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夏煌祭の三日間〈第二夜〉お仕事は体調不良でもこなします(2)

いよいよ、蓬藍に招待された『本宵闇の宴』に参加します。

しかしこの宴、宴というには少々……。

「其方、(うた)が歌えたな」

「は?」


馬車に乗り込んだ途端に白蓮が私に聞いた。


夏煌祭(かこうさい)二日目、本宵の十の刻過ぎ。日本で言うと真夜中の十二時前。

なんとか支度を済ませた白蓮と私は、これから本宵闇(ほんよいやみ)の宴が催される蓬藍(ほうらん)の屋敷に向かって出発するところだった。


「唄だ。前に、春の朝の唄を聞かせてくれただろう」

「春の朝?……あぁ、ああ! はい、確かに」


私は手を打つ。

春の朝の歌とは、はじめて白蓮の屋敷を訪れた夜、酔った戯れで(ぎん)じた『春曉(しゅんぎょう)』のことだろう。詩吟(しぎん)を元にその場の雰囲気に合わせて、私が勝手なアレンジを加えたあれである。


私は両親を早くに亡くし祖母に育てられた。その祖母が大層粋な趣味人だったお陰で、色々と渋い習い事に通っていた過去がある。書道も詩吟もそのころの昔取った杵柄なのだ。異世界に転じて後、書道を始め『芸は身を助ける』という言葉が身に滲みる今日この頃である。


