お仕事はルーチンから(前編)
さて、白蓮の執務室に戻ってきました。
さて、白蓮の侍従というのは一体何をする仕事なのかというと、基本的には白蓮に頼まれたことを何でもこなす仕事である。
そして白蓮はこの『何でも』の範囲が異常に広い。身の回りの細々とした世話から書類の作成まで、文字通り何でも頼まれる。多分、というか恐らくは、他の侍従が長続きしなかったというのは、その辺りに原因があるのではないだろうか。
その日、昼議から戻った私が頼まれたのも、まずは茶汲み、幾つかの手紙の清書、昨日の回診の控えを整理、未決済の書類の下読みと仕分け、少し見ない間に再び山と積み上がった執務室の書類を整理。
途中で白蓮がどうしても気になるというので彼の髪を結い直すのを手伝い、白蓮の認めた書状を携えて戦々恐々と祭礼局への使いに走り、さらにその帰りに白蓮の家人からの使いに対応し、そしてついには白蓮が新しく手に入れたという薬草の標本作りを手伝わされた。私が白蓮の薬草の標本作りにまで対応できたのは、ひとえに祖母の押し花作りの趣味のおかげである。それがなければさすがの私も途方に暮れていただろう。
その頃には延びた春の日もすでに傾きはじめ七の鐘が鳴り響いた。
私はすっかりと冷めた茶を淹れ直すと、さりげなく自分も応接セットの端に腰掛けてお相伴に預かる。
「少々、面倒なことになった」
白蓮は私の淹れたお茶を一口飲むと、美しい銀の眉を寄せてため息をついた。
美人は憂い顔も様になると言うがそれは本当らしい。
「面倒なことですか?」
「夏煌祭の本宵の宴に招かれた」
白蓮は再び溜息をつく。
彼が自分の感情をあからさまに態度に表すのは非常に珍しいので私は少し驚いた。
まあ、この顔で頻繁に微笑まれて「ありがとう」とか言われたら、それはそれで相当迷惑よね。
多分、部下が惚けて仕事にならないとかの苦情が殺到するのではないだろうか。
「……はあ」
私は少々気の抜けた相槌を打つ。夏煌祭についてほとんど何も知らないのだから仕方ない。
「招かれるのも面倒だが、招かれた先がさらに面倒だ。まったく、これならば多少気の進まぬ用事であっても、何か先に入れておくほうが余程ましだった」
「なるほど……」
再び私が気の抜けた相槌を打つと、白蓮はちろりと恨みがましい半眼で私を睨んだ。
ううっ……、やめて……。
その顔でそんあ睨みを効かせるのは犯罪ですから。
「他人事ではないのだぞ? 其方も招かれたのだから」
「……え? 私も本宵に? それは……その、大変なことなのでしょうか? 私は夏煌祭についてよく知らなくて……」
私は頭を掻く。
「ああ、そうか。この国では年二回、昼夜の長さが釣り合う夏至と冬至に主要な神事が行われるのは知っているか?」
「夏至に行われる夏煌祭と、冬至に行われる冬麗祭ですよね? それは、はい。それぞれ前宵、本宵、後宵と三日間あるのも知っています。あ、市街には大きな夜市が立つのですよね? 確か寮の皆がそんな話をしていたような。その三日間は公休日だから、久しぶりに家や里に帰って夜市に行くのが楽しみだと」
「ああ、市井の者からすればそのような祭りであろうな」
「お恥ずかしながら祭りの由来や神事の仔細などは全く存じ上げないのですが……」
「構わぬ。夏煌祭に仔細も何もない。ただ宵を酔いにかけ厄払いと託けて酒を飲むためだけの祭りだ。ああ、いいものがある」
白蓮はふらりと立ち上がると執務室の奥にある書庫につながる扉の向こうに消えた。戻ってくると手に幾つかの書物を抱えている。彼は手にした書物を応接セットの卓に重ね置くと、今度は私の向かいに腰掛けた。
「これは……」
「どれもこの国の建国に関する話をまとめた書物だ一番上にあるのは子供向けに作られたものだ」
「なるほど」
私は一番上に乗せられていた表紙の美しい薄い本を手に取り、ぱらぱらと数項めくってみる。
木版刷りにさらに手彩色が施された挿絵の美しい書物で、神々の組んず解れつ入り乱れた麗しいお姿が見開きの項の半分ほどを埋め尽くしている。
「これを読めば、この国の大抵の祭りや神事のことが分かる。国の成り立ちは季節の行事や文学など様々なものに影響を与えているから、其方も知っていれば色々役立つことがあるだろう」
「でもこのように貴重なもの、お借りしてよろしいですのですか?」
この国では紙や木版が普及していて書物が手に入らないということはない。しかし、それはあくまでも王城内でのことであって、庶民にとっては未だに紙や書物というものは気軽に取り扱えるものではない。
この美しい彩色の施された書物も、誰か相当に裕福な家の子女のために誂えられたものだろう。
「その本は其方にやろう。あの金髪野郎に無理やり渡され……いや、失礼。私には神だの霊だのという不確かなものを信ずるような奥ゆかしい趣味はないからな。誰も見たことのない遥か昔の建国話や、存在したかも不確かな神々の話など、知ったところで、医術の発展には欠片も役立たぬ」
白蓮は向かいの長椅子にゆったりと座し、まるで地上に気紛れで降臨した神仙のように神々しく麗しい姿でそう宣うと、卓の上の書物を私の方に押しやった。
……神話に興味はない?
