夏煌祭の三日間〈第三夜〉本日は休日なり(3)
長閑な休日の朝のはじまりです。
ほろり、と私の頬を涙が伝う。
それを見た白蓮が、ぎょっとして茶器を持つ手を止めた。
「どうした、何処か痛むのか?」
「ひっく……うぅ……おいしいです」
「は?」
またほろり、と涙が流れた。
夏煌祭の三日目、よく晴れた青空の下、爽やかな微風が吹き抜ける昼前。
蓬藍の屋敷の鮮やかな若葉の合間に可憐な花々が揺れる中庭。その中庭に向かって迫り出したテラスのような石畳のスペースに卓が出され、私達はそこで朝餉を食べていた。
この日は王城での行事も無く、官吏も王族も皆お休みである。
白蓮の説明によれば、昨夜の宴の後半、酔いと睡魔で朦朧とした私を連れて帰るのが面倒になり、蓬藍の勧めるままに部屋を借りたと言う。
朝方、着替えを持って様子を見に来た葉周に会うために、白蓮が部屋を不在にした一瞬の隙に偶然輝晶がやって来て、面白いからと部屋に居座ったため、先ほどの展開になったらしい。
「うぅ……おいしい」
そして今、感涙に咽び泣く私が手にしているのは、なんと、なんとサンドイッチ!!
おお! 私の右手が輝いて見える!!
そして、その隣には滋味たっぷりのポタージュのようなスープ、美しく盛り付けられたフルーツ、プリンとヨーグルトの中間の様なぷるんとした何か。
そして、そして、カフェオレ! ホットカフェオレー!!
あぁ……ここは何処のお洒落なカフェのオープンテラスですか!?
正確に言えば、サンドイッチと言っても、丸く焼かれた薄い小麦のパンを半分に切り、その中に瑞々しい野菜や香草と一緒に、ソースを絡めた鶏肉を詰めたものだ。でも一口かじると、甘酸っぱいソースと香草の爽やかな香りが混じり合い、何とも後引くエキゾチックな味わいがする。
ホットカフェオレも、正確には深入りの香ばしい濃いお茶に温めた牛乳と黒糖をたっぷりと混ぜ合わせたものである。当然、コーヒーと比べると少々薄くあっさりとしている。でも風味はとてもコーヒーに近い。
しかし、この世界に来て早半年。洋食断ちを余儀なくされていた私にとっては、紛う方無きサンドイッチだしホットカフェオレだ!!
うぅ、昨日頑張ったご褒美ですよね、神様……。
うるうると瞳を潤ませながら、一心不乱にサンドイッチもどきを喰む私を、左側に座った白蓮が呆れた顔で見ている。白蓮の反対側に座った輝晶は、何とも言えない表情でカフェオレもどきに口を付けていた。
「其方にとっては、これが美味しく感じるのだな」
「不思議な味だ。不味くは無いが……俺は普通の茶の方が好きだな」
「故郷の味に似ているのか?」
「はい……とても懐かしい味です」
「ふふ、気に入って頂けて私も嬉しいですよ。まだまだお代わりもありますから、沢山召し上がってくださいね」
丸卓の向かいに座った蓬藍がにっこりと微笑む。
「蓬藍様、ありがとうございます!」
私はさぞや締まりの無い顔をしていることだろう。
胃袋を掴まれるというのはこう事なのだと、身をもって知った今日この頃である。
そして、改めて蓬藍の顔を見て、空腹と洋食に翻弄され忘れていた大事なことを思い出した。私は慌ててサンドイッチを置くと姿勢を正す。
「あの、蓬藍様。昨夜は扇子を頂きありがとうございました」
結局、恐るべき偶然のタイミングで蓬藍が手を滑らせて私の前に転がってきたあの扇子は、そのまま蓬藍から私に下賜されることになってしまった。
その前の色々なこともあって、これ以上何かを増やしたく無い私は、必死で回避しようとしたのだが、あれよあれよという間にそういうことになってしまったのだ。
こういう場合、私の方には一切選択権がないらしい……。
「ふふ、昨夜は私の方こそ良いものを見せていただきました。でも、あの扇子は私の物ですから男性向きの意匠でしょう? せっかくですし、叔父上に見立てていただいて、貴方向きに作り直しましょうか」
