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お仕事は出張を伴います

更新まで、少しお時間が空いてしまい申し訳ありません。

次は、万霊丹の生産に関するお話が始まります。

「薬種の加工場を視察、ですか?」


夏煌祭(かこうさい)が終わって半月ほど経ち、日差しもすっかりと夏らしくなったある日、執務机に座ってもの凄いスピードで書類を捌いていた白蓮(はくれん)が、差し出した茶器にふと顔を上げて言った。

開け放たれた窓の向こうには所々に白い雲が浮かんだ真っ青な空が広がり、そよそよ吹き込む風が時折書類の端を乱してゆく。前の世界の日本で言えば七月上旬の気候だろうか。しかし比較的湿度の低い天虹国の風はからりと爽やかで、夏とは言っても前の世界ほど過ごし辛くはなかった。


白蓮は書類仕事で固まった背を伸ばすように腕を上げて伸びをすると、ふうと息を吐いて私が差し出した冷茶に口を付けた。この世界に冷蔵庫はないから水で冷やしただけなのだが、井戸水は年中温度が一定なので意外と冷たくなる。結露の付いた茶器を白蓮が美味そうに傾けると、薄荷を混ぜた柑橘系の何とも清々しい香りがふわりと辺りに広がった。


「そろそろ本格的に万霊丹(ばんれいたん)の生産準備をせねばならぬ。薬種組合との調整もついてようやく加工場も定まった」

「良かったですね、桂夏(けいか)様のご実家がお引き受けくださって」

「ああ、葵屋(あおいや)にとっても稀に見る大商(おおあきない)だからな。薬種組合側の調整を葵屋の当主が一手に引き受けてくれたので助かった」

「ううっ、ようやくここまで辿り着きました。関連部署の調整に一体どれだけ王城内を走り回ったか……」

「よければ其方も一緒に来るか? 生産を外部委託するのは元は其方の発案だ。試験的な生産もする予定だし、実際に稼働すればまた色々と課題が出てくるだろ」

「はい!」


私は気合の入った返事をすると思わず両手を握りしめ、ついに生産に漕ぎ着けた達成感に天を仰いだ。


万霊丹とは昨年から白蓮を中心に医薬院(いやくいん)主体で市井の福祉策の一環として生産、販売している薬種のことだ。簡単にいうと風邪薬のようなものなのだが、昨冬から流行し始めた流行病に特によく効くようで、国境を接する周辺国と比較しても天虹国だけ死者が非常に少なかったらしい。

それで今年はぜひ自国にも供給して欲しいという隣国からの要望が殺到している。天虹国(てんこうこく)側もいい外交材料になると判断し、国政の中枢である五老師(ごろうし)から直々に増産の指示が出ていた。


しかし薬種というのは原材料の調達から生産まで、特殊な知識と技能が必要となる商品だ。故に、急に十倍の量を作れと言われてもそう簡単にできるものではない。特にこれまでの万霊丹は医薬院の薬種局(やくしゅきょく)が片手間に生産していたもので、とても今年要求されている生産量を賄えるような規模はなかった。


そこで、あれはまだ私が白蓮に勘違いで連れ回されていた頃、外商院(がいしょういん)との打合せでその話を聞いた私は、前の世界での仕事の知識を生かしてOEM(おーいーえむ)をすればいいのではないかと提案した。

OEMとはブランド管理と生産の工程を切り分けて、商品の生産工程を外部委託するビジネスモデルの一つだ。生産に外部のリソースを使用するので、生産品目や生産量の増減により柔軟に対応できる。

一方で、生産ノウハウが流出するというリスクもあって、今回の場合はいかに万霊丹の薬箋を守りつつ数量の増加に対応できるかが鍵となっていた。


しかし白蓮曰く、万霊丹の元となった薬箋(やくせん)はすでに世の中にありふれたもので、それを彼なりにアレンジしただけだから、万霊丹の薬箋など大して秘匿するようなものはないらしい。

だが白蓮の言葉を鵜呑みにはできない。医薬オタクで天才肌の白蓮が言う普通と一般の人々が言う普通の間には、天地の隔たりが横たわっていると考えた方がいい。


そこで今回の計画では、薬草調達と大まかな粉砕、配合までを医薬院で行い、配合済みの原料として市井の加工場に支給し、その先の薬丸への加工や包装といった工程を外部委託する予定だ。そうすることで完全ではないにしろ、薬箋の詳細を秘匿し可能な限り秀出を抑えられるのではないかと考えている。


さらには薬種組合を巻き込んで一枚噛ませ、利益の一部を彼らにも還元することで、万霊丹の販売に対する市井の薬屋からの反感や軋轢を軽減する目的もある。加えて、薬種組合を利用して市場に商品を流通さられれば、販売に関する手間を大幅に削減できる、というのは私の密かな目論見だ。せっかく作っても広く市民の元に届かなければ意味がない。


