夏煌祭の三日間 <第一夜> お仕事は段取りが九割(1)
さて、葉周のスパルタ教育を耐え抜いた澪が医薬院に戻ると、なぜか大混乱していて……
私は白蓮の筆頭侍従である葉周のスパルタ指導に耐え、前宵までの短い期間でなんとか葉周の求める基準での人並みに該当する礼儀作法と侍従仕事の心得を身につけると、夏煌祭の前宵の朝に這々の体で医薬院に逃げ戻った。
本来ならば前夜に戻る予定だったが、白蓮からトラブルが起こって迎えを出せないので、翌朝つまり前宵の朝に一人で来るようにと伝言があったのだ。
まだ二の刻を少し過ぎたばかりの朝早い時間。しかし辿り着いた医薬院は騒然とした喧騒に包まれていた。気になって最も人の出入りが激しい一階の大広間の中を扉の陰から覗いて絶句する。
いつも整然と整えられ、医薬院の昼議などが行われている大広間の中が、今は野戦病院さながらの状態に陥っていたのだ。
机や椅子が避けられた広い空間の中を、嫌な鼾をかく酒臭い男、頭や腕から血を流して呻く男、蒼白な顔で蹲る男、頭を抱える男、どこかが痛いのか子供のように涙を流しておいおいと泣き叫ぶ男と、とにかくむさ苦しい男どもがすし詰め状態で占拠していた。そして建物内には入りきれなかった同様の男どもが、さらに中庭に向かって開け放たれた大きな窓の外側に蟻のように群がっていた。
よく見ると隅の方にわずかに女性もいるようだが、彼女たちは明らかに貧血などの体調不良といった様子で、怯えたように周囲の狂乱に陥った男どもを見回してる。
医師たちはそんな彼らの間を縫うようにくぐり抜け診療に奔走している。がどう見ても多勢に無勢。たった二人の医師と、十四、五人と数はいるものの、院の中でも特に年の若い見習い達だけでは到底捌き切れず、大広間の中は怒号が飛び交う大混乱となっていた。
しかも医師に付き添って手伝おうと奮闘している見習いは四、五人ほど。あとは酒と反吐に塗れた男共の狂乱する空気に完全に飲み込まれてしまったようで、周辺の壁際にへばり付くように避難してオロオロとするばかりだ。
しかしそれは仕方ない面もあるだろう。私は一人でうなる。まだ配属されたばかりの若い見習い達は応急手当てもロクに学んでいないはずだ。一方で医師や多少の心得のある見習い達は捌いても捌いても少しも減るどころか増加する一方の患者達の診療に追われ、丁寧に見習いを指導してやれる余裕などない。少しでも立ち止まれば、周囲の人混みに自分すら押し流されてしまいそうな混乱状態なのだ。
私は医薬院に到着したことを、一刻も早く上司である白蓮に伝えに行かなければ焦りつつも、気がつくとこの場の雰囲気に完全に飲み込まれて、入り口付近で今にも泣き出しそうに寄添う哀れな二人の見習いに声をかけていた。
「一体何があったの? これは事故か何か?」
二人はしばし顔を見合わせるとぶんぶんと首を振った。
私を不思議そうに見つめる二人に、はたと自分もほとんど彼らと同じ年恰好だったのだと思い出す。しかし彼らは相当に追い詰められていたのだろう。すがるような目で私を見つめると事情を説明してくれる。
「いいえ……これは、ここは夏煌祭の応急室です」
一人が蚊の泣くような震える声で答えた。
「応急室? 毎年これが普通なの? それにしてはお医者様が少ないようだけど……」
私が眉を寄せ室内を見回すと、二人は再び揃って首を横に振る。
「いいえ! 本当はもっと先輩もいるはずなんです。でも昨日の夜に後宮で事故があって、先輩たちは皆そちらの応援に飛んで行ってしまって。一目でいいから貴妃様を見てみたいって……」
「気付いた班長が呼びに行ってるけど、みんな中々戻って来ないの」
「僕たちがここをどうにかしろって任されたけど、こんな混乱してて……。そもそも僕は普段は人事院で働いていて、手当てなんてどうしたらいいか全然分からないし……」
「私も! 私も財歳院から応援に来ただけなんです! お湯を沸かしたりすればいいだけだからって言われて……」
私は溜息をついて再び室内を見回した。
なるほど、ではこの早朝から医薬院の大広間にすし詰状態で狂乱している、酒と反吐と汗と泥とに塗れた臭い男どもは、前宵の前夜から酒に酔って羽目を外しすぎ怪我をしたり具合が悪くなって、慌てて唯一空いている医薬院の応急室に駆け込んできた者たちなのだ。