「いいえ、そのようなお気遣いは──」
「ああ、それよりも、季節ごとに新しく作ってお贈りした方が楽しいかも」
蓬藍はさも素晴らしい事を思いついたという様に、胸の前で両手を打ち合わせる。
「いいえ、いいえ、蓬藍様! そこまでのお気遣いは無用でございます!! それに、今朝はこんなに素敵な朝餉まで頂いていますし。私には十分すぎるお心遣いです」
そもそも、この状況がかなり異常であることには私もすでに気付いている。主達と従者達が同じテーブルを囲む事など、この世界ではあり得ない事だ。
私もそれを分かっているから、それとなく自分は別室で食事をしてくるからと何度も退席しようと試みたのだが、その度に「気にする必要はありませんよ」「昨夜の話を聞かねばならぬ」「水臭い、俺とお前の仲だろう」と引き止められてしまった。
その上で、蓬藍にサンドイッチとホットカフェオレという餌を鼻先に吊るされてしまい、私は食欲の前に敢え無く抵抗を放棄し今に至る。
「私も貴方に喜んで頂けてとても嬉しいです。昨夜といい今朝といい、なんて縁起がいいのでしょうか」
蓬藍は再びにこり、と微笑み返してくれる。
「……縁起?」
思わず左右の二人を見るが、二人は素知らぬ顔でカフェオレもどきに口を付けて目を逸らしている。
なんだか変なキーワードが出たような。
私の聞き間違い? それともこの国独自の言い回しかな……。
私は多少の違和感を抱きつつも、蓬藍の提案をこれ以上ないという程丁重に辞退し、そしていそいそと美味しい朝餉の残りを堪能する。
例え図々しいと謗られようとも、これだけは決して途中で諦めるつもりはない。
私が食後にお代わりしたカフェオレもどきを、大事に大事に味わっていると、白蓮がことりと茶器を置いてこちらに向き直る。
「それで、澪。話を聞かせてもらおうか」
「え?」
「とぼけても無駄だ。昨日の昼からの出来事を全て報告しろ」
「あ……」
白蓮のその一言で、私は次の瞬間にはブリザードの吹き荒れる不毛の大地にワープしていた。
うぅっ、つい今さっきまで、何処のお洒落カフェのブランチかっていう、幸せな休日の朝を堪能していたのに……。
そして今、蓬藍の屋敷の鮮やかな若葉の合間に可憐な花々が揺れる中庭。その中庭に向かって迫り出したテラスのような石畳のスペースに卓が出され、私はそこで尋問されている。
ゆったりと食後のお茶を飲みつつも、私を囲む三人の視線は肌に突き刺さるように厳しい。
私は細部を適当に端折るつもりだったのだが、現場に居合わせた蓬藍と、すでに各所からの詳細な報告を得ている輝晶に補足されて、私の意に反して事実が微に入り細に入り白日の元に晒されてしまった。
報告が進む度、白蓮の眉間の皺が深くなり、遂には眉間の皺を揉むに至る。
「……はぁ、全く。飲み比べだと? あれほど行動に注意しろと言ったのに、其方は何をやっているのだ!!」
「ひいぃっ、も、申し訳ありません……」
「そんなことをすれば、目を付けられて当然だ!」
「反省しています、とても。……あの、でも、その、目を付けられたのは倉庫で働いている時かと……ご本人がそう言っていましたので……」
「そういう問題じゃない!」
「はいぃっ! ごめんなさい!!」
私は平身低頭許しを請う。
その後も、耳の痛くなるような白蓮のお小言を散々に聞かされて、輝晶からも、蓬藍からも、あの時の私の状況がいかに危険だったのかということをたっぷりと脅されて、私は冷や汗を流しながら改めて縮み上がった。
白蓮がお小言の三周目を繰り返そうとしたところで、来客の取次がやってくる。私がすっかりと冷めてしまったカフェオレもどきを、椅子の上で小さくなって啜っていると、予想外の人物が姿を現した。
「え……我陵さま?」
長閑な休日の昼下がり、また別の嵐が吹き荒れる予感である。
いよいよ、我陵様の再登場!
「閑話:白蓮の撹乱」で我陵が同行していた理由が少しづつ明らかに。




