お仕事は前後不覚から
さて、葉周に何やら盛られた澪ですが……。
腕を組んで眉間に盛大な皺を寄せた白蓮は、はぁ、と一際大きな溜息をつくと渋々寝台へ向かった。
脇に立って私を見下ろす。
「それで、頭皮がどう睡眠と関係するんだ?」
「寝転んでください、さあここに」
私は寝台をぺちぺちと叩いた。
「先に何をするか言いなさい」
「えー、嫌ですよ。だって白蓮様、先に言ったら絶対に嫌がります」
私はぶるぶると首を振って抵抗する。白蓮は再び大きな溜息をつくと呆れた目で私を見た。
「チッ、葉周の奴め。後で絶対に只では済まさぬ。……まったく、酔っ払いに説得など無駄の極致すぎて腹も立たぬわ」
白蓮は悪態をつくと八つ当たりするように濃紺の上着を脱ぎ捨てて寝台の上に座り込んだ。
「これで十分であろう。ほら、早く教えなさい」
手を振って私を促す。
私も上着を脱ぐと袖を捲って寝台に登り、座り込んだ白蓮の背後に回る。しっとりとした絹糸のような長い髪を片側の肩に避けると、彼の強ばった肩を温めるように優しく手のひらを滑らせた。
触れた瞬間、白蓮の背中がぴくりと震えて強張ったが、彼はすぐに諦めたような溜息とともに力を抜いた。
「うーん、何をするか言葉で説明するのはちょっと難しいので……実演しますから感じてくだいね。うん、それがいいです。うふふ」
「…………もうよい、ほらやってみよ。本当に寝付きが良くなるのか?」
「効果は的面ですよ! とってもよく眠れますから」
私は気前よく効果を保証すると、白蓮のがちがちに凝り固まった肩から首をゆっくりと温めるようにさすり、柔らかな銀髪をかき分けて頭皮に指を差し入れた。
思った通り彼の頭皮はほとんど動かないほど凝り固まっている。爪を立てないように気を付けながら指先に力を込めてゆく。
「忘れがちなのですけど頭皮も皮膚ですから、肩や首と繋がっているんですよ。なので書類仕事をしたりとか緊張する会議に出たりすると、肩と同じように頭皮も凝るんですよ。白蓮様って、よく頭痛がするのではないですか?」
「……確かにする」
「でしょう! 体の緊張や強張りから起こる頭痛もあるんです。こうしてお風呂上がりとか寝る前に頭皮をマッサージしてあげると、血行がよくなって緊張が解れて緩和されます。そうするととーてもリラックスして眠りやすくなるんですよ」
「まっさーじ? りらっくす? はじめて聞いたな」
白蓮は最初抵抗していた割には、はじめると意外とすぐにおとなしくなった。そっと様子を伺うと彼は目を閉じて私の指に身を任せている。結構気に入ったに違いない。
「どちらも其方の国の言葉か? 頭痛が頭皮を解すことで改善できるなどはじめて聞いた。実に興味深いな。……ということは、其方の国では筋肉や皮膚を解すような医術もあるのか?」
「緩和術にはなりますけれど。うーん、医術の一種とも言えるかな?」私は街に溢れる整体院を思い浮かべる。「例えば、腰痛や膝痛とかも、筋肉を解すと軽減する場合がありますね」
「ふーん、なるほどな。後で詳しく教えてくれ」
彼はさも感心した風に腕を組んで頷いた。そのまま何やら黙り込んで思案顔になる。
私は一通り頭皮を解すと、次第に首から肩や腕へと順に解す場所を移動させた。しかし肩から肩甲骨、さらに背骨に沿って下に行こうとすると座ったままでは力が入らない。
「白蓮様、やっぱり寝転んでくださいよ。その方がもっと気持ちよくできますから」
「あ? ああ……」
ダメ元で頼んでみる。しかし今度は案外あっさりと了承し彼は素直にうつ伏せに寝転がった。しめたとばかりに私は側に膝をつき、体重をかけて手のひら全体で肩甲骨の辺りを押し込む。本当は馬乗りになるのが一番体重がかけやすいのだが、単の夜衣では足を大きく開けないので仕方ない。
次第に背中が解れて血が通い温かくなってくる。
「はぁ……」
と、白蓮が小さく息をついた。
「ほら、こことかどうですか?」
私は肋骨を一本一本広げるように力をかける。
「うぅん……」
「これは?」
「あぁ」
「ね、気持ちいでしょう?」
「いいな、堪らぬ……」
予想通りかちこちに凝り固まった白蓮の背中をしばし集中して解す。腰までいったところでふと白蓮が静かなことに気づいた。横から覗き込むと彼は寝息を立てていた。
うーん、ちょっとだけだけどお返しできたかな?
