お仕事は証明から
この三日の出来事を海に話はじめた澪。
その突拍子もない話を聞いて海は……。
海は何も言わず、 最後まで私の話を聞いてくれた。
私はできる限りありのまま、分かりやすく伝えようと言葉を尽くしたが、ちゃんと伝わったかどうかは分からない。そもそもちゃんと伝わったところで、信じてもらえるかどうか分からないような話である。
「──作り話、にしては突拍子がないな」
海は難しい顔で顎に指を絡ませ宙を睨んでいる。
「はい……。自分で話していても信憑性がありませんから」
私は力のない笑顔を作る。
「しかし、もしもその話が本当だとすれば、君は丸三日も白蓮殿の秘書官の代役を勤めたということになる」
「うーん、もしあの仕事を秘書と呼ぶならば……ええ、そうなりますね」
海はじっと私を見つめると席を立った。
「すぐに戻る」
戻って来た海が手にしていたのは、筆記具一式が収められた硯箱と紙の束。
「朝議の議事を控えていたという君の話が本当ならば、今ここでやって見せてくれ」
海様は私の前に硯箱と紙を置くと、卓の向かい側の席に腰を下ろす。背を伸ばし腕を組んで座る姿からは、先ほどとは打って変わって厳しい気配が漂っている。まるで警備兵に誰何される時のような雰囲気だと、私は密かに肩を落とした。
そりゃぁ、こんな話、誰も信じないよね。
ましてや下女の言うことなど、それでなくても信用なんてない。
「議事の控えですか? でも、何を書けば……」
「俺が今から話すことを会議だと思って書き留めればいい」
「……分かりました。やってみます」
海様が見つめる中、私は墨を磨ると筆を手にとった。
それから半時ほど。
「もうよい」
海は片手を上げて私の筆を止めると、腕を組んだまま椅子の背に寄りかかった。私が書き散らかした紙面を見つめる視線は最初よりもさらに厳しい。
海に言われるがまま、彼が話す内容を書留め、要約し、さらには幾つか計算までした上に、最後は問答のような答案を書くことになった。それほどおかしなことはしていないつもりだが、果たして海が求める答えを示せたのかどうか自信はない。
「澪、君は一体何者だ?」
しばしの沈黙の後、海が唐突に問う。
「え……?」
紙面から顔を上げると、正面からまっすぐに見つめる海と目が合った。眼光、といった方が相応しい嘘や誤魔化しなど一切許さない鋭く強い眼差し。
これまでの三十五年、平和ボケとも言われる国で生きてきて、こんな眼差しを浴びたことなんてあるわけがない。私は金縛りに遭ったように息がつまって動けなくなってしまった。握りしめた両手の平は冷や汗で凍えている。爪が食い込んで血が出ないのは、ひとえに白蓮様によるお手入れの賜物である。
「このような教養、どこで身につけた?」
「きょ、教養ですか?」
私は目を瞬く。
教養なんて大層なもの、持っていたか私?
「これは文官の手際だ。それも相当年季の入った」
「文官の……手際?」
そうか!私の中で何かが閃く。
この世界の文官て前の世界のサラリーマンに近い仕事なんだ!文官=サラリーマン、うんうん納得。文官の手際をサラリーマンの手際と脳内変換すれば、おっしゃる通り、勤続十三年の年季が入っているもんね。
「先ほどの話、白蓮殿の勘違いかはさて置いて……、君にこのような能力があれば、三日も白蓮殿の秘書官の代役を務めていたと言う話は信じられる。しかし──」
海は目を逸らさない。
「君があのような森の奥で行き倒れていた事情を、改めて聞かねばならないようだ」
「事情……」
「澪。このような教養、市井に暮らす平民にはとても身につけられるものではない。もし君が平民と言い張るのならば、何処かで特別な訓練を受けた間諜か、もしくは──」
「お、お待ちください! 私は決して間諜などては!!」
驚いて腰を上げた私はぶるぶるとありったけの力で首を振って海の懸念を否定する。「本当なんです! 信じてもらえないかもしれないけど……でも私は本当に只の……ただの……」
私の声はだんだん小さくなって、最後はほとんど消えてしまった。そのままよろよろと長椅子に腰を下ろす。
だから、どう説明したらいいか悩んでいたのだ。
私は心中で一人頭を抱えた。
だって、どう説明したって今の私の存在は怪しいから。
下女が秘書官に成りすまして医薬院の奥深くに入り込んでいたのだ。そもそも相手が海でなければ、とっくに縛り上げられて拷問されていてもおかしくない。
