夏煌祭の三日間〈第三夜〉本日は休日なり(8)
冷や汗の止まらない、懇切丁寧な解説の始まりです。
「確かに、一昨日までは」
と言って白蓮は一口酒を含んだ。
「其方は気になる相手ではあっただろうが、そこそこ気の利く侍従と思われていただけで、伴侶として真剣に検討されていた訳では無かった。まさかその容姿と年齢で、主の世話だけでなく普通に他の仕事もこなせるとは誰も考えぬからな。それが一昨日の一件で、結果的に王城中に其方の実務能力と才覚を知らしめることになったため、皆の見方が一変したのだ。つまりここに」
白蓮は卓に置いた指先をコツコツと鳴らす。
「医薬院長の庇護を得て、何のしがらみも持たない、もうすぐ年頃の、チッ確かに言うのは腹立たしいな。まあいい、十分な実務能力と才覚を持った、健康な娘がフラフラしているとな」
「はぁ……」
「そうだ、お前はフラフラしてる」
輝晶がピシリと私を指差す。
「というか警戒心が無さ過ぎだ。一体これまでどれだけ平和惚けした環境で生きてきたんだ。既に危険な目に遭っているだろう? なのに何でちゃんと警戒しない。一昨日の一件で不埒なことを考える輩が増えるのは目に見えているんだ。もっとちゃんと気をつけろ」
「うぅ……はい、それは。私も気を付けてはいるのですが──」
「全く気を付けてない!」
「そうだな、輝晶の言うのはもっともだ。だが澪君を見ていると、先ほどの伴侶の話と同じように、これまでの生活環境の影響が大きいような気がするね。基本的な部分で人の善性を信じているというか、理不尽な暴力や悪意に晒されたことがないと言うか」
我陵が言いながらうんうんと頷く。
「どれだけ世間知らずなんだよ」
「ふっ、以前に馬車の窓から荷牛を見て驚いていた」
「嘘だろ!?」
「白蓮様! 私だって荷牛ぐらい知ってます。だだ、その、街の中心をそんなに沢山歩いていると思わなかっただけで……」
輝晶が顎が外れたのではないかと言うくらいぽかんとした顔になった。
「これは……はぁ、何処の深層の姫だよ。ていうか俺は別のことが心配になってきたぞ」
「別の?」
「おい白、こいつちゃんと教育はされているのか?」
「まだ私のとこに来て一月足らずだぞ、そんなことを確認するまでとても手が回っておらぬ」
「……同衾してるのにか?」
輝晶が冷ややかな調子で言い返す。
「その方が便利で合理的だから、同じ寝台を使っているだけだ」
「ふーん、そうかよ」
輝晶は腕を組むと予想外に真剣な眼差しで私を見た。
思わずたじろいだ私の背中が椅子の背に当たる。
「澪、お前恋人がいたことはあるか?」
「……は?」
「恋人だ、単に好きってだけじゃなくてちゃんと体の関係がある奴だぞ」
「なっ、何を突然……」
私は不意を突かれて思わず頬に血が上る。
何と答えて良いのか一瞬言葉に詰まってしまった。
私の場合、前の世界とこの世界で色々と隔たりがあるのだ。もちろん前の世界では普通に年相応の恋愛経験があった。
しかしこの世界の私は、恐らくだがまだ無垢なのではないだろうか。そんな気がしていて、そしてそれは多分正しいように思う。
返答に困る私を、腕を組んだ輝晶は実験結果を見届ける科学者のように冷静な眼差しでじっと観察している。
「いないのか」
「まだ何も言っては──」
「おらぬな」
「これはないねえ」
「うぐぅ……」
輝晶は俯いた私の顎を捉えると上を向かせて私の目を覗き込んだ。
「別に、いないのが悪いと言ってる訳じゃない」
「はい……」
「だが、代わりに」
そう言って輝晶はにっこりとお手本のような微笑みを浮かべると、箸で摘まんだ何かを私の口元に差し出した。
「これを舐めてくれ」
「は?」
今度は私が唖然とする番である。
輝晶の言っていることが全く理解できないのだが、何故だろう?
