お仕事は出張も伴います(5)
しかし私も伊達に白蓮の侍従を務めている訳ではない。こういう時はとにかく神妙な顔をして白蓮の隣に座り、『でもっ、でもっ、それはご主人様の了分で〜、私にはどうにもできないことなんです〜』という空気を醸し出しておくのが最適解なのだという程度の世渡り術は心得ている。
私が懸命に神妙な顔を作り、隣の椅子の上で小さくなって精一杯健気な侍従役を演じていると、不意に横から伸びてきた指にすすすーっと頬を撫でられて飛び上がるほど驚いた。しかし既のところで堪えて何とか体裁を取繕う。夜中におばけに出会った時とはきっとこんな感じなのではないだろうかと、ロクでもないことなことを考えると少しだけ気が落ち着いた。
「医薬院にはすでに桂夏がいるのでね、コレは私の侍従ですから」
ちなみに補佐がしやすいように医薬院側も葵屋側も中央に主が、両側に補佐が付くという配置で座っている。つまり私に悪戯したおばけは白蓮な訳だが、普段なら到底人前でするとは思えない白蓮の振る舞いに私の頭は大混乱を起こした。しかし当の白蓮はというと、さらりと至って真っ当なそして極めて常識的なことを言った後は、何事もなかったかのように食事を再開する。
何もおかしなことは言って、無いよね……?
私は今の一瞬のやり取りを頭の中で反芻しつつ、そう自分に言い聞かせた。白蓮の言っている内容は恐ろしいほど当たり前のことだ。何処からどう見たって私は白蓮の侍従で間違いない。しかしなんだろうかこのそこはかとなく漂ういやらしさは……。
恐ろしくて白蓮の顔は直視できないので、そっと視線の端で周囲の人々の様子を伺ってみる。しかし大した手がかりは得られない。大方想像通りというか、案の定というか、白蓮の向こう側に座る桂夏も含めて人々の反応は四者四様で実に予想通りだったからだ。
「いやはや、これは、これは、敵いませぬなぁ」
さすが大店の主人だけあって桂雲は一瞬で気を取り直し、かっかと笑ってすぐに話を切り替えた。丁度いいタイミングで次の料理が運ばれてきて、さらに桂夏が絶妙なフォローをしてくれたお陰で、その場はそれ程間を置かずに元の空気を取り戻した。
だが、問題は無事に食事が済んで、食後のお茶と共に出されたものの方にあった。私は白蓮の前に置かれた黒塗りの盆を横から一緒に覗き込んで思わず小さく唸ってしまう。
「何か気になるのか?」
目敏い白蓮にすぐに気掛かりな事があるのがバレて話を振られる。私は曖昧な返事をしつつ横から盆の中身を凝視した。
盆に置かれているのは事前の打ち合わせを元に、葵屋の方で準備を進めている万霊丹の薬袋、つまりパッケージの見本である。パッケージの見本は異なる意匠で三種作られていて、どの案も必要な情報はしっかりと盛り込まれているし、打ち合わせの内容もちゃんと踏まえてあるしで、十分に凝ったデザインだ。三案ともまだ手描きの状態で、内容が確定すると印刷用の木版に彫りおこすらしい。
「その……内容も打ち合わせ通りですし、悪くはないと思うのですが……」
「はっきり言え」
「ちょっと、変えたいなと思うところがあったりとか、なかったりとか……」
「澪、直すなら今言わねば間に合わぬぞ」
「……でも、今からでも変えるのは大変ですよね?」
「おや、そうでもありませんよ」
様子を見ていた桂秋がにこりと笑顔を作る。
「まだ下絵の段階で版はおこしていませんから。後一月の間に下絵が決まれば納期的には十分間に合います。逆に版を彫ってからでは変更は難しくなってしまいますよ」
「で?」
白蓮が長い指先でコツコツと卓を叩いて話の先を促す。
「……あの、二つありまして。一つは、もう少し威厳のある感じを演出した方がいいかなというのと、偽造品防止対策を盛り込みたいなというのなんですけれど……」
白蓮が手を振って話の先を促す。他の面々は私が何を言い出すのかと興味津々で様子を見ている。
「今回の万霊丹は国内の流通のみならず、外交材料としても活用される予定ですよね? なので別に中身が変わるわけではないのですけれど、薬を見た瞬間に非常に有難いものが届いたというか、貴重なものを分けてもらえたのだというか、そういう印象を演出できたほうがより有効です。ほら、人の第一印象も顔付きとか服装とかで大きく変わりますよね? 薬も同じで、薬効は変わらずとも見た目次第で有り難くなったり、粗末に扱われたりするんです。なので薬袋の意匠は思っているよりもずっと重要です。今回の戦略的なねらいに則れば、もっと威厳というか公式感というか、そういう印象を強化すべきだなと」
