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閑話:沈雨の庭(西門警備長 沈雨視点)

西門警備長の沈雨視点のSSを書いてみました。

十六話「お仕事はウインクから」の翌日譚。

沈雨と海星の腐れ縁あれこれ。


※このお話は沈雨を主軸とした三人称視点ですすみます。

 沈雨(じんう)は女の肉付きのいい腰に手を回すと優しく引き寄せて、彼女の少々赤すぎる唇に口付けた。

 女は三十を過ぎてからと言うのが彼の持論だが、昨夜はそれを十二分に証明する夜だった。

 彼女は一際ねっとりと舌を絡めた後、厚い唇を名残惜しそうに離すと唇の端を艶かしい舌先でなめとった。

 「また、今夜も私の家に来ちゃったわ」

 悪い子ね、と言うように彼女はわざとらしい溜息をついて、腰まである波打つ豊かな深紅の髪を掻き上げ上目遣いに沈雨を見る。

 自分の垂れ目の効果を熟知している女なのだ。

 「君に会うのを心待ちにしてたんだ。とても俺の家まで我慢できないよ」

 「うふふ、はいはい。でも私もとても楽しかったわ。また会えるといいけれど……」

 彼女はいじらしい風を装いながら自慢の腰を捻ると、自分の唇を指先でなぞって再び沈雨を熱のこもった瞳で見上げた。沈雨はもう一度彼女の腰を引き寄せ、一際大きな音を立てて唇を重ねる。

 時間が許せばもう一戦もやぶさかではないのだが、そろそろ帰らねば午後からの任務に寝不足で就くことになってしまう。

 沈雨は女好き酒好きを公言して(はばか)らない男だが、仕事に関しては存外譲れぬ一線を持っていた。そうしてそれがまた沈雨の魅力の一つでもある。

 後ろ髪を引かれつつも、彼は抜け目なく次の週末の約束を取り付けると、軽い足取りで朝焼けの家路を急いだ。

 今日は昼番だ。一眠りする時間はあるだろう。


 沈雨は首都の丁度中央のあたりに家を構えている。貧し過ぎも裕福過ぎもしない、ほどほどの人々が暮らす地域だ。

 沈雨はそこに屋敷というには少々小さいが、しかし男一人が暮らすには十分すぎる広さの家を持っていた。昔、ある任務で立てた手柄の褒賞として特別に賜ったものである。

 最初に示されたのは王城にほど近い貴族街にある立派な屋敷だったが、沈雨はそれを辞退してこの下町にある小さな庭のついた一軒家を貰った。

 仲間にはせっかくの屋敷を何故貰わないのかと散々文句を言われたが、結局住まなくなるような居心地の悪い家をもらったところで意味はない。報奨では気軽に売り払うこともできないのだから余計な面倒になるだけだ。

 今の家は決して大きくも立派でもないが、程よく住み心地のいい家だった。周りに住むのも下町の気さくで気のいい奴らばかりだから、庶民の出である彼にはしっくりくるのである。



