夏煌祭の三日間〈第二夜〉お仕事は体調不良でもこなします(4)
本宵闇の宴は佳境を迎えます。
夏煌祭の二日目、本宵の真夜。
夜が明けるまでには、まだ一刻以上の時が残る頃。
蓬藍の屋敷で、深々とした最上の礼と共に始まった竜宮城とも月宮殿とも思える、この世の贅を尽くした極彩色の宴は、用意された七つの席を中央から順にぐるりと番が回り、番が来た者は前に出て一芸を、それは舞でも楽でも、そして歌でも、何でもいいのだが、何か必ず一つ披露しなくてはならないという、何とも過酷な不文律が定められた宴だった。
今、蓮舞を披露する二人の女性の前には、輝晶が蓬藍の雅極まる笛の音に合わせて見事な剣舞を披露していた。
そしてさらにその前には、二人の間、中央に座る人物が実に厳かな調子で、恐らく何かを言祝ぐ様な目出度い歌を唄っていた。
宴の参加者は私を含めて七人しかいないから、当然次は白蓮と私の番と言う事になる。
しかし三巡目ともなると、さすがにもうそこまでの緊張は感じない。
私は白蓮の奏でる楽の音に合わせて歌を唄う。
往路の馬車の中で、白蓮に問答無用で練習させられたあれである。
あれは何かの罰ゲームではなく、歴としたこの宴の為の練習だった。
白蓮は私の適当な唄を一度聞いただけで完璧に覚え、シタールと琵琶を足して二で割ったような優美な首を持つ楽器で伴奏を奏でてくれる。
それだけでも、私のあの適当な歌が異国情緒の哀愁に溢れた素晴らしい名曲に思えるというのに、彼は更に己の良く響く耳に心地よい声で、静かな重唱まで加えてくれるのだ。
すると途端に歌には無限の奥行きが生まれて、歌う私までうっとりと引き込まれてしまうような美しく深い響きを帯びる。
前の二回、私自身が余韻に浸りながら名残惜しげに最後の音を結ぶと、ふわりと一際強い風が吹き込んで、窓の帳や正面の椅子の上に吊られた天蓋の裾をはたはたと大きく揺らめかせた。
これは……一応、満足してくださったということだよね……?
未だひらひらと揺れる天蓋の裾を見ながら、私は心の中で呟いた。
私たちは七席の中央に座る御方に向けて、芸を披露しているわけではない。
正面の天蓋の吊られた椅子を上座とし、全てはそこに向かって捧げられていた。
しかしその席は私が入室した時には空席で、そして宴が始まっても、中央の方が言祝ぎの歌を奉納しても、相変わらず誰かがその席に座りに来る様子はない。
つまり、今も空席のはずなのだ。
はずなのだが……。
天女の連舞に見とれている間に、気付くと酒の満たされた酒器が置かれていた。
白蓮からも散々と注意されているので、宴の最中に共された物は一片でも残すわけにはいかない。
私は四杯目のそれをそっと手に取ると、薄い縁に唇を当て一息に中身を飲み干した。
毎度、酒器に注がれているのは、屋敷の入り口で飲まされたのと同じ、あの煮詰めた甘酒のように恐ろしく甘い酒である。舌にのせる度に、衝撃的な甘さが口いっぱいに広がって、頭の芯が痺れるようにじんじんする。
くううっ……相変わらず、甘っまーーー!!!
喉を流れ落ちた途端に胃の腑が火照る様にカッと熱くなる。酒精は強くはないはずなのに、杯を重ねる度に体の芯に篭る熱が冷めなくなってゆく気がした。
空になった酒器を膳に戻しながらふと横を見ると、丁度、同じように酒を呷った白蓮が酒器を膳に戻すところだった。
こちらを向いた拍子に視線が合う。
年齢に配慮されているのか、他の参加者に注がれる酒は明らかに私よりも多い。
現に、酒には強いはずの白蓮が、今はほんのりと目元を桜色に染めている。
彼は私と視線が合うと目元と同じように赤く染まった唇にふわりと笑みを浮かべて、背後に置かれた首の長い弦楽器に手を伸ばした。
くううっ……これは、見ちゃいけないやつーーー!!!
