閑話:白蓮の撹乱(1)
まだまだ夏煌祭の途中ですが、しばらくドキドキ展開が続いたので、ここで閑話のショートブレイクを挟みました。
自由気ままな人々の一夏の思い出をお楽しみくださいませ。
「え?」
私は白蓮の寝台の横で間の抜けた声を上げた。
白蓮が今、何か物凄い事を言った様な気がするのだが聞き間違いだろうか。
「白蓮様、朝でございます」
「起きぬ」
「は?」
聞き間違いではなかった。
「え……でも、もう二の刻半ですよ。いつもならとっくに着替えて、何なら会議にも出ている時間ですが……」
「煩い、起きぬものは起きぬ。今日は……仕事は休む」
白蓮は頭からすっぽりと布団を被るとそっぽを向く。
布団の合間から美しい銀髪が清流のように溢れでて、朝日をキラキラと反射して輝いている。
姿は微睡む神仙。だが会話の内容は小学生。
なんだこのギャップ。
「え、ちょっ、ちょっとお待ちください! 仕事はしない? いや、でも休日までまだ一日ありますよ。今日の執務はどうされるおつもりですか? 会議も沢山あるのに……」
「……桂夏に使いを出せ。言えば分かる」
「ええ!?」
「其方は下がれ、煩くて眠れぬ。葉周、葉周はいるか!」
「はい、ここに」
「澪を連れ出せ。煩くて叶わぬ」
「畏まりました。さあ、澪君はこちらに」
「へ? え、でも、今日のお仕事が……えっ、ええ!!」
首根っこを捕まえた葉周によって、私は強制的に白蓮の寝室から連れ出された。
今日は色々あった半年に一度の大イベント夏煌祭も何とか終了し、半月ほど経ったある日の朝。
日差しはすっかりと夏の気配を帯び、外を歩けば半袖でも暑いほど。
そんな何でもない当たり前の日常、のはずが異常事態が起こった。
いつもは私より先に起きている事も多い白蓮が、何度も声を掛けているのに一向に起きて来ないのだ。
そして様子を見に来た私がされた対応が冒頭である。
文字通り白蓮の寝室から摘み出された私は、厨の隅で葉周と向かい合う。
「困ったことになりました」
いつも紳士然とした微笑みを崩さない葉周が、珍しく眉尻を下げた困惑顔をしている。
「もしかして、白蓮様はどこか具合が悪いのでしょうか?」
「久しぶりですね、前回は三年前でしょうか」
「え……では、定期的にお加減が?」
「まあ、ある意味。体調不良の一種なのでしょうが」
葉周は腕を組む。
そして私は首を傾げた。何だか話が噛み合わない気がする。
「侍従なら知っておいた方がいいでしょう。旦那様はこうして時々──」
「と、時々?」
私はごくりと唾を飲んだ。
「グレるのですよ」
「……はぁ?」
気の抜けた声が出て、慌てて口元を押さえる。
「聞き間違い、ですよね? その……グレるとか聞こえたような……」
「ちゃんと聞き取れてますよ。そう、グレるのです」
「……は、ええっ!?」
私の素っ頓狂な声が厨に木霊する。
「お若い頃は時々、そうですね年に一、二回はあったでしょうか。でも最近は落ち着かれていて、三年ほどはありませんでした。私も久しぶりですよ、あの旦那様を見るのは。ふふ、何だか昔に戻ったようでお懐かしいですね」
葉周は思い出し笑いのような柔らかな笑みを溢す。
「グレる……。その、具体的にはどのような?」
「そうですね、決まった症状はないのですが。一言で表現すると──」
「一言で表現すると?」
私は再びごくりと唾を飲む。
「物凄く我儘になります」
「はぁ?」
「旦那様は何でもお出来になる分、少々抱え込み過ぎるところがありますから。普段はご自分で調整されていて問題無いのですが、時々お疲れが溜まり過ぎると無理が祟って、急に色々な事が嫌になってしまわれる時があるのです」
