夏煌祭の三日間〈第二夜〉使節団の男(2)
夏煌祭の本宵の宴に使節団を率いて参加する、
ロジン国第二皇子イザヤの視点から見た色々な働きぶりです。
奥宮の厨で在庫を確認していた官吏を追いかけたイザヤが辿り着いたのは、西側最奥の搬入口に程近い場所にある酷く奥行きの深い部屋だった。
今は長手の壁一面に一定の間隔で設けられた扉が全て解放され、そこから大量の人足が出入りしている。後を追ってきた官吏も後方にあるその扉の一つから部屋の中に消えて行く。
ここまで来るとさすがに異国の軍服姿の彼はかなり目立つ。そろそろ巡回する衛兵に声をかけられるかと予想しながらも、彼は好奇心を抑えることができなかった。
まあ、仮に衛兵に声をかけられたとしても問題無い。こう言う場合に備えて常に三十通りほど言い訳を用意してあるからだ。そう自分に言い聞かせ、彼は官吏の消えた部屋の外側を壁沿いにゆっくりと歩き、解放された扉からさりげなく中の様子を伺う。
覗き込んだ長方形の部屋の中にはびっしりと棚が設えられ、その合間には巨大な甕や大きな袋が積み上げられている。どうやら食料庫のようだ。部屋の中央に一本通った通路があり、奥に進むほどその通路を行き交う人数が多くなっていた。そろそろ何かがありそうだとイザヤが歩調を緩めた時、ふと場違いな声が聞こえる。
「では、西倉庫より南翼の厨に酒二十樽を搬入してください」
毅然と指示を出す少女の声だった。
イザヤは声の主を探して思わず扉に近付く。
薄暗い部屋の中央通路の最奥、その壁際に一つ大きな机が置かれている。机の周囲には防火対策を施された硝子製の洋燈が掲げられ、明るく照らし出されたそこに一人の少女が腰掛けていた。その奥側にがもう一人青年が腰掛け、二人で机上に広げた大きな帳簿を覗き込んでいる。
帳簿を睨んだ青年が少女に顔を寄せる。
「西倉庫は残り百五十一樽、少し心もとないですね」
「次は東倉庫から出しましょう。小麦粉の方はいかがです?」
「在庫は心配ありません。ですがこの様子ではそろそろ東翼の厨から使いが来る頃でしょう」
「分かりました。では酒と一緒に小麦十二袋も移動を」
「塩はどうしますか?」
「それは西側の──」
机の周辺には人集りができており、二人の指示に合わせてさっと人々が移動して行く。
イザヤは瞬きして少女を見直した。
指示はその少女が主体となって出しているように思える。事実、隣の青年は帳簿管理に徹しておりどうするかの判断は少女に委ねている。
しかしその少女の外観はとてもそのような指示を取り仕切る人物には見えなかった。
当然だ。少女の歳はどう考えても十五、六。見た目の印象は一言で言うと可憐。全体的に細っそりとした華奢な体つきに、中々に整った顔立ち。天虹国の女にしては珍しく、なぜか髪を肩口で切り揃えているのだがそれが不思議と似合っていた。
イザヤがそこで目を瞠っている間にも、続々と指示を仰ぐ人々がやってくる。しかしどんなに多くの人が室内に流れ込んで来ても、机の前に出来た行列が一定の長さ以上になる事は無い。落ち着いた淡々とした様子とは裏腹に、捌く少女の手腕はかなりのものだとイザヤは舌を巻いた。
裏方の混乱が無かったのはこのお陰だったのかと納得できる仕事振りである。
最初は少女の見た目と仕事内容の落差に見間違いかもと半信半疑だったが、観察する内にその疑念は何処かに消えてしまった。今あるのは見た目とは全くそぐわぬ能力を発揮する少女への純粋な興味である。
気配を消して扉の影に寄りかかったイザヤがしばらく少女の仕事振りを観察していると、不意に彼女が横を向き、その耳元に洋燈の灯りを反射して金色に輝く飾りがあることに気付く。恐らく位置からして単なる耳飾りではなく輪札だ。
耳輪に取付ける輪札は主に天虹国で運用される制度だが、その内容はロジン国をはじめとした周辺国でも広く知られている。
天虹国で発行された輪札が、国境を超えてもかなり信頼性の高い身分証の役目を果たすからだ。裏を返せば天虹国の輪札はそのぐらい厳格な管理の元に制度が運用されている。
当然、それらの制度を維持するために輪札の登録費用は非常に高額だ。費用と利点を天秤にかけ、利点のために金を払える、そういう主が利用する。
イザヤが聞いたところでは、王城に出入りする際の身元保証や事件に巻き込まれた時の危機管理のために、あるいは自身の財力と寵愛を誇示するために、貴人や大店の店主が特にお気に入りの侍従に付けさせていることが多いという話だった。
しかも少女の耳に付いている輪札は特別に金で誂えたものらしい。遠目にも分かる手の込んだ細工のお陰で、洋燈の灯りがより一層眩く反射して見える。余程の金持ちに雇われているか、気に入られているのか、はたまたその両方か。イザヤは鋭い目線で彼女の仕事振りを観察しながら思考を巡らせた。
