魔力というエネルギーを詠唱と魔法陣に込め、詠唱と魔法陣に組み込まれた式通りの魔法が発動する。
魔力は直接操作出来ず、使う際は詠唱と魔法陣を準備しなくてはいけない。
詠唱の長さや複雑さ、魔法陣の大きさや複雑さに比例して、流し込める魔力はより多く、魔法の効果はより詳細に設定出来る。
つまり威力や効果を上げたり、複雑な効果を発動するにはより手間を掛けなくてはいけないということだ。
魔力は個人差があるので、魔力の多い人は力押しで何とか出来る者もいるらしいが、ソレはほんの一握り。
大半の人間は簡単な効果の魔法を使う時も詠唱や魔法陣を必要としている。
魔法陣は特殊な紙を使った使い捨てタイプか、杖に刻むタイプの二つがある。
前者は種類こそは豊富だが使い捨てで威力も落ちる、後者は嵩張る上に高価なので何種類も持てない代わりに十分な威力がある。
要するに前者は万能型、後者は特化型といったところか。
あとこの世界では前者を符術、後者は杖術と呼ばれてる。
しかし、この原則を無視できるものがある。それが祝福だ。
祝福はそういったプロセスを必要としない。イメージによって全て補完される。
そして、祝福は使えば使う程伸びる。他にも伸ばす方法もあるのだ。
「……そりゃ利用するよな」
魔法は使うために何年も勉強し、修行する必要がある。しかし祝福は神に選ばれるだけで手に入る。
魔法は実力伸ばすために何度も練習し、しかも必ずしも成長するとは限らない。しかそ祝福は使うだけ伸びる。
魔法が技術のメインであるこの世界にとって、魔法を超える祝福とはまさに最強の武器。そりゃ強引な手を使っても欲しいと思うわけだ。
もっとも、だからといって戦場に送られることに真名たちが納得する理由にはならないが。
「おーい、佐藤さん! そろそろ訓練再開だぞー!」
「はーい!」
呼ばれた真名は図書室から出て、迎えに来た兵士に付いて行った。