大広間の様子を見て、昨夕の白蓮からのトラブルがあったという連絡を思い出し、まさか何かの襲撃や大変な事件が起こったのではないかと心配していた私は肩の力を抜いた。
どうやら白蓮のいうトラブルとは後宮で起こった事故の方のことのようだ。そしてこの見習い二人の口ぶりからして、後宮の事故はそこまで深刻と言うほどのものではないようだった。
私は腰に手をあてて大きなため息をつく。医薬院の年頃の男たちは皆鼻の下を伸ばしながら、余計な人員までもが我先にと後宮の応援に駆けつけたに違いない。
まあ、男どもの気持ちも分からなくはないけどね。
この世界では3K仕事に相当する医薬院には、どうしたって体力で勝る男性が多い。花宮医師の梅宝先生もいるけれど、それにしたって女性の供給量が絶対的に少ないのだ。そんな中で後宮などと言う女子校みたいなところに近寄れるチャンスがあれば、誰だって我先にと駆けつけたくなるだろう。しかも救援という大義名分まであるのだから大手振って中に入れるかもしれない。
しかしそのせいで、この大広間に設置された応急室に残っているのは、多分すでに妻子持ちなのであろう志の崇高なベテランの医師二人と、まだそれほどの肉欲には目覚めていない若く日の浅い見習いばかりになっていた。しかも残った見習いの半数は他院からの応援だ。故に、この応急室は今、野戦病院さながらの大混乱に陥っているのである。
私は再び溜息をついた。
本当は私はすぐに白蓮を探し出して指示を仰ぐべきなのだ。
しかし今の状況では白蓮こそ一番の責任者として後宮に詰めていて、連絡はそう簡単には取れないだろう。
さらに間の悪いことには、前宵から本宵にかけては、朝から夜まで奥宮で様々な祭礼儀式が執り行われる予定になっている。これは国王主催の公式行事のため、局長以上の役職者は全員参加が必須だ。故に、本来の予定であれば白蓮も桂夏もそろそろ支度を終えて、奥宮に参内しなければならないはずなのだ。
後宮の事故と奥宮での祭礼儀式が重なったことで、おおよそ課長以上の役職者がほとんど全て出払った状態になってしまっているのである。
応急室に助けを求めてやってくる者たちは、時間が経つごとに減るどころかむしろどんどん増加している。今日これからが前宵であることを考えると、さらに時間が経つごと人は増え、混乱は深まるばかりに違いない。
私は少し考えただけですぐに結論を出す。
このような状況であたふたと右往左往し、会えるか分からない白蓮を探し回って気力体力を消耗するのは無駄すぎる。よりもそのうち必ず戻ってくると分かっているこの医薬院に留まって、白蓮のために役立ちそうなことをしていた方がずっと効率的だ。
それに、と私は混乱した室内を睨みつけるように半眼で見つめた。
私の性格的に、こういう混乱した状況を放置するというのは精神衛生上、非常に耐え難いものがある。階下がこのようなカオスに陥っているのを知りながら、部屋でのんびりと書類整理などしていられる性格ではないのだ。
さらに言えば、周辺の壁際で途方に暮れる見習いたちを、このまま見て見ぬ振りで見捨てるというのも大変に気が進まない。
私は入り口近くに脱ぎ捨てられていた医師の着る青い割烹着のような上着、前の世界で言うところの白衣を手に取ると素早く衣装の上に羽織った。こういう場合それらしい雰囲気の演出というのは非常に重要だ。特にこの年若い見た目ではなおさらである。
私はさらに表情を真面目なものに切り替えると、少々声を落として見習い二人に指示を出した。すでに雰囲気に飲み込まれている二人だから、ちょっと強めに言えばすぐにつられて従ってくれるだろう。
「二人で、ここに手の空いている見習いを集めてくれる? 私が指示を出すから」
案の定二人は顔を見合わせると一目散に駆けて行った。
私は頭の中で、この場を収束させるための手順リストを高速で構築する。
そうして集まってきた見習いたちの方に向き直ると、さも当たり前のような表情と声を作り、この混乱の収束を収束させるべく指示を出しはじめたのである。
澪は混乱収束に奔走するのですが、話は次第に大きくなっていき……。
ぜひ、次話もお楽しみに!
・・・・・・
ブックマーク、評価等ありがとうございます。更新の励みとなっています。
面白いお話をお届けできるように頑張ってまいりますので、
どうぞよろしくお願いいたします。