「他には? どんな唄が歌える」

「え?」

「何曲かあるだろう。今すぐ歌え」

「え……ええっ!? い、今ですか? でも何故ここで……馬車の中ですよ?」

「つべこべ言わずに、早くしろ!」

「ひえぇっ! は、はい……」


こういう時の白蓮とは言い争っても意味がない。

そもそも私は彼の侍従で、この世界での主の命令はかなり重いのだ。

私は訳の分からぬまま、仕方無く簡単な曲を歌った。

馬車の中で向かいに座った白蓮は、目を閉じ指先で自分の太腿を軽く叩きながらそれを聞いている。


しかし、白蓮の屋敷から蓬藍の屋敷までは大した距離はない。

思いつくままに二、三曲歌ったところで、すぐに蓬藍の屋敷の門前に到着してしまった。

馬車が止まり、御者が警備の者と確認のやり取りをする声が聞こえると、眉間に皺を寄せた白蓮が目を開けて私を睨んだ。

狭い馬車の中で無理やり歌わされ、色々と心にダメージを受けた私は、もぞもぞと居心地悪く尻を動かす。


「これから参加する宴だが、幾つか注意がある。どれも非常に重要な事だ。決して忘れるな」


居た堪れず動かしていた尻を止め、私は二、三度、瞳を瞬かせた。

それだけで白蓮には『え? そんな大事な事があるなら、呑気に唄なんか歌わせず、先に言ってくださいよ!!』という本心がすぐに見抜かれたらしい。

彼は眉間に寄せる皺をもう一本増やすと、腕を伸ばして私の両耳を引っ張った。


「い、痛いです!」

「私だって学習するのだぞ! せっかく事前に教えてやっても少しも守らぬ輩がいるからな。仕方なくわざわざ直前に言って聞かせてやっているのだ」


白蓮は『耳の穴でもかっぽじってよく聞きやがれ』とでも言うように、容赦無く私の両耳をぐりぐりと引っ張る。


「ひうぅぅ……す、すみません……」

「今言えば、少なくとも宴が始まるまでは覚えているだろうからな」

「はぅ……」

「いいか、冗談では無く本当に重要な事なのだ。巫山戯(ふざけ)ていないでよく聞きなさい」


白蓮は耳を離すと、その手で今度は私の頬を両側から挟んで自分の方に向ける。

目が合った白蓮は直前の賑やかなやり取りとは裏腹に、心配そうな光を淡い水色の眼差しに宿し、至極真剣な表情で私を覗き込んでいた。


馬車の中は決して広くは無い。向かい合わせに座ると膝が付く距離だ。

つまり、私は着飾った白蓮と至近距離で向かい合っているということで。


や、やめて、くれ……。

とにかく、とにかく、その姿で至近距離とかもう犯罪ですから……。


人は本当に美しいものには、感動では無く恐れを抱く。

今夜、白蓮を見てそれが分かった。

だからこの宴のために、本気で着飾った今の白蓮はもはや怖い。

畏るとか、奉るとか、そういう本能的な畏怖を抱かせる怖さがある。

きっと、地上に降臨した神とはほぼこのような姿と言って差し支えないだろう。

もしも、この国に存在する神とやらが、彼ほどの美形であるのならばの話だが。


それを息もかかる至近距離で見せられているのだ。

しかもこの状況と話の流れでは目も逸らせない。

私は試練に耐える修行僧の如、心を無にすべく努める。

彼は私の上司なのだ。話を聞くときに目を見るのは当然の行為。

上司なのだ、上司、決して神ではない……。


そこでふと、恐らくこの国にも存在するはずの、信仰や神の具体的な内容について、自分が少しも知らないという事に気が付いた。

この夏煌祭も、市井では単なるどんちゃん騒ぎのお祭りだが、王城では長々とした儀式を中心とする立派な祭礼だ。何より宮内院に祭礼局が設けられているからには、やはりこの国でも国政と信仰の間には緊密な関係性があるのだろう。


しかし、その割には普段の生活ではほとんど信仰を意識することがなかった。私がこの世界、この国に来てから、そう言った方面でほとんど戸惑いを感じたことがないのが何よりも証拠だろう。

元来、信仰など歯牙にも掛けぬであろう白蓮はさて置き、かつて下女寮で暮らしていた時でも、頻繁に聞かされる『恋のおまじない』以外は全くと言っていいほど意識したことがない。

庶民の間では、それほど一般的ではないのかな?


