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夏煌祭の三日間 <第一夜> お仕事は上司の顔色次第

 「ふ〜ん、ふ〜ん、ふふ〜ん」


 湯船に浸かった白蓮が鼻歌を歌っている。

 美声だと鼻歌も上手い。白蓮の髪を洗いながらそんなことを考える。


 「いかがでしょうか?」

 「良いな」


 「悪くない」が出れば上等の白蓮から「良いな」が貰えるとは。

 彼の機嫌は十二分に改善したようだと私は密かに笑みを零した。


 今、私と白蓮は医薬院(いやくいん)の執務室の奥にある湯殿にいる。

 念のため言っておくが白蓮は裸ではない。ちゃんと浴衣のような湯着(ゆぎ)を着ている。その状態でのんびりと湯船に浸かり、ふちから乗り出した彼の頭を、湯船の外側に片膝をついた私がせっせと洗っているのだ。

 おかげで私は全身汗とお湯でびしょ濡れだ。しかしそんなことは構わない。これで白蓮が鼻歌を歌うほど機嫌を直してくれるのならばお安い御用である。


 私は洗い残しが無いようにもう一度丁寧に湯をかける。


 「先に出る。澪、其方もそのまま汗を流してしまいなさい」

 「はい、ありがとうございます」


 白蓮はざばりと躊躇(ためら)いなく湯船から上がると脱衣所に消えて行く。目を伏せるまでの一瞬に、濡れて湯着の張り付いた体が見える。分かっていても心臓に悪い。


 耳を澄ませて白蓮が部屋に戻るのを確認すると、私は急いで衣装を脱ぎ湯を浴びた。

 今日一日のことを考えれば本当はのんびりと長湯をしたいところだが我慢する。できるだけ早く戻部屋に戻って白蓮の髪を乾かさなければならない。


 葉周(ようしゅう)に聞く前から薄々気付いていたことだが、綺麗好きの白蓮は髪を洗うのも好きだ。

 しかし人に触られることを極端に嫌がる白蓮は、洗髪の手伝いをこれまで葉周にしか許してこなかった。そのため週に一、二度、葉周が医薬院に手伝いに来る時か、白蓮の方が用事があって屋敷に戻った時か、もしくは時間に余裕があれば彼が自分で髪を洗っていたという。


 しかし私が屋敷で白蓮と分かれて今日までの間、葉周は私のスパルタ教育でずっと屋敷の方にいたし、顔色を見る限り白蓮にものんびりと湯に浸かるような余裕はなかっただろう。そうなるとかなりの期間、彼は気持ちよく洗髪できていないことになる。


 同じ風呂好きとしてそんな彼の気持ちは痛いほどよくわかる。それ故に私はさっき彼に洗髪を提案したのだった。

 風呂に浸かれば疲れもとれて髪も洗える。体も心もすっきり、一石二鳥ではないか。お風呂万歳! そしてその作戦は今のところかなり成功しているようだ。


 私は急いで湯殿から出て着替えると白蓮の部屋に向かった。長椅子に腰掛けて髪を拭っていた白蓮から湿った布を受け取り、代わりに乾いた布で上から順に優しく髪の水分を拭っていく。

 前回、私がここで長湯をした時に比べて、夏至である夏煌祭の本宵を明日に控えた今夜はかなり暖かい。加えて指通りの良い白蓮の髪は水分が飛びやすく、それほど苦労せずに乾かせそうだった。


 白蓮は長椅子の肘掛けにクッションを積み上げて背を預け書類に目を通している。私はその傍に膝をつき、黙々と彼の髪を拭き、香油を塗り、櫛削る。

 入浴のお陰か彼の顔色はかなりよくなっているようだ。それでも先ほどよりももっと近くに控える今は、目の下の隈がはっきりと確認できる。書類仕事が一段落したところで私は声をかけた。