遠目なので恐らくだが、洋燈に照らし出された少女の肌は淡い象牙色、髪も目も黒色に見える。東方の出身に多い組み合わせだと考えたところで、先般、東方で起こった大規模な武力衝突に思い至った。
成程、その辺りに原因を求めれば全てでは無いが納得できることもありそうだ。あの育ちの良さそうな少女が、誰か金持ちの侍従として働いている理由にも見当が付く。
しかしだとしても未だに疑問は尽きない。
どう考えても官吏のすべき仕事を個人の侍従が取り仕切っているのも謎ならば、それを全く疑問に思わずむしろ協力している周囲の様子も奇異に感じる。
そして何よりも一番の疑問は、当の少女自身がそれを少しも疑問に思わずに、しかも少しの支障もなく仕事を捌いていることだろう。
遠くから伺っただけでも、すぐに中堅の官吏が数人掛で対応するような仕事だと分かる。それは奥に座る男の支援があるとはいえ、どう考えても十五、六の少女が一人で対応出来るような内容ではない。
東方の出身と考えれば出自の謎は多少理解できても、まだ面差しにあどけなさの残る可憐な少女が、一体何時何処でそのような能力を身に付けたのかは分からない。その分からないと言う感覚がイザヤを酷く惹きつけた。
イザヤは独りでに唇の端が緩むのを感じる。
最近、兄の仕事の手伝いに王城に籠ることが多かった所為で忘れかけていた、ある種の高揚を伴った馴染みのある感覚が一陣の風となってイザヤの胸の中に吹き抜ける。
やはり外に出なければ駄目なのだ。外に出て色々と知らなければ駄目だ。外にはまだまだ広い世界が広がっていて、自分の知らない物や事、そして人が溢れている。
そうまさに今目の前にいる少女のように、とイザヤは彼女を見つめる瞳を細めた。その瞳には奥宮の表方をぶらついていた時とは比べ物にならない強い光が宿っている。
少女はこれまでイザヤが接した女の誰とも違っていた。美しいのとも、気立てが良いのとも、話が面白いのとも違う。非常に強く「知りたい」と思わせる何かがあって、それが退屈しきったイザヤの心を激しく揺さぶった。
イザヤが扉の陰に寄りかかり、獲物を狙う猛獣の様に鋭い視線で少女を観察していると、不意に護衛が軽く肩を叩くのと同時に声がかかる。
「失礼ですが──」
奥宮を巡回する衛兵だ。
思っていたよりも長く考え込んでしまっていたらしい。あえてゆっくりと振り向くと巡回の衛兵が二人、倉庫のような部屋を熱心に覗き込むイザヤに怪訝な顔を向けていた。その隣に彼の護衛が呆れた顔で立っている。
イザヤは慌てる事なく、悠然とした態度で事前に用意しておいた言い訳の一つを口にした。そして声をかけた相手ににこやかに挨拶しながらその場を離れる。相手は酷く感心した様子で姿勢を正し、敬礼までして気持ち良くイザヤ達を送り出す。
イザヤはそのままゆったりと廊下を進んで厨を抜けた。女官が皿を捧げもつ表方に戻ってきたところで足を止める。ちらり、と今来た廊下の向こうに視線を向けて腕を組んだ。
「何かございましたか」
いつの間にか真横に立つ護衛が、全く表情を変えずイザヤにだけ聞こえる声で囁いた。
「面白いものを見つけた」
イザヤは腕を組み、視線を廊下の先に向けたまま独り言のように呟く。
「イザヤ様……またいつもの悪い癖ですね」
「せめて名前を知りたかった」
「……おや? 珍しい。貴方が名前を知りたいほど誰かに執着されるとは。探して参りますか?」
護衛の「探す」には、実際に探す以上の多分な意味が込められている。イザヤは視線は外さないまま、しかし軽く首を振った。
「いい、仕事を邪魔しては悪い」
何か言いたげに唇を開いた護衛を無視して、イザヤは自国に充てがわれた席に向かって歩き出す。
護衛が知る限り、この自由を装う主は決して阿呆と言う訳では無かったが、王族特有の傲慢さで何かを欲しいと思って諦めた事も無かった。ましてや誰かの仕事に配慮して自分の欲望を曲げるところなど見た事は無い。
先ほど護衛の言った「探して来る」の後には、通常ならば「そして、部屋にお連れしましょうか」や「そして、奴隷として買ってきましょうか」が続く。
しかし護衛は二、三度瞬きするとすぐに気を取り直し、何事も無かったかの様に彼の後に続いた。
歩きながらイザヤが「仕事が終わるまで待つか」と呟いたのが護衛にも聞こえたが、彼は聞か無かった事にした。
次は再び澪の視点に戻ります。
白蓮との待ち合わせに遅れまいと急ぐ澪ですが、そう簡単に辿り着けるはずも無く。
案の定色々なことに巻き込まれてしまい……
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