夏煌祭の三日間〈第二夜〉お仕事では呑んでも呑まれません(2)
厳ついおっさん達に秒で絡まれた澪。
果たして白蓮の言い付けを守りつつ、この危機を回避できるのか……
それから四半時ばかり後。
宴会場のとある一角は異常な熱気に包まれていた。
むさ苦しい男どもが円陣を組むように何かを取り囲み、野次を飛ばしてはわっと歓声を上げる。
男どもの中心には差し向かいに並べられた高足膳が二つ。
そこに二人の人物が座っている。
片方は周囲を取り囲むのと似たむさ苦しい巨躯の男。
そしてもう片方にはその男の片掌に乗ってしまいそうなほど可憐な少女が一人。私である。
高足膳にはそれぞれに酒の並々と注がれた酒器が置かれ、二人は周囲からの盛大な歓声と野次を受けながら、交代でその酒器を口に運んでいた。
つまり飲み比べをしているのだ。
二人を取り囲むのは観客と化した男の同僚とその他諸々である。
しかし行われているのは単純な飲み比べではない。
双方が手にしている酒器のサイズが全く異なっているのだ。
私が手にした酒器が小さなお猪口程のサイズなのに対して、向かいの男が手にするのは料理が盛り付けられていた大皿。
男はその大皿に並々と注がれた酒を喉を鳴らして飲み干している。
それに合わせて私はさも感心した風に「まあ、すごい」や「さすが武人は違う」などと、適当な感想を述べては男を煽っていた。
それに合わせるように二人を取囲む観衆も盛大な野次を飛ばして盛り上がる。
そうやって私は自分がお猪口に一杯の酒を飲む間に、男に大皿で三杯は飲ませているのだ。それを先ほどから幾度も繰り返している。
さすがの大男もふらふらで、どうやらこの一杯が締めだろうと私はお猪口に付けた唇の端を上げた。
酔った男に絡まれて、飲み比べを提案したのは何を隠そう私である。しかし普通に飲み比べるつもりなど端から無い。
話を聞き付けて瞬く間に集まった野次馬を前に「まあ、こんなに体が大きいのに酒器が同じ大きさだなんて、余程自信がおありにならないのね」と頬に手を当て少々大げさに呟いて見せれば、男は額に青筋を立てて手にした自ら酒器を投げ捨てた。
彼らの話す言語は、基本的には天虹国と同じである。
しかし癖の強い方言のように、天虹国にはない独特のリズムや言い回しがある。その言葉のリズムは総じて陽気で朗らかで、彼らの非常にノリの良い国民性を反映していた。
とにかく野次を飛ばすのに最適なリズムなのだ。
酔っ払いに絡まれたという出会いは少々腹立たしく、また彼らの外見は総じて厳ついので、最初はその迫力に気圧されてしまったが、少し酒を酌み交わせば、皆陽気で気の良い人達ばかりだとすぐに分かる。
数人、恐らく特に身分の高い面々が、少し離れた席からこちらの様子を伺っているが、それ以外はほとんど全員が私の提供したこの余興にすぐ夢中になった。
向かいの男は大皿の酒を飲み干した途端に机に突っ伏す。
私は大歓声に片手を上げて応えながら席を立った。
空いた二席は瞬く間に埋まってすぐに次の飲み比べが始まる。
そんな彼らを尻目に、私は観衆を掻き分けて人垣の外に出ると、可能な限り平常を装って回廊を歩き出した。
酒器のサイズに天地の差があったとはいえ、私もそれなりの量の酒を飲んでいた。必死に平静を装っているつもりでも足取りは雲の上を歩くように覚束なくなっている。
それでもせめてこの場を離れるまではと、私は必死に背筋を伸ばし一際ゆったりとした姿勢を作って廊下を進む。
ようやく角を曲がり人目の少ない脇道に逸れたところで、壁に寄りかかって息を吐いた。
転生前後の体の変化を考慮し忘れたのは自分の責任だ。
しかしそれだけではない。無理やり押し付けられた午後のハードワークと、休憩夕食抜きの空腹、そして二日連続での巻き込まれによる疲労が重なって、想定以上に酔いが回っているようだ。
蹲み込んで休憩したい誘惑と、白蓮との待ち合わせに急がなければと焦る気持ちの狭間で、私は壁に凭れて葛藤する。
普段なら白蓮の命令に従わないという選択肢など、検討の対象にすら入らないのだから、今の自分の理性や判断力がいかに低下しているかが良く分かる。
それでも、と私は一瞬の迷いを振り切って私は顔を上げた。
やはり今すぐに執務室に戻らなければ。
そのためには、まずはここを出る道順を教えてくれる人を探さなければならない。
意を決し、背を伸ばしたところで不意に背後から私の肩に手がかかった。
「大丈夫ですか? 何方に行かれるか教えて頂ければ、ご案内しますよ」
気遣う様な落ち着いた声色で男が声をかける。
一瞬、ぴくりと肩に緊張が走ったが、その声を聞いてすぐに力を抜く。
問いかけた男の話す言葉が、つい先ほどまで聞いていた耳鳴りと区別がつかなくなるような賑やかな異国の言葉とは異なる、全く癖のない天虹国語だったからだ。
肩に置かれた手の距離感が少々近過ぎる気はするが、その雰囲気は特に強引でもなければ厭らしくも無い。そして何より、ついにここから脱出する案内役を見つけた安堵に私の警戒心は最大限に緩んだ。
「……医薬院に行きたくて」
ぽろりと本音が溢れる。
「ああ、ではこちらですね。段差がありますから気を付けて」
男は大きな手でそっと私の肩を押すと、脇道の奥にある扉を開けた。
ああ……これで白蓮との待ち合わせに遅刻しなくて済む。
私は男に誘導されるがままに扉を潜り、薄暗い廊下を進む。
一つ扉を隔てただけなのに、廊下は先ほどの騒々しさが嘘のように静かだった。
二、三人の異国の客人と思しき人物とすれ違った他は、所々に彫像のような衛兵が立っているだけで人も疎らである。
しばらく道なりに進み、ある扉に男が手をかけた所で私は足を止めた。
男が入ろうとしているのが全く見覚えのない部屋の扉だったからだ。
しまった、と思った時にはすでに遅く、ここに至るまでの道中とは比べものにならない強い力で背中を押され、私はその見覚えのない扉の中に足を踏み入れていた。
ドキドキの展開です。
次話に続きます。
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