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夏煌祭の三日間〈第二夜〉お仕事では呑んでも呑まれません(3)

さて、見知らぬ男と二人きりで部屋に閉じ込められてしまった澪。

一体、誰が何の目的そんなことを……

 私が押し込まれた部屋は、以前に祭礼局(さいれいきょく)で最初に通された待合室に似ていた。


 部屋は適度な広さがあり中央に豪奢(ごうしゃ)な応接セットが置かれている。室内は無人だが灯りが点され、卓上には水差しも用意されていた。

 恐らく宴の参加者に準備された休憩室の一つなのだろう。

 灯りが点されていたのはせめてもの救いだ。

 もしも放り込まれたのが真っ暗な部屋だったなら、私はとっくに恐慌状態(きょうこうじょうたい)に陥っていたに違いない。


 一刻も早く自分の置かれた状況を把握すべきだということは百も承知していたが、私は恐ろしくてすぐには振り返る勇気が出なかった。

 それに心の何処かでは、未だこの窮地(きゅうち)を信じたくない自分がいて、そんな馬鹿なとか、きっと何かの間違いだろうとか、自分の勘違いに違いないとか、あらゆる言い訳をして現実逃避をしていた。


 しかしその一抹の希望も、閉めた扉にかけられたカチリという鍵の音で粉々に砕け散った。

 酔いも有象無象(うぞうむぞう)の現実逃避も一瞬で()めて、私は「男と二人きりで鍵のかけられた部屋に閉じ込められた乙女」という現実に引き戻される。


 部屋に押し込まれた瞬間に悲鳴を上げ、すぐに助けを求めるべきだったのかもしれない。しかし名前を聞かれて咄嗟(とっさ)に偽名など思い浮かばないように、窮地に陥った際の作法など、平穏無事(へいおんぶじ)な世界で生きてきた私が知るはずもない。


 私は自分を落ち着かせるように意識してゆっくり呼吸すると、部屋の奥に向かって数歩足を進めた。鍵をかけられて退路を断たれた以上、進路は前方にしか残されてい無い。 

 わずかな期待を込めて素早く部屋に視線を走らせるが、当然他に出入り口など無い部屋だ。

 しかし扉の正面に帳のかけられた壁があった。

 恐らく帳の向こう側には窓があり、常のように小さな庭につながっているだろう。


 白蓮の「決して目立つような事はしてはならない」という言い付けは最大限に破る事になるが、その窓を開けるか割るかすれば脱出できる可能性はゼロでは無さそうだ。

 後はそれだけの勇気を自分が持てるかどうかだが……。


 私が窓を見つめて、恐らく一秒にも満たないわずかな時間逡巡してると、不意に背後の男が口を開いた。


 「窓を破ろうなどと、無茶な事は考えるなよ」


 まるで私の考え読んだかのように釘を刺す。

 先ほどの優しげな雰囲気とは打って変わった低音の響く明朗な声色に、私の肩がぴくりと震えた。

 私は迫り上がる何かを押し戻すように唾を飲み込むと、お腹の前で握り合わせた指に力を込めて、ゆっくりと声のした方を振り返る。


 扉に腕を組んだ男が一人寄りかかっていた。

 二、三度瞬きして目を凝らすが、どう見ても見覚えの無い男だ。

 浅黒い肌に艶のある焦げ茶色の髪、エキゾチックな彫りの深い顔立ち。凛々しい眉の下にあるアーモンド型の瞳は晴天のような空色で、それが真っ直ぐに私を見つめ返している。しかし両端を釣り上げた唇とは裏腹にその目は全く笑んでいなかった。


 顔に見覚えはない。

 しかし男の容姿の特徴には心当たりがあった。

 先ほど飲み比べを仕掛けた面々と共通するものがあるのだ。

 たらり、と私の背中を冷たい汗が流れ落ちる。

 再び白蓮の「決して目立つようなことはするな」という忠告が頭の中で響き渡る。

 今のところ心当たりはそれぐらいだ。

 私は一時の八つ当たりのために飲み比べなど仕掛けたことを、心の底から後悔していた。


 「聞きたいことがあるだけだ」


 男が寄りかかっていた扉から体を起こす。

 私は反射的に一歩後退った。


 私は見た目は少女だが中身は三十五の大人だ。

 白蓮に「見知らぬ者にほいほいと付いて行くな」と小学生のような注意をされ、そんな迂闊(うかつ)なことなどする訳がないと聞き流していたが、今ならば彼の心配がいかに的を得たものだったか良く分かる。


