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間話:借りの返済(1)

借りは忘れないうちに返却を、というわけで並行して間話のお届けです。

ぜひ、お楽しみくださいませ。

「簡単なことですよ、澪君。三日ほど私の奴隷になってください」


ある夏の日の昼下がり、行政院長室の応接セットに白蓮と並んで腰掛けた私は、向かいに座る蓬藍(ほうらん)に、わずかに首を傾げたお手本のように上品な微笑みを向けられて凍りついた。

一瞬、何も考えずに『はい、わかりました!』と即答したくなるような見事なお願いのされかただが、よくよく考えるともの凄いことを言われている。なぜ奴隷、しかも三日間限定、そして行政院長(ぎょうせいいんちょう)……。どんなバリエーションで検討してもその三つが少しもマッチしない。


そっと視線を動かして、隣に腰掛ける白蓮の様子を伺って私は再び凍りつく。白蓮は微笑んでいた。目にした途端に色々な意味で相手を秒殺するような恐ろしい微笑みだ。いや、表層だけ見れば慈悲深い神の権化としか見えないのだが……。だが、さすがというべきか蓬藍に動じる気配は全くない。それどころかこちらもほんわかした恐ろしい笑みを少しも崩していなかった。

私が行政院長と医薬院長(いやくいんちょう)の微笑み合戦の間に挟まれて固まっていると、白蓮が微笑みを崩さないままちらりと私の方を見て、先に自分の執務室に戻っているようにと命じた。


事の発端は数日前、白蓮宛に蓬藍から頼み事があるので相談したいという使いが来たことだ。その時点で、私と白蓮にはそれが例の夏煌祭(かこうさい)二日目の夜に、窮地から私を救い出してくれた蓬藍に対する『借り』の回収なのだと分かった。

あの夜の出来事は私の失態だ。多少の不可抗力があったにせよ、前の世界とこの世界の違いを肝に銘じ、もっと注意深く行動していれば巻き込まれる必要のなかったトラブルである。にも関わらず、その時もそして今回蓬藍から求められているその時の借りの返済にも、関係ない白蓮を巻き込んでしまう自分の不甲斐なさに私は泣きたくなった。

それでも白蓮は何も言わず、申し渡された約束の日時に淡々と都合をつけて、私と二人で蓬藍の執務室である行政院長室にやってきた。それで一体どんな落とし前を要求されるのかとドキドキしながら待っていて、言われたのが先ほどの奴隷云々である。予想の斜め上を行く内容に私は度肝を抜かれた。


白蓮に命令され、仕方なく一人で先に医薬院長の執務室に帰り、少しも身の入らない書類整理で時間を潰していると一刻ほどして白蓮が戻ってくる。先ほどの秒殺の微笑みは影をひそめ、すっかりと普段の通りの様子になった白蓮に安堵し、求められるままに茶を入れて執務机の脇で様子を伺っていると、話疲れた喉を潤すように茶を飲み干した白蓮が、至って平常通りの声で言った。


「引き受けた」

「え……引き受けた?」


私が素っ頓狂な声を出す。


「ああ」

「あ、えっと、ええ!? な、何で……」

「マシな方だ」

「は?」

「あの方の頼まれごとの中では、かなりマシな方だ。詳しい話を聞いたが、きっちり三日間で終わるし身の危険もない。他に面倒な依頼が来る前に、さっさとこの依頼を受けて借りを帳消しにしておいた方が、後々の面倒が少ないと判断した」

「あの……でも、奴隷に、私……」


私は頭が真っ白になって口籠る。


「大丈夫だ、本当の奴隷になるわけではない。三日間其方を蓬藍殿に貸出して、振りをさせるだけだ」

「振り……」


あの面談の恐ろしい雰囲気からすれば、本当に奴隷として譲渡されたとしても文句は言えないと思っていたので、少しだけ気が楽になる。しかし振りとは一体どういうことなのか、私の頭の中は余計に混乱した。


「……」

「貸出すなどと、まるで物のような扱いをして許せ」

「いえ、自分の身から出た錆ですから……。私の方こそ白蓮様にこんなご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません」


私は俯いた。


「過ぎたことだ、次に気を付ければそれでよい。一週間後、蓬藍殿は三日間の外遊に出かける。それに其方は蓬藍殿の奴隷役として同行する、それが今回の『相談』だ」

「外遊に、奴隷役で……同行?」


私は目を瞬いた。言われていることのイメージが少しもつかないのだ。外遊に仮初の奴隷役が必要な状況も理解できないし、そもそも別の世界からやってきた私には、奴隷という言葉自体に馴染みがない。それどころかこの世界でのこれまでの私の生活範囲には、明確に奴隷という位置付けの者に出会った記憶がない。今回の蓬藍からの相談を受けてはじめて、この世界にも奴隷という制度が存在したのか!? と驚いたほどだ。

故に私の中にあるは、前の世界でのごく一般的な言葉の定義と歴史の授業で習ったようなこと、そしてその言葉自体の持つおどろおどろしい雰囲気から連想されることだけである。