「もう一度言うが、大事なことだ。よく聞きなさい」


白蓮が私の頬を両手で挟んで至近距離で固定したまま、もう一度こちらの瞳を覗き込む。

一瞬、心を無にするついでに現実逃避していた私は、はっと現実に引き戻された。

彼の瞳の光と改まった口調の真剣さに気圧されて、私は口を噤み必死に頭を振る。


「一つ、決して私語をせぬこと」


私は頭の中で彼の言葉を辿り、頷く。


「二つ、決して(じき)を残さぬこと」


私は心の中で反芻(はんすう)しもう一つ頷く。


「三つ、決して上座と目を合わせぬこと」


私は戸惑いつつ、さらにもう一つ頷いた。


「よいか、馬車を一歩でも降りればもう宴席であると心得よ。その間は、決して()()()()この禁を犯してはならぬ」

「……分かりました」


私は至近距離で固定された白蓮の瞳をしっかりと見返して、今度は声に出して返事をした。

それでようやく白蓮は納得したのか、私の両頬を固定していた手を離す。


私は言われた注意事項を頭の中で反芻してみる。

私語を慎み、食を残さず、目を合わせない……。

何だろう。これってなんだか──。


しかし、その何かに辿り付く前に、かちゃりと馬車の扉が外側から開けられる音がして私の思考は中断されてしまった。

扉が完全に開かれる前に、白蓮が用意してあった薄布をふわりと広げて私の頭から足元までをすっぽりと覆い隠す。すぐに彼自身も同様の薄布を被った。


「何が起こっても決して慌てず、必ず私の示す通りにせよ」


先に馬車を降り、残った私に手を差し伸べながら白蓮が囁く。

馬車を降りると、正面玄関の前で二、三の人影が待っていた。

ぼんやりと見える屋根の影が正しければ、とんでもなく広大な屋敷である。

待っていた内、一番先頭の人影が盆を捧げて白蓮の前に跪いた。


「お待ち申し上げておりました」


白蓮は小さく頷くと、捧げ持たれた盆から白い酒器を取り上げ一息に煽る。

その様子を見ていて、私の頭の中を先ほど白蓮に言われた注意事項がぐるぐると駆け巡った。


一つ、決して私語をせぬこと。

二つ、決して食を残さぬこと。


予想通り、白蓮の酒器が下げられると、今度は私の前で同じことが繰り返された。

横に立つ白蓮が、正面を向いたまま横目で私の様子を伺っているのが分かる。

私はごくりと唾を飲み込むと、差し出された盆から酒器を取り上げた。

白蓮と同じ様に被った薄布の端を手繰り、唇を付けた酒器を一息に煽る。

喉を通るのは確かに酒。しかしとろりとしていて酷く甘い。

今夜、執務室で白蓮が用意してくれた薬よりもさらに甘い。

そして、決して酒精は強く無いはずなのに、胃の腑に落ちた途端に蒸留酒を飲み干したかのような熱が広がる。

甘い味は舌全体に広がって、鼻に抜けたはずの今もぐるぐると私の中を駆け巡っている。


うえぇぇっ、あんっま!!!

甘すぎて、目が回りそう……。


私が衝撃を受けたまま、何とか酒器を盆に戻すと、隣で白蓮が小さな溜息を付いたのがわかった。


白蓮様……。私の事を何だと思ってるんですか。

いくら私でも、さすがにこんな初っ端からはやらかしませんよ!!

というか、自分の意思でやらかした事なんて、一度もないんですから!!!


少々膨れつつも、盆を手燭に持ち替えた人影の灯りを頼りに、薄暗い屋敷の中を進む。

そうして私たちは、今宵の宴が催される大広間に案内された訳だが──。



今、目の前で輝晶(きしょう)が剣舞を舞っている。

細密な彫刻が施された刀身が、ふわりと私の前髪を揺らす様な風圧を残して目の前を過ぎる。

しかし不思議と、私はそれを怖いとは少しも思わなかった。

輝晶の動作の一つ一つがあまりにも洗練されていて、とても抜き身の大剣を振り回しているとは思えないからだろうか。

振り抜かれる度に、きらきらと灯りを反射して輝く白刃を、私は炎に魅せられた虫の様に熱心に見つめる。


輝晶は右手に携えた大剣をまるで体の一部の様に自在に操って、限られた空間の中を重力など存在し無いかのように縦横無尽に動き回る。

極限まで鍛えられた肉体が生み出す、一分の隙も無い完璧な足運び、指先まで神経の行き届いた優雅な身のこなし。しかしその真剣の切っ先は、いつでもこの場にいる全員の命を一瞬で奪えるのだという鋭さに満ちている。


同じ空間の窓際では、輝晶の剣舞に合わせて蓬藍が笛を吹いている。

彼が雅な高音を奏でる度に、開け放たれた窓辺に幾重にも張られた薄い帳が、吹き寄せる風にゆらゆらと裾をはためかせた。

そして帳が揺れる度、その合間から冴え冴えとした白い月が面を覗かせる。

笛の音は示し合わせたかの様に輝晶の動きにシンクロし、そのたった一音で、輝晶の背景に鮮やかな四季の幻影を浮かび上がらせた。

花が咲き、緑が茂り、山が色付き、無に帰って、そして再び花が咲く──。

まるで色とりどりの花びらが舞い散る嵐の様な超絶技巧。


見とれる度、聞き惚れる度、ふとこちらを伺う様な彼らの視線と目が合いそうになって、私は慌てて目を伏せる。

白蓮の注意事項を今も忘れてはいない。

しかしこの宴席、誰が上座なのかが非常に判別し難いのだ。

ある意味で、自分以外の全ての参加者が上座であって上座でない。

今も上座が分からない。だから誰とも目を合わせぬ様に慎重に視線を逸らせていた。

そんな私の様子に、目が合いそうになる度に、彼らがふふと笑う様な気がする。


今、私は蓬藍の主催する本宵闇の宴の末席に列している。

輝晶と蓬藍の前には、私と白蓮が、白蓮の奏でる琵琶とシタールを足して二で割ったような不思議な楽器に合わせて、馬車の中で訳も分からず練習させられた唄を歌わされた。


そうして真夜から始まった宴は、すでに一刻半が経っていたが、まだまだ終わる気配など全く無いのだった。

不思議な展開のお話ですね。

宴の全貌は、次話でもう少し明らかになります。

ぜひお楽しみに。

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