「なるほど」
「あとは、万霊丹はすでに昨年販売好調だった実績がありますから、今年以降は類似品や本物を騙る偽造品が必ず急増するはずです。それらが出てきた時に、真似し難いあるいは見分け易いような工夫を、あらかじめ薬袋の意匠の中に盛り込んでおく方がいいでしょうね」
「偽造防止かぁ、確かに澪君のいう通り、類似品というのはすでに昨年末の段階でちらほら出てきているんですよ。具体的にはどの様な工夫を?」
桂夏が半眼の思案顔で腕を組む。頭の中で様々な計算を高速で行なっている時の顔だ。桂夏が計算に値すると判断したということは、ある程度実用性のあるアイデアだと評価してくれたということだろう。
「結果的には、この二つの改善方法は似ているのですけれど……。例えば高度な印刷技術でないと再現できない意匠を取り入れるとかでしょうか。今一色刷りなのを三色刷りにするとか、柄をもっと繊細で細やかなものに変えて容易に真似して彫れないようにするとか。あとは意匠の中に、よく見ないと判別できないような文字や記号、意図的な誤字などを幾つか盛り込んでおくのも有効です。何種類かの印を用意して、封の部分やあえて外からは見えない部分に押してもいいですし、そうするとぐっと公式感も高まりますよね。紙も何かこの国特有のものとか、透かし漉きとかが使えるといいんですけれど……」
私は思いつくままに言ってみる。
「でも、そうするとその分値段は上がりますから。今回は生産数量が非常に多いですし、そういう意匠にされなかったのは費用的な面もあるかと……」
「確かに、全てしようと思うと価格が合わぬ。……が、多少変えればできるものもあるか」
白蓮が顎を撫でる。興味深そうに覗き込んでいた桂秋が感心した様な声を上げた。
「澪殿は薬袋の意匠にお詳しいので? 実は私どもでもそういう偽造防止対策というのは行っているのですよ。特性上詳しい内容を知るのは家の中でも限られた者だけですが」
「後は予算次第だな。桂夏、薬袋一枚あたりにどれくらいかけられる?」
「今、試算中です」
桂夏は指先で自分のこめかみを突く。頭の回転の速い桂夏は現代風に言えば人間計算機、あるいは人間表計算ソフトとも言える。
「そういう効果を見込むならもう少し増額できそうですね。今回は特に生産数が多いですから、印版の価格が上昇する分に関しては袋一枚あたりの費用負担はそれほどでも無いかと。ざっとした試算ですけれど、意外と工夫が盛り込めそうな気がしますね」
桂秋が桂夏の顔を覗き込む。
「そうだね桂夏。印を押したり漉き込みは難しいかもしれないけれど、代わりに版の数を増やして、一版分を印風の意匠にしたり、薄い色をひいて漉き込み風の風合いを出すことは可能かも。ただその辺りは技術的なことと費用的なことを含めて、印刷を任せているところと直接詳細を打ち合わせないと判断は難しね」
「澪、其方の話は分かった。実現できるかは別として、確かにその視点は一理ある。貴家の贔屓の印刷屋は近くにあるのか?」
「ええ、近いですよ。馬車か馬で四半時程のところにあります」
「ふむ」
白蓮は腕を組み、盆の上に綺麗に並べられた見本を見つめる。
「では澪、其方少々手間だが明後日の予定を変更して、印刷屋で今の内容を打ち合わせをしてきてくれぬか? 仔細は今の内容と予算を元に、其方の方で決めて構わぬ」
「畏まりました。よろしければ、こちらの中央の見本を元に細部の検討を進めようかと思いますがいかがでしょうか? 基本的な意匠は昨年のものから大きくは変えない方がいいと思います。同じ薬だと明確に分かったほうがいいですから。こちらの案でしたら、縁飾りなどもあって先ほどの工夫もしやすいかと」
「よい、それで進めてくれ」
「はい!」
盆を覗き込んでいた私が顔を上げると、葵屋の三人が不思議なものでも見たような顔をしていた。思わず小さく首を傾げて見返すと、桂雲がすぐに気を取り直してかっかと軽快な声を上げた。
「いやはや、さすがは白蓮様の侍従殿。これは、これは、敵いませぬなぁ」
一体何が誰に適わないのか……?
私が問う間も無く、私以外の全員が納得している内に宴席はお開きとなった。




