お仕事は女子トークがお好き(前編)
ついに白蓮の侍従となった澪。
前髪が気に入らぬ白蓮に、何故か祭礼局に行かされることになって……。
というわけで翌日、二日酔いの桂夏に見送られて、私は訳もわからず祭礼局に向かうことになった。
「澪く、うぐっ……。はあはあ……詳しい仕事内容は明日から教えますので、とにかく今日はこれを持って、ゔぇっぷ。祭礼局に行ってください……おえっ」
と、青い顔の桂夏に白蓮からという書状を渡され、仕方なく私は一人とぼとぼと中庭の奥、奥宮の最前にある宮内院祭礼局の受付に向かう。
祭礼局は宮内院に属する局の一つで、王城で行われる神事を取り仕切る部署である。
宮内院は日本でいうと宮内庁のようなものだろうか。王族のお世話や奥宮の運営全般を担う御前局、貴妃達の住まう後宮の管理を行う花宮局、神事を取り仕切る祭礼局、そして奥宮で使用される道具や衣装などの製作を受け持つ司芸局などから構成される。
王族に非常に近い仕事の特性上、宮内院は各院で唯一、前宮ではなく奥宮に執務室を構えている。つまり中庭にある医薬院からはかなり近いのだ。
私は医薬院から近く、桂夏がそれほど難しい説明をしなかったこともあり、物見遊山の気楽な気持ちで宮内院の受付に辿り着いてしまった。しかし、それは大きな間違いだった。例え一歩とはいえ奥宮に足を踏み入れるということを、そう軽々しく考えてはいけなかったのである。
自分の足音にすら恐縮する厳かな空気の中、書状を受け取った門衛に五度見された私は、厳重な誰何と持ち物検査を受けた後、人違いされているのではないかと心配になるほど豪奢な控の間に案内された。
控の間の広い空間に、飾るように美しく配置された応接セットを前に、そもそもこの絵画のような絨毯を踏むことは許されるのか、そしてその先にある芸術品のような椅子は座るためにあるのか、そんな当たり前のことにも皆目見当が付けられず、私は入り口で途方に暮れた。
ようやく、私が意を決して一番手前にある椅子に腰掛けようとした時、突然背後から声がした。同時に麝香と薔薇を混ぜ合わせたような濃厚な香りがあたり一面に広がる。
「あら、意外。彼ってこう言うのが趣味だったの?」
私が驚いて振り返ると、声の主は想像よりも遥か近くに立っていた。ほとんど真後ろと言っていい位置である。私は静寂に満たされた空間で自分の息も殺して立っていたのだ。普通なら、どんなに足音を忍ばせていたとしても人が入ってくれば気が付く。しかし今声をかけられるまで、私は足音どころか空気の揺れる気配さえも全く何も感じることができなかった。
忽然と背後に現れた存在に、私は驚きを通り越して恐怖を感じ、慌てて二、三歩後退さる。その後退る私の肩を、背後に立っていた相手はとんっと指先で軽く弾くように押した。まるで琴弦を奏でるような優美な仕草。しかしその一瞬で私はバランスを崩し近くの壁に倒れこんだ。
え……? 何が起こったの?
私は壁に寄りかかったまま、呆然と背後にいた相手を見上げる。
その隙に、声の主は大きな一歩で距離を詰めると、長い腕を伸ばして私の頤を易々と絡め取った。
「なっ、やめ……」
「ふ〜ん。あら? 貧相だけど素材は悪くなさそうね」
有無を言わぬ強い力で無理やり上向かされた私は、息苦しさに頤を掴んだ腕に手をかける。しかしその手を今度は反対の腕にひょいと掴まれて、頭上で壁に縫い止められてしまった。
「うふふ、なかなかいい目をするじゃない。彼は前髪が気に入らないって書いてたけど、私はこのダサい髪型全体が気に入らないわ。あなたこれわざとやってるのよね? じゃなきゃ年頃の女がこんな色気の欠片もないような髪型、するわけがないもの。それに何よこの中途半端な長さの髪は。信じられないわ!」
声の主は掴んだ頤を上下左右に動かして、四方八方から私の顔を眺め回す。
「あらやだ、結構綺麗なお肌をしてるのね。秘訣は何かしら? 彼ったら悔しいけどやっぱり見る目があるのよね。医者だから上辺に騙されず本質を見抜けるのかしら? うーん、貧相だけど、磨けばそれなりにはなりそうじゃない? 髪だって短いけど……あら、こうしてああすれば? やだ、私って天才よ!」
声の主は嫣然と微笑む。嫣然という言葉以外にいったいどうやってこの人を表現したら良いのか分からない。
私をいとも容易く壁に押さえつけ、覆い被さるようにして立っているのは、彫像のように整った顔立ちを、地中海のようなエメラルドの瞳と腰まで届く波打つ黄金の髪で彩った、筋骨隆々たる中マッチョの男性だ。そう中マッチョ。彼を覆うギリシャ彫刻の傑作のような肉体美は、決して細マッチョの範囲には収まりきらない。
一体何がどうなれば、奥宮にある宮内院の控の間で、恐ろしく逞しい体つきの低音の響くお姉様に、突然拘束されるような事態になりうるのか……。