 「白蓮様……後宮の件、お疲れ様でした。昨日はあまりお休みになれなかったのではないですか?」

 「ああ……いつものことだ。今回の件に限らず、この時期は毎年慌ただしい」

 「そうですか。今日はもうお休みに?」

 「そうだな、明日は本宵闇にも呼ばれているしそれこそ徹夜になるだろう。髪はこれで十分だ、其方ももう休みなさい」

 「はい、ありがとうございます……」


 その言葉に手を止めた私が、それでも中々その場を動かないので白蓮が書類から顔を上げる。


 「どうした、足でも吊ったか?」

 「いいえ」


 私は思わず笑みを零す。それを見て白蓮も唇の端をわずかに緩めた。


 「統括司令……ほんぶ? だったか。ふふっ、そのような大層なところで一日立ち回れば、其方もさぞ疲れたことだろう」

 「私が付けた名前ではありませんよ。九虎さんと、それから皆が勝手に……あれ、本部?」

 「ははっ」

 「白蓮様……さてはご存知だったんですね。今日のことを昼前から。酷いです、どうして助けてくださらなかったんですか!!」


 白蓮の言った本部とは、テントが設置される前に机を並べて対応していた時の名称だ。昼過ぎにどこからともなく引っ張り出されたテントが設置された段階で本部から幕府になった。つまり本部だった昼前の時点で、白蓮は中庭の状況をすでに把握していたことになる。


 私が恨みがましい半眼で見つめると、白蓮は小さな笑い声を立てて肩を震わせた。


 「ふふっ、当然だろう、私は院長なのだから。祭礼に参加していようとも常に報告は来る。九虎(あれ)は其方を医薬院の見習いと思っていたようだな。すぐに輝晶(きしょう)の一筆付きで其方を一日貸して欲しいと使いを寄越した。まったく手回しの良い男だ」

 「な……じゃあ全部分かって? そんな……大変だったんですよ一日中。とにかく皆んなが困ると思って、白蓮様に怒られるの覚悟で頑張ったのに……」

 「それとこれとは話が別だ。やはり勝手に引き受けたのは其方が悪い。しかし確かに多少の情状酌量の余地はある。だから許した、灸はすえたが」


 私はがくりと前に倒れて床に手を付いた。 

 再び白蓮が喉の奥で低く笑う。


 あんなに怖い思いをして怒られたのに……酷いよ!


 「あのご様子、きっと白蓮様はとてもお疲れなのだろうと思って……。せめて洗髪とそれからマッサージでもして、少しでも寛いでもらおうと思ってい、うわっ!」


 言い終わらないうちに、ばさりと書類を置いた白蓮に櫛を持った手を掴まれた。


 「……頼もう。あれは確かになかなか良い」


 手首を掴んだ白蓮にそのままずるずると奥にある寝台の側まで引き摺られる。傍に立って白蓮が上着を脱ぐのを手伝うと、脱いだ上着の代わりに小さな茶器を手渡された。白い器の中には透明な琥珀色のお茶のようなものが半分ほど入っている。


 「飲むといい、疲れがよくとれる」

 「あ、はい。ありがとうございます」


 促されるままに口を付ける。薄荷のような香りのする少々濃いハーブティーと言うか薄い薬というか、そういうものだった。それほど嫌な味ではない。通り過ぎた辺りから熱が抜けるようにすっとした感触が残り、風呂上がりの体に心地いい。


 先に寝台に上がった白蓮がゆったりと寝そべったその隣に私もよじ登る。


 「頭と首、肩なら何処がいいですか?」

 「頭だな。頭皮を揉むという考え方が面白いし、実に気持ちいい」

 「それはよかったです。じゃあ頭からはじめますね」


 彼の絹糸のような髪の中に指を差し入れると、長い髪が吸い付くようにしっとりと手に絡みついた。

 

 寝台の上一面には彼の髪に塗った香油の何とも言えないいい香りが漂っている。その香りをゆっくりと胸の奥に吸い込むと、自然に肩の力が抜ける。ほんの数日ぶりだと言うのになぜだかとても懐かしい。


 九虎のようにストレートで分かりやすいのも嫌いではない。しかし私はすでに感情の読み難い白蓮の厳しいのか優しいのか、冷たいのか暖かいのか、良くわからない振る舞いに振り回されることにすっかりと慣れてしまっているようだ。九虎の明快さは今の私には少々眩しすぎるように思う。


 今日一日のことを考えたら、多分この世界に来て最も忙しい日だっただろう。しかし今この瞬間だけを見たら、最も平穏な一時だと言える。

 気持ちよく湯を浴びて、肌触りのいい夜衣を着込み、ゆらゆらと揺れる灯が照らし出す寝台で、何とも言えないいい香りが漂う中、柔らかな布団に半身を沈めてゆったりと寝そべる白蓮の頭をマッサージする。