少しの間、呆然と見とれていた私は目を瞬いて必死に視線を逸らす。
そして、彼の後に続いてそろりと立ち上がった。
次は私達の番なのである。
私は白蓮に合わせて壁際に控えると、一糸乱れぬ動きで悠々と舞う二人を再び見つめた。
あぁ……これって、宴じゃないんだよな。
輝晶と蓬藍の剣舞が終わり、銀の鈴が連なる小鼓を持った天女のように美しい二人の連舞の始まった時に、私は唐突に悟った。
宴じゃなくて、これは神事なんだよね、きっと……。
二人がふわりと袖をたなびかせ、ぴりりと足拍子を鳴らし、それに合わせるようにしゃらりと鈴を震わせると、薄い帳の何処かの向こうにいるはずの楽師達も音色を一際大きくし、ぞわり、と私の背中を鳥肌が駆け上る。
私は、以前に白蓮が教えてくれた夏煌祭の由来の話を思い出す。
あの日、蓬藍に厄介な宴に招待されたと、眉間に盛大な皺を寄せていた白蓮が私に話してくれたのは、確か──。
(今では夏煌祭といえば公休日に酒を飲んで騒ぐという祭りになっているが、本来この神事は、昼夜の長さが一致する日には天界と地界が交わるという言い伝えから、この日地上にご来臨される神々をお慰めするために長夜之飲を催すというのがはじまりだ)
そうだ、そんなことを言っていたはず。
だから、本当はこの『本宵闇の宴』の方が本番なのだと、実に嫌そうな顔をして、ややこしいと悪態をついていた──。
(そうだ。古来よりの正当な祭式に基づけば、本宵の後に催されるこの本宵闇の方が本宴であり、この神事の本番ということになる。実にややこしい話だが……)
彼女達の連舞の盛り上がりに呼応するようにふわりと風が吹き込んで、窓に掛けられた帳の裾をひらりひらり楽しげに揺らす。
私は彼女達の舞に圧倒されて、つめていた息を吐きながら、思わず唇を緩める。
何もかもがあまりに美しいので、私も何だか無性に楽しい気持ちになってきたのだ。
本当は、それが飲まされる喉が焼けるように甘い酒の効果だと薄々分かっているのだが、今はふわふわほわほわただ楽しい気持ちになっていて、そんなことはどうでも良いと思っている。
歌を披露するのも、またあの白蓮の伴奏が聞けるのかと思うと、楽しみで仕方ない。
私たちは供物なのだ。
私は芯の痺れたようにぼんやりとし始めた頭の隅で考える。
この上なく美しく飾り立てた酒席を設け、それぞれが雅やかに着飾って、思い思いの芸を披露しながら夜通し酒を酌み交わす。
そうして上座に在わす御方の、常世の無聊をお慰めするための一夜の贄となる。
二人の舞が締めやかに終わると、白蓮が音もなく立ち上がった。
私もその後をできるだけ静かな動作で追いかける。
と、次の瞬間、何故か突然天地がひっくり返った。
唖然とした表情で私の失態を見下ろす白蓮が視界の端に映る。
遮るものなど何もないはずの絨毯の上で、しかし確かに私の足は何かを踏んだのだ。まるで猫の尻尾のような柔らかい、見えないそれに躓いて、私は見事に転倒した。
そしてころりと転がって、白蓮よりも一歩先に出て止まる。
「「あ」」
私の上げた声に、誰かの声が重なった。
二日目もそろそろ終盤。
三日目は曰くのメンバーでのんびり街歩き。
しかし、その前に一悶着ありそうです。