安らかな寝息を立てる白蓮を見て私は一人で笑みをこぼす。何もない今の私にできることなどこれくらいしかないのだ。
「ふ、ふああぁ……」
白蓮の寝顔を見ていたら自分もあくびが出はじめた。
それもそうか。既に深夜の一時半に近い時刻のはずだ。
私は明かりを消すと白蓮の隣にごろりと寝転ぶ。大きな伸びをしていると、まだどこかの屋敷で続いている酒宴の音が聞こえてきた。
ぼんやりとその旋律を辿っているうちに、私もいつの間にか眠っていた。
話を聞き終わってぐったりとする私を尻目に、白蓮がテキパキと身を起こす。
「そう言うことだ。最後の方は私の想像だが概ねその通りであろう」彼は肩を竦める。「さ、分かったなら起きなさい。そろそろ支度をする」
「はい……」
わたしが平身低頭していると扉が軽くノックされ葉周が姿を現した。
顔を上げると帳の隙間から葉周と目が合う。彼は私がそこにいることに全く驚いた様子もなく、むしろ軽く頷くと実にイイ笑顔を返してくれる。
物凄く気まずい……。
いや、別に何かがあったわけではないし、何かがあっても問題はないのだが……。何だろう、何もなかったのに何かあったと思われているであろうこの状況がいた堪れない……。
何もなかったんです! 私は潔白、純白です!!! と大声で叫びたい。しかし事実の割には実に嘘くさい響きがするのは何故だろう……。
「おはようございます、旦那様。そろそろお支度の時間でございます」
葉周がイイ笑顔のまま声をかける。
「ああ、すぐに行く。澪、其方も来なさい。朝餉を食べながら今日の予定を話そう」
「はい……」
「葉周、朝餉は澪ととる。用意してくれ」
「はいはい、畏まりました」
先入感のせいだろうが、葉周の声はどことなく弾んでいるように思える。その証拠に「はい」が二つ続いている。
私が着替えて戻ると、隣の居間の大きな窓が開け放たれ、庭のテラスの様なスペースに卓と椅子が並べられていた。背景には美しい庭が広がり、晴天の眩しい空を小鳥が行き来している。びっくりするほどお洒落な朝だ。
白蓮が手にしている粗悪な市井の瓦版は英字新聞に、茶を注ぐ葉周は執事に、背景に広がるのはイングリッシュガーデンにしか見えない。
すっかりお仕事モードになった白蓮の向いに座ると白蓮が瓦版から顔を上げた。その顔はいつになくすっきりとしてキラキラしさ五割増しである。私はあまりの眩しさに目を細めた。自分でも予想以上のマッサージ効果だ。
「澪、其方はこの屋敷に残って葉周から仕事について学ぶように。前宵の前夜に迎えを寄越す」
「分かりました……」
私は神妙に頷く。
「頼んだぞ、葉周。澪はまだこの国に来て日が浅く礼儀作法もまともには知らぬ。前宵までに最低限人前に出せる程度には色々教え込んでくれ」
「お任せくださいませ」
葉周はにこりと微笑むと私を見た。その目が獲物を見つけた鷹のように輝いでいる。
そうして葉周と一緒に出仕する白蓮を見送ると、私は地獄の侍従研修期間を迎えたのである。
次はいよいよ医薬院に戻って、夏煌祭のいざこざに巻き込まれます。
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