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お仕事は身支度から

澪は戸惑いつつも、染み付いたサラリーマンスキルによって

あれよあれよという間に、鬼上司白蓮様のペースに巻き込まれていきます。

着替えろと、と怒鳴られて側仕えの部屋に駆け込んだものの、途方にくれるはずが……。

着替えろと怒鳴られて、思わず侍従の控室に駆け込んでしまった私。

しかし、そこではたと我に返る。

着替えろと言われても私は下女だ。着替えなんてここにあるはずがない。

でも、すぐに出て行く気にはなれず、私は仕方なく形だけはと部屋に備え付けの衣装棚を開けてみる。

……て、あれ？

もしかしてこれ、着替あるかも……？

中には数着の衣装が仕舞われていた。

どれも上等の生地を使った仕立てのいい服ばかり。生地やデザインから、同年代くらいの少年の侍従が着る服だと思われた。広げてみると丁度着れそうなサイズ感。

……あれ？　って、待て待て待て！　私！！

思わず指示に従っていた自分にストップをかける。

うっかり染み付いたサラリーマンの習性で、上司っぽい人の指示に思わず従ってしまっていたけれど、今の私は下女だ。

いくら迫力満点の指示でも、このまま着替えて良いはずがない。

ちゃんと白蓮様に事情を説明して元の仕事に戻らないと、方々に迷惑がかかることになる。

だけど私が戻ろうとすると再び白蓮様のお声。

　「何をぐずぐずしている　！もう出るぞ」

　「は、はい　！すみません　！！」

ううっ、この雰囲気、逆らえないよー！

し、仕方ない。とりあえず着替えて、道中に説明しよう。

いくら勘違いされているとはいえ、流石にこのまま朝議とやらに一緒に行くのはマズい。到着前にちゃんと事情を説明しなくては。

私は混乱しつつも、白蓮様の迫力に圧され、見つけた少年侍従の衣装に手早く着替える。

着てみると少し大きいけれど、上着は体型のわかりにくい裾広がりの長衣でそれほど違和感がなかった。

当然、布も仕立もとても上等なので、下女のお仕着せとは比べものにならないほど着心地が良い。

長衣の下には白いシャツのようなものを、下衣には細身のズボンの様なものを履く。靴はそのままだ。

思わずその場でくるりと一回転して、窓ガラスに映った姿を確認する。ちらりと見ただけだけれど、結構いい感じになったような……。

「早く来い！」

「す、すみません！　ただいま！」

私は慌てて執務室に戻る。

白蓮様は私の片付けた書類を確認しているところだった。

私はそこで、はじめて白蓮様の後ろ姿を見た。

すらりと背の高い若々しい背中。やはり予想していた通りかなり若い。

だけど私の視線は年齢よりももっと気になるもに釘付けになった。　白蓮様の広い背中に優雅に揺蕩う、腰まで届く長い銀髪である。

背中の中ほどで緩く束ねられていて、白蓮様の動きに合わせてサラサラと清流のように流れている。

本当の銀髪！？　ほえぇ、はじめて見た……。

見惚れていると、白蓮様が肩越しに書類を投げてくる。

「これを持て」

私の整理した書類の山から、さらにより分けた書類の束をぽんぽんと私に投げつける。

「会計関連の書類はどこだ？」

「あ、あの、こちらの山にあります。隣が設備関連で……」

「ああ、分かった。そら、これもだ」

「は、はい」

「今月の事案件数の資料は？」

「あの、それはここに……」

「……おい。当然だが、筆記具は持っただろうな？」

「は、はひ！　すぐに！」

私は小卓に置いていた予備の筆記具を慌てて手に取った。

「行くぞ」

大股で歩き出した白蓮様を、大荷物を抱えた私は小走りで追いかける。

外に出ると雲の無い晴天。

日本だとゴールデンウィークごろの気候に近いだろうか。

眩しい朝日の下を爽やかな風が吹き抜けてゆく。

風には若葉と土の香り。春が終わり初夏が近いのだ。

こんなに明るい太陽の下を堂々と歩いたのはいつぶりだろう。

この世界に、この国に来てからは、常に仕事に追われて、昼間は空を見上げる余裕も無かった。

私は胸一杯に爽やかな風を吸い込む。

目の前には、歩調に合わせてゆらゆらと揺れる白蓮様の長い銀髪。澄んだ太陽の光に照らされて、キラキラと銀細工のように輝いている。

わぁ、本当に綺麗。しかも驚くほどサラサラで、ちょっと近づくともの凄く良い匂いがする。

急に開けた視界と白蓮様の輝く銀髪に目が眩み、私はいつの間にか足が止まっていた。

「早く来なさい」

「すっ、すみません！！」

慌てて離れてしまった白蓮様の背中を追いかける。

白蓮様って背が高いから一歩も大きいのよね。

後を追いかける私はひたすら小走りだ。

来る時は色々誰何《すいか》された警備門の兵だが、医局長の白蓮様は顔パス。当然後ろに付いた私もジロジロと見られたけれど特にお咎めはない。

城の廊下を小走りで追いかけながら、私は何とか事情を説明するきっかけを得ようと話しかける。

「あ、あの白蓮様、この後の朝議ですが、その……」

「ああ、今朝は朝議の控えを頼む」

「え？　は、はぁ……」

ち、違うの！仕事を引き受けてどうするのよ私！！

でも私に話す隙を与えずに、白蓮様はどんどんと話を進める。

「今日の予定だが、朝議の後はそのまま外商院《がいしょういん》と財歳院《ざいさいいん》に寄って打ち合わせる。その後、執務室に戻って医薬院《いやくいん》の昼議《ちゅうぎ》、昼食は土木院《どぼくいん》で会食だ。午後は医事局《いじきょく》の回診、その後診察の予約が三件。夕方は薬種局《やくしゅきょく》で買付の商談、医事局との夕議を終えたら、夜は奥宮《おくのみや》で酒宴がある」