「あの……本気、ですか?」


私は緊張で掠れた声を絞り出した。白蓮は常と変わらぬ静かな様子で茶器を傾けている。その様子に少なくとも白蓮にとっては想定の範囲内の要求なのだと知って安堵する自分と、きっと自分を不安にさせないために平静を貫いているのだろうと思う自分の二人がいて、私の心は掻き乱された。


「ああ、本気だ。非常に不快だし気も進まぬ。が、マシだ」

「はぃ……」


と、言うわけで丁度一週間後、私は先日の夏煌祭に自分で作った借りを返済するため、丸三日間蓬藍に自分の体を売り渡すことになった。

奴隷という不穏な響きの言葉に、思いを馳せるだけで不安になって仕方がない。しかし借りの返済、それも臣下に降ったとはいえ現王の第二皇子で、かつ辣腕を振るう行政院長が相手とあっては、何を要求されたとしても断れない。むしろ三日間言いなりになるだけで借りを帳消しにして貰えるのならば、確かに白蓮の言う通りマシなのかもしれないと私も思いはじめた。

それに急に三日間も不在になって、白蓮には仕事で迷惑をかけることにはなるが、それでももし蓬藍に貸し出された先でどのような目に遭ったとしても、私自身の範囲でどうにかできることであってよかったと、白蓮への追加の迷惑が最小限で済んだことに私は密かに安堵していた。


しかし不在まで一週間の猶予では、すでに予定されている日々の仕事をこなし、その上で急な三日間の不在中の調整をするだけで精一杯だ。この事態についてゆっくりと考える暇も、大した心の準備をする時間もないまま仕事に追われ、気付くもう明日の夕方には蓬藍の屋敷に行って、翌日からの『振り』に向けて色々と準備をするという前日の夜になっていた。

その夜、付き合いの宴席に出かけた白蓮は少し早めに帰ってきて、一通りの寝支度を済ませた後に私を院長室の奥にある自室に呼んだ。部屋に入ると応接セットに腰掛けて書類に目を通していた白蓮が顔をあげ、手振りで長椅子の隣に座るように促す。私は淹れてきた酔い醒ましの茶を卓に並べ、大人しく白蓮の隣に腰掛けた。


「明日からのことだが」


書類を置いて、茶を一口啜った白蓮がおもむろに口を開き、そっと横目で伺うように私の方を見た。その目には憐れなものを見るようでも痛ましいものを見るようでもあり、私は居た堪れない気持ちになる。仕事柄、私が白蓮を気遣うことは多々あれど、白蓮がこんな風に分かりやすく私を気遣うのは珍しい。白蓮は口ではマシな依頼だと言いつつも、それは私を過度に不安にさせないための方便なのだろう。きっと本音では私にとって相当不味い状況なのだと思っているに違いない。

なにせ振りとは言え奴隷の真似事をするのだ。一体蓬藍がどのような考えでそんな依頼をしてきたのかは分からないが、少なくとも振りをしているその三日間は、蓬藍からどんな無茶な要求をされても私に断る術はない。外遊先で白蓮も近くにはいないから相談できる相手もいない。そう考えると足元から冷気が這い上がるように怖かったが、白蓮に心配をかけたくない一心で、私も努めて平素通りに振る舞った。


「澪、道中三日もあれば色々と意に沿わぬことも起こるだろうが……、何でも素直に従って不興を買わぬようにな」


白蓮は慎重に言葉を選ぶように歯切が悪い。


「はい……」

「其方はまだ子供だし、然程、無体なことはなさらないとは思うが」

「それは……」


それは一体どんな範囲での無体なことなのかと、聞き返したいのをぐっと堪える。聞き返してしまえば、きっと知りたくない恐ろしいことを知ってしまい、怖気付いてしまうだろう。


「あの、白蓮様」

「ん?」

「私は蓬藍様の外遊に同行するのですよね? でも、その……何のために奴隷の振りを? 奴隷を一緒に連れて行く外遊なんて──」

「澪」

「はい」

「良いか、蓬藍殿にも誰にも仔細は尋ねるな。余計なことは少しでも知らぬ方が危険がない」

「うぬぅ……」

「大丈夫だ、三日間の辛抱で済む」

「はい」


俯いているとごく自然な動作で、白蓮に正面体からぎゅうと抱きしめられた。そして伸ばした大きな掌で頭をぽんぽんされる。まるで大人が幼子にするような扱いだ。


「何があっても、私は今日と同じように其方を迎えると約束するから。何も心配せずにお仕えしてきなさい」


近付くと少しだけ酒精の香りがした。今夜は嗜む程度の付き合いだったらしい。白蓮は酒を飲んだ時でもいつも少し体温が低い。耳をつけた胸の中で響く常と変わらぬゆったりとした静かな鼓動を聞きながら、少し体温の低い白蓮に指の長い大きな掌で頭を撫でられていると、不思議と心が落ち着いた。

私は少々過剰に落ち込んでいる空気を醸し出し、腹いせに白蓮の分かりやすい慰めを思う存分堪能してから部屋を出た。白蓮がそんな分かりやすい気遣いをしてくれることなど、滅多にない貴重な機会だろう。


それで私は覚悟を決めて、翌日の夕方、一人で蓬藍の屋敷を訪ねた。

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