ただし万霊丹はあくまでも国主導の福祉策の一環であるため、価格の高騰や買い占め、再販などが起こらないように徹底する必要がある。そこで最終的には塩や米など王制品(おうせいひん)の管理制度を応用することになったのだが、この各部署間の調整が熾烈を極めた。結果的にはほぼ当初の計画通りの内容で落ち着いたが、途中で何度もう駄目だと諦めそうになったか分からない。その度に、これでも普段よりはマシだと白蓮に慰められた。


薬種組合側にとっても、昨年の万霊丹バブルに伴う薬種販売の軋轢に上手く片をつけたという実績にもなるし、また流通や販売までを担えれば、薬種を自社で一貫生産するほどの利益率ではないものの、桁違いの生産量と確実な需要見込みによって十二分に旨味のある仕事となる。

そんなビッグビジネスの機会を商業大国の猛者共が見逃すはずはなく、話を聞いた組合側はその日の内に掌を返したように態度を一変させ、今では生産手配に奔走してくれている。その筆頭が王都で一二を争う薬種問屋の大店葵屋だった。


「新しい試みだからな。軌道に乗れば官民連携しての福祉策としても外交戦略としても、恐らく其方が思っている以上に画期的な取組みになる」

「はぁ」

「なんだ、随分と気の抜けた相槌だな」


白蓮が面白そうに眉を上げて腕を組む。


「えっ、別にそう言う訳では……」


私が慌てて首を振ると、白蓮はふっと微笑んですぐに表情を元に戻した。


「まだ桂夏の件を案じているのか?」

「えっと……いえ、その……はい。私が心配しても仕方ないのは分かっているのですが……」

「其方の懸念も分かる。が、全ての懸念を払拭し八方が完全に丸く収まる案などそもそも存在はせぬ。何処かを庇えば別の何処かが傷つく。出来るのはその傷を最小限にすることだけだ。そう考えれば今回の其方の発案は可能な限り八方の傷を抑えた上策だと私は思うがな」

「……ありがとうございます」


私は下を向いて頷いた。もちろん私自身も中々悪くない案だとは思っている。最初は思いつきだが、実際に調整を進める内に比較的八方が丸く収まることにも気が付いた。

しかしもちろん懸念点もある。私が一番気になっているのは、薬種組合側の調整を一手に引き受けてくれた葵屋だ。葵屋自体は王都一二の大店で店主も信頼のおける辣腕の経営者なのだが、実はこの葵屋は医薬院の副院長である桂夏の実家なのだ。桂夏はこの大店の本家の次男で葵屋の当主は彼の父親だ。

そのつながりもあって今回葵屋が全面協力してくれている。当然、葵屋ほどの大店が情だけで動くはずはなく、十分以上の利益が出るビジネスチャンスと判断してのことだ。一方で桂夏が医薬院で副院長を務めているのも、天虹国の科挙に似た非常に厳しい試験を実力で乗り切って、己の才覚で成り上がったからである。


しかし今回の取り組みを側から見て、これを官民が癒着して利益を独占していると捉える人も少なからずいるだろう。そのことが後々別の禍根を生まないか、葵屋が矢面に立つと知ってから私の胸の片隅には常にその懸念がわだかまっている。


「それで、視察には同行するのか?」

「はいっ、もちろんです。ぜひ一緒に行かせてください!」

「ふっ、承知した。視察は来週の初めだ、週末に移動するから準備を進めておくように」

「分かりました!」

「それほど遠くはないが、二泊はする。その二泊で全ての調整をつけるぞ」


私は気を取り直して頷き返した。一応懸念は白蓮や桂夏にはちゃんと伝えてあるし、言われるまでもなく彼らも十分に承知しているはずだ。ここから先は彼らに任せるしかない。私は私のできることをしっかりとするだけだ。

白蓮はというと、鼻歌でも歌い出しそうなほどの上機嫌で茶を飲み干すと再び書類仕事に没頭し始めた。というか実際かすかに鼻歌を歌っている。いやにご機嫌だな、と横目で様子を伺いながら空になった茶器を片付けている時、私はふと悟った。


これは……単に自分が見たいだけじゃん!?


そう、万霊丹の加工現場の視察と言うのはほぼ建前で、単に医薬オタクで研究大好きの白蓮が自分の欲望を満たすために見たいと言うだけだ。

そもそも、実家ということもあり勝手知ったる副院長の桂夏がすでに奔走してくれているのだから、わざわざ医薬院長の白蓮が直接出張る必要など少しもない。いや、ほんの少しぐらいはあるかもしれないが、彼が直接現場に姿を現せば色々な意味で戸惑いと混乱が上回ることだろう。

それに普段あまりにも身近に接しているためついうっかりと失念しているが、天虹国で院長職と言えば五老師に次ぐ重要職だ。一般人ならば直視も憚られる存在である。その上、こちらは本人が忘れているかもしれないが、彼の容姿は神仙並、拝んで遜色ないレベルの美貌である。

どちらの意味にせよ、加工現場に姿を現わすなど周囲に波紋を呼ぶだけに違いない。


すっかりとご機嫌で書類を捌く白蓮を眺めつつ、私は新しい波乱の予感を胸に粛々と自分の仕事に戻った。

波乱の予感笑。

ぜひ、次話をお楽しみに!

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