弱者の一撃
「そ、ソイツよ! その豹みたいなのが皆を殺したの!!」
蛇原は、悲鳴のように叫んだ。
狼狽している。
無理もない。フロアボスとのエンカウント、そして自身のパーティの全滅。……一か月前までただの女子高生だった彼女が耐えられるわけがない。
「ソレを見たの?」
だが、彼はどうやら例外だった。
真名は構えを取ってレッサーコアルを睨みつける。
無論、恐怖がないというわけではない。その証拠に若干の震えがあった。
しかし、彼には戦う意思がある。自身の血肉を狙う猛獣と戦い、生を掴み取る意思が。
「実際に殺されるのを見たの?」
「え? いや…気づいたら、皆いなくなって……」
「じゃあ、まだ生きてるかもしれない。この獣は獲物を甚振るタイプだ。すぐ殺すとは思えない」
冷静に相手を分析する。
しかも、彼女を安心させる為に嘘を付いた。
本音としては既に死んでいると思うが、ソレを行っても彼女を余計に怖がらせるだけ。そういった気遣いが出来る余裕が今の彼にはあるのだ。
「グルル……」
不愉快そうに顔を顰めるレッサーコアル。
彼は、真名が冷静に構えているのが気にくわなかった。
何故この猿は俺に恐怖しない。さっきの猿のように、無様に逃げ回らないのだ!?
俺こそが食らう側であり、貴様はただの獲物。この関係は絶対の筈。だというのに何故絶望しない!?
そして何よりも気にくわないのはあの目。あれは戦う獣の目だ。
己の狩り捕った獲物や、或いは己の雌を守る為に雄がするもの。ソレが彼にとって堪らなく不快であった。
あの目を見ると、身体中の細胞が震えるかのような不快感がする。体内の血が凍るかのような寒気がする。これら全てがどうしようもなく彼は許容出来なかった。
彼自身は憶えていないが、その身体には刻まれている。
かつて、この小迷宮を攻略した冒険者に敗北した屈辱を。その冒険者に討伐された痛みを。そしてその瞬間に感じた恐怖を。
「グルオオオオオオオオオオオオオ!!!」
それらの恐怖をはきだすかのように獣は大音量で吠えた。
「(……大丈夫だ、落ち着くんだ僕)」
恐怖で震える体に鞭打って耐える真名。
先ず、冷静に整理する事で心を落ち着かせた。
このダンジョンは既に攻略されており、眼前のフロアボスも何度か討伐されている。
フロアボスは一度倒されて再び沸く際、弱体化する。故に劣化。このフロアボスは本来のボスの強さではない。
更に、攻略された小迷宮の魔物は、その詳細が一般に公開されている。
魔物の強さ、特性、どうやって倒したか等。真名はそれらを学び、対策していた。
「(念のため憶えておけと副隊長に言われたけど、憶えていて正解だった。……ありがとうございます副隊長!)」
学び、鍛え、対策している真名。
憶えず、己の強さに自惚れ、井の中の蛙となった劣化版。
この差が後に勝敗へと大きく出ることになる。
獣の力強い四肢が大地を蹴る。
ゆっくりとした足取りから一瞬で凄まじい速度に変わり、やがて疾走へと到達。
鋭い爪で床をえぐりながら、真名へと飛び掛かった。……と見せかけて。
「!?」
真名を飛び越え、その背後にあった木に到達。
ソレを蹴って再び跳躍し、また別の木から木へと飛び移る。
そしてまた別の木に、と見せかけて地面に降り立ち、真名の横スレスレを高速で通り抜けた。
凄まじい速度で縦横無尽に密林を駆け回る様は、映画などでよく見る忍者のようであった。
元来、獣は狩りにおいて無意味な行為をしない。
万が一反撃にでもあって怪我でもすれば、次の狩りに支障をきたす為だ。
故、獣はたとえ弱者でも全力で獲物を狩る。
しかし、この獣の行為はその鉄則の逆。
格下の獲物に実力差を見せつけ、心を折ろうという嗜虐的な遊びであった。
あの目が気に入らない。
何故か知らんが、あの目で見られると凄まじい不快感に襲われる。
気にくわないあの目を恐怖一色に染めてやりたかった。
だがしかし。どうやらあの猿はこちらの動きについてこれないらしい。
その証拠に、隠れてもいないのに何度かこちらの姿を見失っている。
所詮はただの猿だったという事である。
瞬間、本日二度目の爆笑したい衝動に駆られた。
こんな奴を警戒していた自分が馬鹿らしい。
もういい、十分だ。
こいつも他と変わらない。ただの獲物だ!
無様な姿は楽しめなかったが、代わりにその血肉で埋め合わせをしてもらおう。
気がつけば、既に獲物は爪と牙の射程内に入っている。
獲物を引き裂こうと、背後から飛び掛かって獲物に食らい突こうとした瞬間……
ゴオォンッ!
次の瞬間、激しい衝突音と共に意識が遠のいていった。
一体何が。
薄らぐ意識の中、レッサーコアルは必死に獲物へと視線を送る。
彼の視界には、獣のような前腕をした獲物―――雄淫魔が映っていた。