「え、えっと……」

「聞いていたか」

「は、はいっ！　聞いていました。あのそれで白蓮様、私は、その……」

「ああ、其方は奥宮の宴には同行せずともよい。そのまま執務室に残って翌日の朝議の準備と薬種局での商談のまとめを頼む。後は、どうせ昼食でも頼まれ事があるだろうからそちらの準備を。私も宴から戻り次第──」

ううっ、どうしよう！　全然話ができないよ。

てか、そうこうしている間に多分朝議の間に到着しちゃったし！！

一切の躊躇なく朝議の間に入っていく白蓮様。

流石にこのまま一緒に入るのはマズイと私が入り口付近でまごまごしていると、どんと後ろから人がぶつかってきた。

その反動で私は前につんのめり、ころりと部屋の中に転がり込んでしまう。

あうう……入っちゃったよう……。

手をついて半身を起こすと部屋の様子が見えた。大きな長方形に机が組まれたまさに会議室という感じの部屋である。

各院長にさらに数人のお付きの人々、会議の運営、雑用係の少年たちと、朝議の間はすでにごった返していた。

方々で交わされる会話は囁き程度なのだろうが、これだけの数集まるとまるで蝉が鳴いているような騒音になる。

白蓮様はというと、迷わず窓側の前列の端の席に着こうとしているところだった。そこが定位置なのだろう。

「失礼、大丈夫だったかな？」

しゃがみ込んでいると後ろから声をかけられた。

振り向くと優しげな笑みを浮かべた男性が私を見下ろしている。

白蓮様と同じくらいの年だろうか。

柔らかな明るい茶色の髪に細面、いかにも育ちの良さそうな雰囲気のちょっと軽めの優男。

あまりにもスマートに手を差し伸べられたので、私は何も考えずにその手をとってしまった。斜め後ろに控えていた部下らしき男性の微妙な表情を見て、しまったと気づいたが、時すでに遅しである。

男性はそのまま私を引き起こすと、裾の埃を払い丁寧に衣服を整えてくれる。が、後ろに控える部下の視線が痛い。

ヤバい、この人偉い人だ……。

「怪我はない？」

「は、はい、大丈夫です。あの……ありがとうございました」

私は頭を下げる。

「ぶつかったのは私の方だ、悪かったね。大事がなくてよかった」

男性は引き起こしたまま握っていた私の手を見る。

「おや」

男性はそのまま私の全身を見回して首を傾げた。柔和な笑みの表情のまま、金色に近い茶色の瞳が一瞬で射抜くような鋭い光を帯びる。

ぶるり、と私の背中に鳥肌が立った。心の奥まで見透かされているような、冷徹で鋭い眼光。柔和な表情との落差が余計に恐ろしい。

　ひえぇぇ！こ、怖いよー！！

「うーん、君はどうして……」

「おい弦《げん》、うちの部下を返せ。口説くなら他でやれ」

青い顔で固まった私をぐいっと押しのけて、間に割り込んできたのは白蓮様。

さらに掴まれた腕をぐいっと後ろに引かれると、私の視界は白蓮様の背中で埋め尽くされた。

そこでようやく、止めていた息がはける。

「おや、白《はく》の連れだったのか？　これはまた、随分と可愛らしいのを入れたじゃないか。面白いな、趣味が変わったのか？」

男性がにやりと唇の端を歪める。

「桂《けい》が所用で二、三日不在にしているのでな。その代わりだ」

「ふうん、桂君不在なのか」

弦と呼ばれた男性は顎に指を絡ませながら私の方を見る。

雰囲気は軽めのイケメン風だけど、視線の奥の光は触れれば切れるように鋭く冷めている。　

私は思わず首を縮め、白蓮様の背中の後ろで縮こまった。

「ねえ、君名前は？」

「え……」

「おい弦。お前はいつも私の話を聞いていないな。口説くのは他所でやれと言ったはずだ。迷惑だ」

「いいじゃないか、名前くらい。ねえ君、教えてくれるかな？」

男性が白蓮様の肩越しににこりとこちらを覗く。

私は一層縮こまり、思わず下を向いてしまう。

「ああ、こういう時は私から名乗るべきだったな。私は人事院長《じんじいんちょう》をしている弦邑《げんゆう》という者だ」

ううぅ……、院長に名乗られてしまったよ。

返事をしないでいられるわけがないじゃない……。

「……み、澪《みお》です」

私から出たのは蚊の鳴くような声。そして本名。

自分のバカバカバカ！　どうして偽名を言わないの！

ううっ……、でも、やってみればわかるけど、咄嗟に偽名なんて思いつかないのよ！

「ふむ、澪君か」

男性は再び顎に指を絡ませて何やら考え込む。

「弦邑様、そろそろお時間が」

後ろに控えていたお供の人が声をかける。

見回せばすでに殆どの席が埋まっていた。皆、興味の無い振りをしつつ、ちらちらとこちらの様子を伺っている。

「仕方ない。では澪君、またお会いしましょう」

再びにこりと上品に微笑むと、弦邑様は自分の席に移動していった。歩いているだけなのに見惚れるほど優雅だ。きっと生まれながらにというやつなのだろう。

「澪、ぼんやりするな」

「はい」　

私は急いで白蓮様の後を追いかける。

あれ、白蓮様もしかして、今私の名前呼んでくれた？

衣装棚に揃えられていたのは、一体誰の仕様だったのか気になります。

あれよあれよと朝議の間で、軽めの優男人事院長、弦邑様とニアミスです。

このまま朝議は進んでいくのでしょうか？次話をお楽しみに！