「ほら、口を開けてみろ」
そう言って輝晶は箸で摘まんだ料理の一つを再び私の口元に押し付けた。
すでに食べたので分かっているが、刻んだ香草がたっぷりと混ぜられたジューシーな豚肉の腸詰料理だ。少しスパイシーで甘辛いとろみのあるタレが絡められていていてとても美味しかった。美味しかったのだが……。
「き、輝晶様、何を……」
今、自分がどんな顔をしているかは考えたくない。
かなり複雑な表情をしていることだろう。少なくとも先ほどよりも頬に血が上っているのは確かだ。
「へえ」
「ほう」
「ふむ」
「もう、何なんですか!」
私は輝晶の手を押しやってそれを口元から退ける。
意外にも輝晶は何の抵抗もなくそれを下げて、自分で普通に食べた。
「美味いな」
「最初から自分で食べてください!」
「だが、これで分かったぞ。お前、ちゃんと教育は受けているじゃないか」
「教育?」
「閨だよ、閨教育だ」
「ねや? え……はあ!?」
今度こそ私は耳まで真っ赤になっていただろう。
額に片手を当てて項垂れる。
何だかどっと疲れた、ものすごく疲れたぞ……。
「何故、突然そのようなこと……」
私は踏み潰された蛙のような声を出した。
「突然じゃない、文脈上の必然だろう。よかった、お前が全く警戒心がなくフラフラして迂闊な上に、知識まで無いんじゃ大変なことが起こるところだ。というか、何が起こるか分かっているならもっと本気で警戒できるだろう」
「そんなことを言われても……私も頑張っては……」
私は下を向く。これ以上どうすればいいと言うのか。
昨夜、襲われたのは警戒心のない私がいけなかったのか……。
思い出さないようにしていたことを思い出してしまい、私は震えないように慎重に息を吐く。
「輝晶、責めすぎるな。また倒れるぞ」
「別に責めてる訳じゃない。具体的に言えば分かるか? 今名前が出てたような奴らでも、何かのついでに誘われて二人きりで食事に行くなど絶対するなよ。他の奴らならもっとだ。例え仕事に託けて呼び出されても決して一人でホイホイ部屋を訪ねるな。意中の相手以外とは誰とも絶対に二人きりになるんじゃない。王城の中でも人気の少ない廊下や茂みは避けて、可能な限り同行者を見つけろ。それが無理なら必ず誰かに行き先を伝言していけ。それから出された茶や菓子を何も確かめずに飲んだり食べたりするな。何が混ぜられているか分からないんだからな。お前の場合は白が口にしたものだけ口にしろ、分かったな?」
「……はい」
「おい、お前。既に心当たりがあるだろう」
「……み、未遂です」
「全く!」
「以降、十分気を付けますから!!」
私は背中にだらだらと冷や汗を流しつつ言い訳する。
確かに、九虎からも冬利からも既に食事に誘われていた。結果的にはどちらも断っているがそれは偶然の産物だ。そして昨晩襲われたきっかけは人気の無い廊下にいたことだった……。悪意が無いとはいえ薬も何度か盛られている。
輝晶の腹立ち紛れの懇切丁寧な説明によって、ようやく私は気を付けるべきポイントを理解したようだ。
皆の言う通り、やはり全然分かっていなかったのである。
その後も輝晶に怒涛の勢いで、主に貞操の危機に関して懇切丁寧な注意をされ、わたしは別の意味で冷や汗をかいた。そして最終的には、何故か近日中に軍兵院に行って護身術を習うという口約束までさせられた。
それでも、意地で料理を味わい尽くし大変満足しながら食後の茶を楽しんでいると、最初に案内してくれた店主が来客を伝えにやって来る。すぐに通されたのは見覚えのある顔だった。
「皆様、本日は錦屋にお声がけ頂き誠に有難う存じます」
揃って丁寧な挨拶を述べたのは、恰幅の良い体に恵比寿様のような柔和な笑みを浮かべた壮年の男性と、その隣でこちらも完璧な営業スマイルを浮かべた波流だった。目が合うとにこりと微笑み返してくれる。
「白蓮様より御用の品をお持ち致しました」
二人はそう言って、食事の提げられた卓の上にテキパキと品物を並べ始めた。
街歩きも終盤。
そろそろ、次のお話につながっていきます。