「疲れが……」
私の視線が床に下がる。
今回の夏煌祭の一連の出来事では、白蓮に迷惑や心配ばかりかけてしまった。どれもこれも彼一人だったなら、全く背負う必要などない苦労である。
三年間は起こっていなかったというのならば原因は明白だ。
私の所為で白蓮に様々な負担がかかっているに違いない。
「大丈夫ですよ、それほど心配しなくても。対処の仕方も分かっていますから」
「あの、どのようにすればいいのでしょうか? 普段、白蓮様にご迷惑をおかけしている分、早く元気になっていただけるように私、頑張りますから!」
「いい心構えです。対処はとても簡単、まあある意味非常に難しいのですが……。とにかく旦那様の我儘に付き合うのです」
「我儘に……?」
「そうです。それでご本人の気が済めば、自然と元に戻ります。そうですね、大体二、三日、長くても五日でしょうか」
「二、三日。それでは、本日の仕事は?」
「当然、お休みです。至急、桂夏様に使いを出しましょう。桂夏様も旦那様とは付き合いの長い方ですから、色々と承知なさっていらっしゃいます」
「分かりました。すぐに手配いたします」
私は微笑む葉周に見送られて、白蓮の起きたくないという我儘を叶えるために、急ぎの使いを出しに部屋に駆け戻った。
そうして、白蓮の我儘に振り回される私の、ちょっとした夏休みが幕を開けた。
それから半日後。
夏の日も少し傾き始めた七の刻。
私は湖面を渡る爽やかな風に吹かれながら石段を登っていた。
先頭には白蓮、その後ろには海星、九虎と続き、最後尾に這々の体の私がいる。あともう少しで登り終えるという頂上には、財歳院長の我陵が西日を背に悠然と佇んでいた。
なぜだ、という気持ちを抑えきれない展開だが、これも全てはグレた白蓮の我儘を叶えるためである。
朝の葉周との話し合いの後、使いを出そうとする私を寝室に呼び付けた白蓮は、膝の上に広げた書物から顔を上げずに、温泉に入りたいと宣い始めた。医薬院の私室にある浴室も温泉ではないですかと言い返すと、その温泉ではないと駄々を捏ねる。
葉周に相談すると、王城のある王都から西へ馬で二刻ほど行ったところにこの辺りで有名な温泉街があり、そこに白蓮の定宿があるらしい。それで急遽、昼から一泊二日の温泉旅行に出かけることになったのだ。
元々翌日は休日だ。しかし院長が二日も王都を空けるとなると色々と事前準備が必要になる。だが白蓮本人は寝室に籠って一向に出て来る気配がない。
そこで、侍従であり彼の仕事も把握している私が、旅行のための準備に奔走する羽目になった。
用が済んだ途端に追い出された寝室の扉を前に、私はしばし佇む。
色々と文句はある。しかし普段、彼にかけている迷惑の結果、彼の疲れやストレスが限界に達したと考えると、私はその全てを飲み込まざるをえなかった。
むしろ行き場の無かった私を拾ってくれた彼に、私が恩返しできることなどこのぐらいではないだろうか。ならばせめて偶の我儘ぐらい広い心で受け止めてあげて、それで少しでも彼の疲れが癒えるのならば安いものだと発想を切り替える。
そうと決まれば、私は私が主のためにできることに全力を尽くすだけだ。
それで一人、山のような書類を抱えて王城に戻り、桂夏やその他面々と数日分の引き継ぎを済ませた。
その帰り道、西門の近くで仕事帰りの九虎と出会ったのである。
「おや、澪ちゃん! 嬉しいな、俺を待っててくれたの?」
「違いますよ。……はぁ、ごめんなさい九虎さん。今は軽口に付き合える余裕がなくて。……私もう行きますね」
「え、ええっ! ちょ、ちょっと待ってよ。どうしたの、全然元気ないじゃん。何か悩み事? 俺でよければ相談乗るよ?」