 私は分かっていると思っていただけで、やはりこの世界の基本的なところを何も分かってはいないのだ。

 前の世界とこの世界では前提となるルールが全く異なる。

 そもそもこの世界で人の命は等価では無い。

 更に言えば安全など誰にも何処でも保障などされていない。

 突然、今夜私が姿を消したとしても、誰か必死になって探してくれる人がいる訳でも無い。

 しばらくの間、白蓮が少々不便に思うくらいで、侍従の代わりなどすぐにいくらでも見つかるだろう。

 つまり私の命や存在など枝に揺れる木の葉、もしくは風の前の塵と同じ……。


 「怪我はさせたくない、分かるな?」


 男が組んでいた腕を解き、一歩私の方に近付いた。


 ああ、やっぱり部屋に押し込まれた時に思い切り騒ぐべきだったのだ。

 このような状況に陥ってしまってからでは、理性など何の役にも立たないのだから……。


 私はぞわぞわとする腹の底に力を込め、後退りたくなるのを堪えてその場に踏み止まる。

 そしてなけなしの理性を振り絞って微笑んだ。

 

 「どのようなご用でしょうか?」


 脱出できないのならば時間稼ぎをするしかない。

 白蓮が遅刻した私の異変に気付いて、何か手を打ってくれるのを願うだけだ。

 白蓮が手を打ってくれればの話だし、さらにそれまで色々もてばの話だが……。


 男は片眉を上げると、今度は目元も緩めて別の笑顔を作った。

 溢れた蜂蜜を舐めとるように、ぺろりと舌先で唇の端をなぞる。

 

 「肝の座った女は嫌いじゃない」


 咄嗟(とっさ)に私は窓に向かって身を(ひるがえ)した。

 ここで逃げようとしたのは生存本能としか言いようがない。

 逃げ場はないと知りながら、それでもどうしても逃げ出したいという衝動に抗えなかったのだ。

 しかし男の方がずっと素早かった。

 彼は若い獣のような動作で音もなく床を蹴ると、次の瞬間には伸ばした腕を私のウエストに巻きつけ、ぐいと斜め後ろに引き戻す。

 

 「あっ……」


 一瞬の浮遊感。

 声を出す間も無く、体が長椅子の上に放り出される。

 体制を立て直そうとクッションに手を付くが、その時にはすでに男の顔が息のかかる距離にあった。


 長椅子に倒れこんだ私の上に、男は半身を乗り上げるようにして体重をかけてくる。

 飲み比べをした面々よりは細身といっても、鍛えられた男の体はとにかく重い。体格差のある私はそれだけでほとんど身動きができなくなってしまった。


 「やめ……」

 「暴れるなよ、怪我はさせたくない」

 

 少しでも距離を取りたくて男の肩に手をかける。

 しかし今度はその手を逆に掴まれて頭上に縫い止められる。

 背けた顔は頤を掴まれてぐいと正面に戻された。


 男が綺麗なアーモンド型の瞳で覗き込むように私を見下ろす。

 私は瞬きもできず、その空色の瞳を見上げた。


 「……放してください。人を呼びますよ」


 震えないようにするのが精一杯で、私が絞り出した声は囁くように小さい。


 「構わぬ、来ても護衛が追い払う」


 男は笑顔のまま軽く肩を竦める。

 つまり、と私は混乱する思考を必死で整理する。

 この男は異国の王城で護衛を連れ回し、人払いをさせられるような人物ということだ。

 一国の使節団の中にそんな人物が何人いるだろうか……。

 私の背中を今度は別の汗が流れる。


 男は私の頤に絡み付けた指先を滑らせ、感触を確かめるように頬を撫でる。


 「珍しいな、本当に髪も瞳も黒色なのか。肌が赤子のように柔らかい」


 頬を撫でていた男の手がするりと首の方へ移動する。

 大きな手で頬から首筋をゆっくりと撫で回しながら、男が感心したように呟いた。


 「やはり見た目通りの年齢か。不思議だ……どうしたらその歳でああなる?」

 「な、何を……」

 

 不躾に撫で回される不快感に私は眉を寄せて身を捩る。

 男の手を振り払うように首を振ると、逃れようと渾身の力を込めて抗う。

 だがわずかに身動ぎするのが精々だ。そもそもの体格差があるのに加えて、上半身は端に置かれたクッションの上に倒れ込んでいて全く踏ん張りがきかない。

 それでも往生際が悪く抵抗する私に、男は少々眉間に皺を寄せると、何を思ったか突然手を離して上体を起こした。

 

 急に退いた圧迫感に、急いで背もたれに手をかけ、長椅子から飛び降りようと身を捻る。

 そこを今度は背後から腕を回され体重をかけられた。

 あっと思った時には、クッションに顔を埋めるようにして俯せに抑え込まれる。

 密着した背中から男の体温と、酒精の香りと、香木を焚き染めたような香りが伝わってくる。

 今まで知っている誰とも異なるその感触や香りに、私の全身が総毛立つ。


 「暴れるなと言ったろう?」

 

 俯せに抑え込まれた耳元に男が唇を寄せて低い声を出した。

澪の危機は続きます。


・・・・・・・・

ブックマーク、評価等ありがとうございます。更新の励みとなっています。

面白いお話をお届けできるように頑張ってまいりますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

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