閑話:白蓮の撹乱(4)
湯殿でのお話の続きです。
湯殿につながる木戸を開けた途端に、温泉特有の香りが混じった湯気がもわりと押し寄せる。
足元の濡れた石畳から視線を上げれば、見渡す限り煌めく星空。
この世界も丸いんだな、と目を瞬きながらそんなことを考えた。
湯船はその絶景を楽しめるように、湖側の低い垣根に寄り添って横長に造られている。そこで四人の男が思い思いに寛いでいた。
右端には九虎と海星が並んで座り、入り口に背中を向けている。
湯船は前の世界でもよくあるように、大小様々な石を組み合わせて作られている。その中央あたりに一際大きな石があり、我陵はその石にゆったりと背を預けて手酌で酒を楽しんでいた。
白蓮はと言うと、一番左端にそんな彼らを見渡すように斜めに腰掛けている。白蓮のさらに左側には庇があって、その奥は洗い場になっているようだった。
私はさっと見回して位置関係を把握すると、手桶を抱えて一直線に白蓮の元に向かう。
目のやり場に困ると言うのはこの事だろう。どちらを向いても、文句のつけようのない裸体。私はできるだけ視線を足元に固定したまま、足早に湯船の側を通り過ぎる。
九虎と海星の広い背中には、お飾りではなく実戦で鍛えられた少しの無駄のない筋肉が、月明かりを浴びてくっきりとした陰影を刻んでいる。
一方で我陵はというと、まるで抱えきれぬ大樹を前にしたような、安心感と頼り甲斐に満ちた胸を晒していた。その胸元にはほとんど胸を横断するようにつけられた歪な三日月型の傷が、夜目にも鮮やかに浮かび上がっていた。
そんな中で白蓮はというと、一見彼らと比べて酷く細身に思える。しかしそれは完全なる目の錯覚というものだ。比較対象がどれもこれも異常値なだけである。
白蓮は文官なので特に体を鍛えているという訳ではないが、前にも言った通りこの世界の医者は多分に体力勝負なところがある。
単体で見れば、柔らかく滑らかな筋肉に覆われた彼の体は、決して華奢や貧弱という言葉とば結びつかない。成人男性としては十分過ぎる体格を有していると言えるだろう。
ちなみに彼らの名誉のために言っておくと、全員腰に手拭い様の布を巻いており決して完全な素っ裸と言うわけではない。念のためだが。
足早に通り過ぎる私の方を振り返った九虎が、口笛を吹きかけた状態で固まった。
少し遅れて視線だけこちらに向けた海星が、ごく自然に明後日の方を向く。
我陵はというと、やはり本当の大人は違う。彼は恐らく白蓮よりも十近くは年上だ。常と変わらず迫力のある微笑みを浮かべ、手にした酒器を軽く上げて挨拶してくれた。
白蓮は相変わらずグレていて、一言「遅い」と文句を言う。
「すみません」
私はできるだけ素っ気なく答えた。
ここまで来たら、恥ずかしがっている方が恥ずかしいのだ。腹を決めて平然としているのが正解だろう。別に侍従なのだから主の入浴の介添えだって当然仕事の内。何もおかしなことはない、と表情を取り繕いつつ私は必死に自分に言い聞かせる。
「道具を揃えるのに少し手間取ってしまって」
「逆上せる」
「すぐに洗います。ええっと、何処がいいでしょうか。やっぱり洗い場で椅子に──」
「ここで洗う」
「え、ここで? 湯船ですけれど……」
「こうすれば洗えるだろう」
白蓮は一段浅いところに腰掛け直すと、縁に両肘をついて頭を後ろに倒した。確かにこの体勢なら下に盤を置けば髪が洗えそうだ。しかし、と私は白蓮を見下ろす。
彼が美しいのは周知のこと。しかし湯に浸かって上気した彼はまた別格。しかもグレているため自分の振舞いや表情に何の配慮もしておらず、つまり色々なものがダダ漏れ状態になっている。
先程から、九虎と海星は絶妙な塩梅で視線を逸らせていて、絶対に白蓮を直視しない様にしている。視界の端でそんな彼らの様子を伺いつつ、私自身は何の衒いもなく見下ろしていた。