誰より何より、自分が一番神っぽいのに……。
個人的感想はぐっと胸の内にこらえつつ、私は押しやられた書物をありがたく拝領した。
「ありがとうございます。大切にいたします」
私は本がなければ生きてゆけないというほどではないが、平均以上には嗜む方ではあると思う。この世界に来てから約半年ほとんど文字情報に触れずに過ごせば、さすがの私でも読めればどんな本でもありがたいと思う程度の飢餓感は抱くようになる。
「あれ……本宵にお招きを受けたということは二日目の夜ですよね? でもその日は奥宮で酒宴がありませんでしたっけ?」
私は顎の先に指を当てて首を傾げる。
「うむ、そうだ。本宵には夕刻から奥宮で王家主催の大宴がある。これは宴会ではなく神事の一種だから副局長以上は必ず出席せねばならぬ。だから正確に言えば、我々が招待されたのはこの本宵の後に行われる、本宵闇の宴の方だ」
「本宵闇の宴? はじめて聞きました」
「ああ、本宵闇の宴というのは本宵の後に催される宴だが、これは相当に古い風習だ。今では貴族の中でもよほど古筋の家系にしか伝わっておらぬであろう」
「本宵の後? でもそんなのおかしいですよね? 夜中になってしまいますよ」
「何もおかしくはない。本宵闇の宴は真夜からはじまり暁まで続くのが常だ」
「ええ!? 真夜にはじまるのですか?」
「ああ。今では夏煌祭といえば公休日に酒を飲んで騒ぐという祭りになっているが、本来この神事は、昼夜の長さが一致する日には天界と地界が交わるという言い伝えから、この日地上にご来臨される神々をお慰めするために長夜之飲を催すというのがはじまりだ。それが簡略化、形骸化して現在の祭りの形に収まっている」
「では、私たちが招待された本宵闇の方が本来は……」
「そうだ。古来のより正当な祭式に基づけば、本宵の後に催されるこの本宵闇の方が本宴であり、この神事の本番ということになる。実にややこしい話だが」
「はあ……なるほど。ということは、私たちが招待を受けたのは、かなり古筋の血を継ぐ貴族の方と?」
「そういうことだ。今回は招待された相手が実に厄介な上、断れぬように色々と裏で手を回された。本来であればこのように面倒なこと、必ず断るというに」
はあ、と白蓮は三回目の溜息をついた。
「白蓮様が裏で手を。誰かに念でも押されたのですか?」
「ふっ、いい線だな。なんと五老師の一人からわざわざ呼び出された。あの古狸、あまりにも自然に話を振るものだから、うっかりと否定し損ねてしまったではないか。せっかく色々と断る理由を練っていたのに」
「……恐れながら白蓮様は、一体全体何方のご招待を受けられたのですか?」
ふむ、と白蓮は私の茶を奪って飲み干すと足を組み直した。
「行政院長の蓬藍殿だ」
「え、蓬藍様……? へええ、白蓮様とお親しかったのですね」
私はどことなくしっくりこない二人の顔を思い浮かべる。
ビジュアル的には全く問題ないのだが、一緒にいてあまり話が弾むような相手には思えない。
私が首を傾げていると、白蓮が少々皮肉気に唇の端を歪めた。
「親しくなどあるものか。むしろ出来る限り極力細心の注意を配して関わらぬようにしている」
「え、ではなぜ蓬藍様は本宵闇などにご招待を? しかも五老師の方に手まで回されて……」
私はいよいよ訳が分からなくなった。
「うーん、朝議でお見かけした感じでは、蓬藍様は悪い方には思いませんでしたが……」
「ははっ、そうであろうよ。ああ、其方はこれも知らぬか。五老師に顔がきくのも当然。あの方は現王の第二皇子なのだ」
「え、ええ!?」
私は朝議で見た蓬藍様の姿を思い出す。確かに一方ならぬ高貴さを感じさせる方ではあったけど、まさか皇子とは思わなかった。
あれ、ええっとちょっと待って。
ということは私……皇子の酒宴に招かれたということ?
蓬藍様ってやっぱり高貴な方だったんですね。
もう少々夏煌祭と人間関係の解説が続きます。
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