白蓮様に求められるまま、調子に乗って色々やらかしてしまったけれど、識字率の低いこの世界では、下女が自分の名前を読み書きできることも珍しいという事実を、もっとシビアに考えるべきだったのだ。議事録が書けて、書類整理ができる下女などあり得ないのだから。調子に乗って、久々の仕事に舞い上がって、身代わりに働くなどすべきではなかったのだ。
私が俯いたままゆるゆると首を振っていると、ふっ、と海が小さく息を吐いて目を閉じた。再び目を開けた時、そこにはいつも様子を見にきてくれる時と同じ、春の海のように凪いだ青い瞳があった。
「慌てるな。俺も君が本当に間諜だと思っている訳ではない。その筋の者が見れば、君がそのような訓練を受けた者でないことは一目で分かる。さっきの沈も何も言わなかっただろう? それに──」
海はわずかに唇の端を緩めた。
「それに、もし本当に君が間諜で王城への潜入を企んでいたのなら、あのような滅多に人の通らぬ森の奥などで倒れているはずがない。冬の最中だぞ? 発見があと一刻でも遅かったら君は凍死していただろう」
「あの……」
「俺があの日、あの場所を通りかかったのは本当に偶然のことだ。あのような道もない森の奥など、普通なら一月待っても人は来ない。もし倒れている者がいるとしいたら余程間抜けな間諜か、それともそのような森の奥にまで行かねばならぬほど、必死に逃げてきた事情のある者か……」
海が向かいの席から手を伸ばし、握り締めた私の手を大きな両手で包み込んだ。包み込まれてはじてめ、私は握り締めた自分の手が微かに震えていることに気づく。
「海様……その、私は……」
「澪、返事はいい。だが、先ほども言ったように、君のような教養を平民が身につけることは難しい。逆に言えば、その教養を見れば本来の君がどのような姿だったかは自ずと知れる」
私は異世界からやってきた人間なんです。という言葉が喉元まで出かかって、私はぐっと奥歯を噛みしめた。
「はじめて会った時、君は異国の衣装を着ていたな? その黒髪と黒い瞳、象牙色の肌は東方の出身であろう? そのような教養、よほどの大店か高貴な血筋の者でなければ身につけられぬはずた。だが君の年齢が解せぬ。どうしたらその若さで、あのような年季の入った文官の真似事ができるのか……」
私は項垂れて首を振った。
なんと言ったらいいか分からない。
海の勘違いを正すことも、そのまま勘違いにのって嘘をつくことも、どちらも正しいことだと思えない。
私が言えるのは、ただ──。
「仕事を……していたんです。長い間。海様が教養と呼ぶものは、多分その仕事の中で自然と身についたものです」
私は海の勘違いを正すことも嘘をつくこともできず、しかし全てを明らかにすることもできず、卑怯だと思いながらも海が誤解することを願って、少しだけ本当のことを話す。
「そうか、家業を手伝っていたか。東方ならば家は先の戦に巻き込まれたのだろう、一人逃げ延びてきたのか……」
「海様、ごめんなさい……。私、私本当は……」
俯いた私の頭を、海の大きな手が再びわしゃわしゃと掻き混ぜる。大きくて、暖かくて、力強い手が。いつもと変わらない海の手が。
「何も言わなくていい」
「ごめんなさい、海様……」
海は命の恩人だ。
にも関わらず嘘をつく自分に腹が立つ。
しかし、本当のことを伝えることもできない。
その葛藤は涙になって、ぽたり、と添えられた海の手の甲に落ちた。
「俺が引き取るか口添えできればよかったが……今の任に着く間は家族も含めて親しい者をつくれぬ掟がある。しかし、三日間もあの白蓮殿の元で勤められたというのならば、あるいは……」
海は顎に指を絡ませて考え込む。
遠くで四の鐘が響く。そろそろ昼時だ。
海をこれ以上、引き止めるのは申し訳ない。
しかし海に話を聞いてもらえたことで、気持ちは大分整理できた。この世界で生きるしかないのならば、生き残るためにやれるだけのことはやってみるしかない。
腹を決めて下女頭の早の元に申し出るのだ。
「海様、私はもう……」
「澪、待ちなさい。沈には言付けて行くから、俺が戻るまでこの部屋にいろ。夕刻までには戻るから」
「海様?」
海はそう言い残すと、西門の商談室に私を残し足早に部屋を出て言った。
果たして海は本当に戻ってくるのでしょうか?
次話をお楽しみに!
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