しかし、多少だが分かることもあった。
一つは目の前のお姉様が口にしていた、書状や前髪、医者のキーワードから、このお姉様こそが白蓮かの書状を渡すべき正しい相手であったということだ。そのことはこの不可解な状況の中にあって私を大いに安堵させた。
そしてもう一つは、お姉様は言葉と外観のギャップこそ激しいものの、無言で立っていれば貴公子という言葉がこれほど相応しい人物は他にいない、というくらいに高貴な雰囲気を身にまとっているということである。ついでに言えば馬に跨り兵士を鼓舞する姿が恐ろしく似合いそうでもある。
衣装はかなり独特で、大分着崩したり付け足したりのアレンジが施されているが、使われている素材はどれもこれも一目で最上級品であると分かる品ばかり。
私はあらん限りの理性を振り絞って、彼、もしくは彼女に声をかけた。
「お、お姉様。貴方様は一体……」
「やだ、お姉様だなんて可愛らしいこと言ってくれるじゃない。ねえ、もう一度言ってくださる?」
「お、お姉様……」
「あーん、いいわ! いいわ!! なんて素敵な響きなのかしら。 私、貴方のこと気に入っちゃった。さっきは貧相だなんて言てごめんなさいね。私が責任を持って素晴らしい女に仕立て直してあげるから、安心して付いて来なさい」
お姉様が厚い胸板を叩く。
全く別の場面、例えば自分が敵の砦に囚われた深層の姫であるとか、雪山の狩猟小屋で狼の群に取り囲まれた遭難者であるとか、そういう状況であれば間違いなく涙を流して彼に感謝したことであろう。
しかし、ここは奥宮にある宮内院の控の間の一つで、相手は貴公子然とした恐ろしく逞しい体つきの低音の響くお姉様。いったい私は誰の何処について行かされることになるのか……不安しかない。
「念のため確認するけど、あなた銀の君の新米侍従の澪ちゃんよね? 間違いないかしら?」
「……しろがねのきみ?」
「あら、白様のことよ。医薬院長の」
私は無言でこくこくと頷く。医薬院の白と言われれば白蓮以外にはありえない。
でも銀の君って、一体……?
「私は輝晶、ここでは祭礼局の局長よ。この大忙しの時期に私自らが出向いてあげるのだから感謝してくれなければ駄目よ」
「はい……」
輝晶は逞しい腕を組んでエメラルドのような瞳を細める。私は飢えた獅子に狙われた兎のような気分になった。気付くとお姉様、もとい輝晶の背後にさらに四人の女官が控え、みな輝晶と同じ飢えた目でこちらを見つめていた。私の胸にはきっと『餌食』という二文字が刻まれた看板がかけられているに違いない。
「神事や祭礼って豪華で華々しくて楽しいけれど、ほら、甘いものばかり食べてるとしょっぱいものが食べたくなるっていうか、お肉ばかりだと時々はお魚も食べたいっていうか。いくらお祭りだって一月も同じ準備ばかりしてると飽きるのよね。たまには気分を変えたくなるじゃない?」
言いながら輝晶はぺろりと唇の端を舐める。それに同意するように後ろに控えた四人の宮女がうんうんと頷いた。
「みんな娯楽を求めてるのよ。だからあなた、狼の群れに迷い込んだ兎ちゃんなのよ? 分かるかしら、うふふ」
次の瞬間、輝晶は何の前触れも予備動作もなく私を肩に担ぎ上げた。
「き、輝晶様! な、何を!?」
私は身を捩り膝裏に回された腕から抜け出ようと踠く。しかし輝晶の鋼のような腕は当然だがびくともしない。彼は私を担いただままくるりと向きを変えると、そのまま至極優雅な足取りで入口を出ていく。背後に静々とした四人の女官を従えたまま、廊下を私が入って来た時とは逆の方向、つまり宮内院の奥へ向とかって歩き出した。
「き、輝晶様、お願いです! 下ろしてくださいませ!」
「もー、何寝ぼけたこと言っているのよ。一日しかないのよ? たった一日よ? それで貴方を銀の君に相応しい女にするのだから急がなきゃ間に合わないじゃない。安心なさい、私がたーっぷりと、入念に、心を込めて、借りを返してあ・げ・る・か・ら」
私の頭を様々な意味の冷や汗が流れる。私は渾身の力を込めて輝晶の腕から逃れ出ようと踠いたが、軽々と私を肩に担いだ輝晶は歩調を緩める気配もない。
「貴女たち、今日は一日無礼講よ。銀の君がお金に糸目はつけないのですって! さあ、この子を好きなように弄んで楽しみましょう」
おお! と後に続く女官達から勝鬨のような声が上がった。輝晶の肩に担がれた私はただ呆然と勇ましい宮女達を見るしかない。
「予算とか規則とかそういうのは一切なし。あー、燃えるわ。使ってみたかったあれやこれやを、たーっぷり使って、じっくり楽しみましょうね」
不安で一杯の目で見下ろすと、輝晶のウインクが返ってきた。
祭礼局で輝晶と女官たちの餌食となった澪の運命やいかに。
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