「いえ、悩みという訳では。ただ、丁度良い人材がいなくて困っているというか、追い込まれているというか」
私は胸の前に抱えた書類の上に溜息を落とす。
「人材? 何か仕事の依頼でも? 俺、自分で言うのも何だけど顔広いから、どんな奴探しているか教えてくれたら役立てるよ」
「ありがとうございます。はぁ……でも、それが探している方の条件が非常に厳しくて。さすがの九虎さんでも難しいかと。しかも個人的な仕事の依頼ですし」
「個人的な仕事? どんな?」
「分かりやすく言うと護衛でしょうか」
早馬に早馬の追加料金を重ねて、何とか宿の手配は出来た。しかし予定が急すぎて道中の護衛の手配が間に合っていない。
屋敷の護衛を連れて行けばいいのだが、白蓮がそんな無粋は嫌だと我儘を言うのだ。しかも追加で色々な条件を付けるので、余計に見つからなくなってしまった。
しかし出発は今日の昼。それで私は頭を抱えていた。
「条件は?」
「ええっと、期間が今日の午後から明日の夜までで、王都の西側にある温泉街に一泊で同行してくださる方を探しています。ただそれが……一人で賊一個団を相手にできるぐらい腕が立って、粗野でなくて清潔感があって、宮廷作法に則った食事ができて、煩すぎず白けすぎず適度に気が利いて、白蓮様が多少気心が知れていると感じられて、そして秘密が絶対厳守できる信頼できる方なんです」
九虎が目の前で手を振っている。
私は溜息を吐くと肩を落とした。
「そうですよね、さすがの九虎さんでも、そんな方そう簡単に見つかりませんよね……」
「違う、俺、オレ!」
九虎はぐっと立てた親指を自分に向けた。
「今のオレなら、奇跡的にその全部の条件に当てはまる、はず。今日は午後から非番だし」
「え……ええっ、本当ですか! それは神!! ……あ、でも駄目だ」
私はしょぼんと肩を落とす。
「何で?」
「と言う方が、二人必要なんです。葉周様からそう言われています」
「葉周様って、白蓮様の筆頭侍従の? てか一体、誰の何のための護衛なの?」
「……白蓮様、とお供の私の温泉旅行です」
「はあ!?」
「白蓮様が急に温泉に行きたいと仰って。でも屋敷の護衛を連れて行くのは嫌だと仰って。でも今日の昼には出発しないと間に合わなくて。でも、でも、条件はとても厳しいんですけれど、待遇は悪くないんですよ! 温泉街にある湖月楼という老舗宿に泊まる予定で、護衛の方の宿泊費や食費は全て白蓮様持ちですし、もちろん別に日当も出ます!」
「……それって、お目付役はいるけれど、澪ちゃんと一泊二日の旅行ができて、しかもあの超高級旅館の湖月楼にタダで滞在できるってこと、だよね」
腕を組んだ九虎の目がぎらりと光る。
「ちょ、ちょっと待ってて、ここで待ってて! すぐ戻ってくるから。いい? 絶対他に声かけちゃ駄目だからね!!」
西門の詰め所に駆け込んでいった九虎が、すぐに誰かの腕を引っ張って戻ってくる。引き摺られているのは仏頂面の海星だった。目が合った途端に、海星は普段の無表情に近い顔に戻って眼を細める。
「いたいた! いたよ澪ちゃん、今日の午後から暇な奴がもう一人!」
そう言って九虎はしたり顔で隣に並べた海星の肩を抱く。
「こちら海星。近衛騎士様に抜擢されちゃって今は職場は別だけど、元は軍兵院所属で俺の同期。腕っ節は俺が保証。どう、俺達条件にばっちりでしょう?」
私は瞳を瞬かせて二人を見上げる。
確かに、この二人以上の適材など、どれだけ探しても見つからないだろう。
私は笑顔で頷いた。
白蓮の撹乱は続きます。
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