 家まではまだ距離がある。しかし沈雨の帰りを察した愛犬が、遠くで大きくわんと一声吠えるのが聞こえた。しばらく歩くと門が見え、今度は威勢のいい雄鶏が鳴き声をあげる。

 これが夜中だと辟易させられるのだが既に夜明け。これなら近所迷惑にもならないかと沈雨は木戸を潜った。

 玄関を開けると何処からともなくやって来た二匹の猫が足元にまとわりついて喉を鳴らす。沈雨は二匹の背中や頭を軽く掻くと家に上がった。


 沈雨が居間に入ると見慣れた後ろ姿がある。

 海星(かいせい)がしゃがみ込み、仰向けに寝そべった犬の腹を撫でていた。犬はうっとりとした表情で床に長々の手足を伸ばし海星にされるがままになっている。

 「邪魔している」

 海星は振り向かずに言った。

 沈雨はいつ家に居るか分からないので、海星は用事がある時にはいつも適当に家で待っているか何か置いていく。

 沈雨が仕込んだ錠前破りの腕は今や海星の方が上回り、番犬番猫もすっかりと手懐けられてしまっているのだから彼の侵入を阻むものは何もない。

 「気にするな」

 沈雨は海星の横を通り過ぎると、(かめ)から水を飲んだ。

 「それを」

 海星が卓の上を指差す。酒瓶が二つと肉の包みが幾つか置かれていふ。先程から同居人達がどこかそわそわしているのはそのせいだった。

 「おお、いつも悪いな」

 「いや、俺の方こそ。特に昨日は手間をかけた」

 沈雨は横腹を掻きつつ何かあったかな、と昨日の記憶を手繰り寄せる。

 「ああ、あの嬢ちゃん。あの後上手くいったのか?」

 「ああ」

 「お前も隅に置けないな」

 沈雨が笑うと、海星は犬を撫でる手を止め沈雨を睨んだ。犬が何故止めるのだと悲しげな目で海星を見つめて彼の手に前足を乗せている。

 「だから違うと言っている」

 「はいはい」

 「色々あったが、白蓮殿が侍従として買い上げてくださることになった」

 「へえ、それは凄いな」

 沈雨はあの神の化身のような医薬院長の姿を思い浮かべてぶるりと身震いした。

 海星は何も言わずに再び犬を撫でる。

 沈雨は海星の方に向き直ると腕を組んで壁に背をもたれた。

 「聞き飽きてるだろうが、そういうことにあまり深入りするなよ。相手は人間で犬猫とは違うんだから」

 「……分かってる」

 海星は背中を向けたままぶっきらぼうに応えた。


 今の海星の姿を近衛仲間が見たらそれはそれは驚くだろう。

 普段は氷花(ひょうか)の騎士などという気障な通り名の通り、決して慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度を崩さない男だ。彼がこんなぞんざいな態度を(さら)すのはもう十年以上の付き合いになる沈雨の前だけである。

 沈雨と海星は歳が十五は離れている。歳だけではない。二人は育ちも性格も何もかもが真逆だった。

 昔、沈雨はかなり危険な任務に就いていた時期があるのだが、潜入調査でどうしても条件を満たせるのがまだ騎士見習いだった海星しかいないと言うことになり、任務を組まされたのが二人の馴れ初めである。


 しかし水と油の二人では当然上手くいくはずもない。しかも十数年前に出会った時には海星はまだ十代の子供と言っていい年頃で、家名から想像した通りのいけ好かない野郎だった。

 紆余曲折(うよきょくせつ)を重ね、散々上司に文句を言い、年上の沈雨の方が相当に苦労も我慢もして何とかその時の任務は完了させた。

 しかしその後も何かと縁があり、気がつけば昔遊んだ酒飲み仲間達は皆散り散りに何処かへ行ってしまったというのに、絶対に分かり合えないと確信していた海星とは、こうして今も付き合いが続いている。

 海星も昔からすれば信じられぬほど大人になった。沈雨は自分が海星を大人にした俗世(ぞくせ)の師匠だと自負しているのだが、それを言うと海星はいつも沈雨を睨みつける。


 「分かってるならいい。あの嬢ちゃんはあれだな、磨くと化けるやつだ。残念だったな」

 沈雨がにやにやして肩を(すく)めると、海星は無言で立ち上がった。

 「礼はした」

 そう言い残すと居間を出る。


 海星を見送った沈雨が寝室に入ると、背後でぱさりと静かな羽音がした。次の瞬間立派な翼を持ったな大きな(ふくろう)が沈雨の脇をすり抜けて寝室に飛び込む。梟は寝台の帳を支える横木にふわりと降り立って、ほう、満足げな声を上げて身繕(みずくろ)いをはじめた。

 沈雨は気に留めず、上着を脱ぎ捨てて寝台に寝転がる。

 彼が横になると居間で海星に骨抜きにされていたはずの犬がいつの間にか寝室にいて、当然のように沈雨の横に長々と寝そべる。その沈雨と犬の隙間にさらに二匹の猫が入り込んだ。