一言で言えば慣れだ。白い極上の大理石で造られた神の像とでも思っておけば大丈夫だ。
でも、と私は白蓮を見下ろしたまま思考を巡らせる。
何も気を遣っていないダダ漏れの白蓮と触れ合ったことで、普段の彼は相当に色々な事に気を遣って生活しているという事に気付かされた。
美し過ぎる容姿で生まれてきたのは決して彼の所為ではない。にも関わらず、常に周囲への色々な影響を考えて暮らさなければならない彼のストレスは如何程だろうか。
だとしたら、稀に疲れた時ぐらいは我儘に付き合ってあげるべきなのではないだろうか。私は心の中で腕を組む。
いくら白蓮だって、時にはそう言う日もなければ疲れてしまうだろう。もしかしたらこのグレるというのは、そういう意味合いもあるのかもしれない……。
「何だ?」
「……私はいいですけれど、白蓮様の腕が疲れませんか?」
「嫌だ、風呂からは出ぬ」
「……はあ、分かりましたよ。じゃあ、それで洗います。今、準備しますね」
私は手桶を置くと、大きな盤を白蓮の側に引き寄せて、温泉ではないお湯を汲みはじめる。
「えっ……マジで? マジで白蓮様、その格好の澪ちゃんに髪洗わせるつもり?」
半分振り返った状態で固まっていた九虎が、器用に白蓮だけを視界に入れないようにして私の方を向き、素っ頓狂な声を上げた。
「九虎さん、白蓮様の髪を洗うのは重労働なんです。どんな格好をしていても最後はずぶ濡れになりますから」
「いや、いや、そう言う問題じゃないでしょう。て言うか何その格好……マジでエ、いてっ! 蹴るなよ海星!」
「九虎、澪の仕事を邪魔するな」
「見てただろう、さっきそこ通るの。自分だって同じこと思ってるくせにっ、いって! おい、だから蹴るなって!」
温泉をばしゃばしゃと掛け合う二人を楽しそうに眺めながら、手酌を楽しんでいた我陵がふと白蓮と私に視線を向ける。さすが白蓮と付き合いの長い我陵は、少しも態度にブレがない。大人の余裕としか言いようのない包容力で見守ってくれている。
「ははっ、若者は元気だな。おや、確かに珍しい仕立てだね。輝晶に作らせたのか?」
「いや、これは錦屋だ。澪が欲しがった」
「……」
途端にバシャバシャと温泉を掛け合っていた音が止み、ピキリと空気が凍りついた。非常に居心地の悪い沈黙が広がる。
「白〜蓮〜様〜」
思わず唸り声が漏れる。
「わざと誤解を招くような言い方はおやめください! 私は無地とかすごく地味なやつがよかったのに、こんなド派手な柄になったのは、全部白蓮様の所為じゃないですか!!」
「似合っているぞ」
「もう!」
白蓮は半身を湯に浸けて夜風を楽しみながら笑い声を上げる。
「……それに、私だって色々学んだんですよ。今は、今は肌着は……ちゃんと自分で仕立てなきゃいけないって分かってます」
握りしめた拳がふるふると震える。
そうなのだ。
最近知ったのだが、肌着は自分で仕立てないといけないものだった。というのもこの国では肌着を強請ったり贈ったりするのは、多分に直接的な性的意味合いが含まれる行為だった。
あの時、波流が妙な顔をしていたのはそのためだったのだと、後で知った私の心中を察して欲しい。
「何だ、知らなかったのか」
「私が知らない事を知っていて、気付かないふりをしてましたね。もう、何であの時教えてくれなかったんですか!」
「あははっ、其方の発想が面白かったのでな。どんな仕上がりになるのか気になった」
「ぬう……酷いです!」
「そんな贅沢な肌着を主に仕立てさせておいて酷いとは。何とも贅沢な侍従だな」
「ぬう……もう、いいです! さあさあ、目を閉じてください。湯が入りますよ」
「ああ、そうだまっさーじもして欲しい」
「はいはい、分かりましたよ。もう……」
私は色々諦めつつ、多少白蓮を憐れに思いつつ、思い切り良く彼の頭に汲んできた湯をかけた。
書くのが楽しいシーンですね笑。
もう少々続きます。