 この空間だけまるで外の世界から切り離された別世界のようだ。静かでゆったりとした時が流れ、全ての煩わしいことは排除されて、私はただただ美しい主に仕え奉仕する。


 私は休めずに手を動かしながら、こんな時間を後どれくらいの間続けられるだろうかと頭の隅で考える。

 私も子供ではないからこんな生活がそう長くは続かないということは十分承知している。もう元の世界に戻るのは諦めているが、この世界で生きてゆくにしてもいずれは結婚も含めて将来のことを考えなくてはならないだろう。それは決して遠い未来のことではない。


 その証拠に九虎(きゅうこ)波流(はる)冬利(とうり)は結婚を前提に交際を申し込んできた。彼らが本気か冗談かは別にして、この世界で十五とは十分にそういうことを考える年齢なのだ。

 どんなに遅くとも三、四年後には、私はこのまま仕事を続けるのか、他の仕事に変わるのか、それとも結婚して家庭を持つのか、何かしらの決断をすることになる。


 ふう、と私は息を吐いた。

 そうと分かってはいても、まだ何かを決める気にはとてもなれそうになかった。

 この世界に来て約半年。頭では理解したつもりでも万が一元の世界に戻れたら、と言う希望が完全には捨てきれていないのかもしれない。

 そうやってぐずぐずしていると、その内に彼らは他に私よりももっと良い伴侶を見つけるだろう。彼ら自身の言う通り私の相手として考えたら勿体ないような人達だ。その時になってあの時こうしていればと後悔しても遅い。


 それでも返事のことを考えると私の胸は締め付けられるように苦しくなってしまう。

 まだ何も決めたくない。自分の可能性を狭めたくない。もう少しだけ今のままでいたい。あと少しだけ白蓮の側で働きたい……。

 そのせいで後々の自分が苦しむことを分かっていても、やっぱり何も決められない……。その堂々巡りを繰り返す。


 「……あの三人のことは放っておけ」

 「え?」

 

 白蓮がゆったりと横たわり、目を閉じたまま独り言のように呟いた。


 「其方はまだ十五だ。貴族でもあるまいし、無理をして決める必要はない」

 「……お聞きになっていたんですね、九虎さん以外の方のも」

 「窓の下であれだけ騒がれれば、嫌でも聞こえる」

 「そうですよね……」

 「気にするな、普通に友人知人と思っておけばいい。その時になって良い相手がいなければ私が誰か相応しい人材を見繕ってやる」

 「白蓮様……」

 「うっ、こら! 苦しいぞ」


 私は白蓮の頭に抱きついた。

 柔らかな銀髪に顔を押し付けて、その匂いを胸いっぱいに吸い込む。


 「ありがとうございます……」

 「私も今、其方がいなくなると色々困る」

 「お側に仕えさせてください……」

 「励めよ」

 「はい……」

 

 白蓮の手が俯いた私の頭を優しく撫でる。

 やっぱり厳しいのか優しいのか、冷たいのか暖かいのか白蓮はいつも良くわからない。

 でも仕事以外の大体において、彼はとても優しいと私は思う。



 そして今、一の鐘を聴きながら私は呆然と寝台の上に座っていた。

 隣には上掛けに包まってすやすやと眠る白蓮。窓の外にはうっすらと朝日。

 私はまたやらかしてしまったのか……。しかし一体どの時点でそうなったのかさっぱり分からない。白蓮の肩をマッサージしていた辺りまでは覚えている。しかしその先がない。気が付いたら白蓮の寝台で一の鐘が鳴るのを聞いていた。


 隣で白蓮が身動(みじろ)ぎする。


 「……二の刻に起こせ」


 掠れた声でそう呟くと寝返りを打って再びすやすやと眠り出す。一瞬見えた横顔は屋敷で見た時のあの輝きを取り戻していた。


 今日は本宵だ。とても何もないまま終われるとは思えない一日の始まりだった。

さて白蓮の快眠の理由は本当に頭のマッサージだけなのでしょうか。

寝る前に澪が何を飲まされていたのか気になるところです(笑)


次からは夏煌祭の二日目がはじまります。

やっぱり二日目も、何事も起こらないということはないわけで……


・・・・・・・

ブックマーク、評価等ありがとうございます。更新の励みとなっています。

面白いお話をお届けできるように頑張ってまいりますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

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