 犬、といっても立ち上がると沈雨と同じほどの大きさがある。月の無い闇夜のように真っ黒の毛に覆われた胴は狙いを定めた弓の様に細くしなやかで、ほっそりとした顔つきにぴんと立つ二つの耳、月の様な金色の目、大きく裂けた鋭い牙の並ぶ口、黒い鼻に立派な髭を持っつ彼女は、実際のところ犬でも狼でもない様相をしている。沈雨にも彼女が一体なんと言う種族なのか正確なところは分からない。

 彼女のお世辞にも可愛いとは言えない顔を撫でると、彼女は金の目を細めて甘えるように濡れた鼻先を沈雨の手のひらに押し付けた。

 沈雨もすっかりとこの状況に慣れてしまい、今では一人だと何か物寂しくて中々寝付けぬ体になってしまった。

 沈雨はゆったりと愛犬の首の後ろあたりを撫でると、自分もまた彼女の艶やかな毛に頬を埋める。

 彼女が犬か狼かはたまた全く別の何かなのかは沈雨にとっては特に重要なことではなかった。彼にとって重要なのは、ただ冬の寒い雨の夜にずぶ濡れの海星が懐から出したぶるぶると震える黒い塊を、確かに子犬だと言って引き受けたということである。



 ここにいる動物、いや同居人たちは、全てそのようにして海星が持ち込んだものだ。

 海星という男はとにかく愛想のない男なのだが動物には滅法弱く、特に捨て猫や捨て犬、怪我をしている動物を見かけるとどうしても放っておくことができないという悪癖がある。

 それならば自分で飼えばいいと思うのだが、近衛騎士(このえきし)である彼の仕事には非常に厳しい規則があってそう思うようにはいかない。

 近衛の任に就く間は主以外に忠誠を誓わないよう家族や友人との交友も制限されるし、自分の家や余分な家財を持つこともできない。寮生活では場所もなく任務で長期間留守にすることも多いため、とても愛玩動物を飼育できるような環境ではないのだ。

 それでも見つけると放っておけない海星は、いつも申し訳なさそうな顔をしながら、任務が落ち着いたら必ず引き取るからと、庭付きの家を持つ沈雨のところに動物達を預けるのである。


 そしてこれが、沈雨がこの家に女性を呼ぶことができない最大の理由でもあった。

 海星が持ち込んですっかりと居着いてしまった同居人達は、どんなに退けておいても彼が寝台に横になると何処からか集まって来て、絶対にこの定位置に収まろうとする。

 これでは閨の営みどころか寝台に女性の寝る隙間もない。


 沈雨は温かな文字通りの肉布団に包まれつつ、昨日の海星の様子を思い出して一人笑みをこぼした。

 昨日、海星は面白いものを連れていた。

 あれがしばらく前に彼が森で拾い、最近入れあげていると噂の下女だろう。本人は隠しているつもりだし、大方は隠されているのだろうが、その筋ではすでに知れている。


 「まったく、また変なものを拾いやがって」

 沈雨は一人で呟くと寝返りを打つ。


 森で行き倒れていたなどという状況からすれば、絶対に何処かの間諜と考えておかしくないのだが、沈雨が見ても少しもどころか一切そのような気配は感じ取れなかった。それどころかあの娘は色々とちぐはぐなところがあって面白い。あれは恐らく──、と考えたところで沈雨は思考を投げ捨てる。まあ、いいか。


 海星は色々な変わったものを拾ってくるのだが、彼の拾ってくるものに悪いものがあったことはない。むしろ何か必ず役立つことの方が多い。それを沈雨は経験として知っていた。そして沈雨は経験の人なのだ。直感は常に彼の最大の武器であり命を守る最後の盾でもある。


 ふう、と沈雨が息をつくと愛犬が鼻面を沈雨の頬にすり寄せた。

 ぼんやりとその頭を撫でているうちに、いつの間にか沈雨は夢の中に沈んでいた。

少しだけ二人の馴れ初めが出てきました。

沈雨と海星の出会った頃(約十年前)には、

まだ色々と面白いあれこれがあるのですが……仔細はまた今度。


次回は再び本編に戻って、白蓮が趣味全開で澪を振り回します。

が、その前に一悶着。どうぞお楽しみに!


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ブックマーク、評価等ありがとうございます。更新の励みとなっています。

面白いお話をお届けできるように頑張ってまいりますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

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