お仕事はうたた寝から
勘違いからはじまった慌ただしい一日が過ぎ、夕日を見ながら物思いに沈んでいたところ、白蓮様に頭ぽんぽんされた澪。執務室に残り、外出する白蓮様に頼まれた仕事をするも、途中で眠くなってしまい……。
私は少々、先ほどの感傷を引きずったまま、白蓮様の後に続いて執務室に戻る。
薄暗くなった部屋に明かりを灯して歩きながら、この後の仕事について指示を受ける。
「午後の診察内容の清書と、薬種局での打合わせ事項の整理を頼む。薬種局での打合わせ資料は次回の外商院や財歳院との打合せでも使用するだろう。なのでそのつもりで作成するように。私はこれから奥宮の宴席に顔を出す。帰りは遅くなるだろうから、先に休んでいなさい」
白蓮様は一息に言い切ると、大きなため息をついた。
面倒な、と独りごち着替えのため自室に消えていく。
しばらくして迎えに来た療養局の局長と連れ立って、足早に奥宮へと向かって行った。
先に休むかぁ。
白蓮様の後ろ姿を見送った私は、ため息をつきながら私室につながる扉を見る。
今日一日勘違いされていたけれど、私は下女だ。
さすがに仕事が終わったら本来の自室に戻らなくてはならない。
ようやく元の仕事に戻れるのだから安堵していいはずなのだが、今感じているのは一抹の寂しさ。
サラリーマン時代を彷彿とさせる今日一日の慌しさに、なぜか胸が痛い。
肉体労働も嫌いじゃない。しかし使うのが体だけだと、やっぱり色々考えてしまって辛い時もある。
何よりこの世界で生きていくのなら、身寄りのない私には歳をとっても続けられる仕事が必要だ。
せっかく読み書き計算ができるのだし、もっと自分の能力を活かせる仕事を探した方が良いと、今日一日の仕事を通じて痛感した。
やっぱり、下女のままでは駄目ね。
思い切って、もっと私に合う自立できる仕事を探さなくちゃ!
私は胸の前で小さなガッツポーズを作り気合を入れ直す。
しかし誤解の上で無理やりれ回されたとは言え、結果的には今日丸一日、下女の仕事を無断欠勤してしまった。
白蓮様にお願いはしてみるつもりだが、口添えしてもらえるかは分からない。
まあ、これは気合を入れずとも、明日から必死に次の仕事を探すことにるかもね……。
私は改めて姿勢を正して椅子に座りなおすと、山積みの書類に向き直った。
だとしたら、これがこの王城での最後の仕事になるかもしれない。最後の仕事はきっちりと終わらせていきたい。
私は今日一日取り続けたメモを取り出すと、袖をまくって仕事に取り掛かった。
それから二刻後。仕事に邁進していた私はついに限界を迎え、机の上に倒れ込んだ。
ぐううぅぅおおぉぉぉ、と部屋に響く轟音。
「お、おなか……お腹、す、空いた……」
よく考えたら今日一日、ほとんど何も食べていない。
私はもう何杯目か分からない白湯を飲んで空腹を誤魔化しつつ、応接用の卓上を見回す。
白蓮様に頼まれた残りの仕事はほぼ片付いた。後はもう一度、誤字脱字などを確認してから執務机の上に提出するだけだ。
「ふう。とっとと寝て、空腹は忘れるぞ!」
密かな達成感を抱きつつ、組んだ両手を頭上に伸ばして大きな伸びをする。
伸びをしながら、何とは無しに執務室を見回すと、部屋の端々に積み上げられた資料の山が目に入った。
朝よりは多少マシになっているとはいえ、ギリギリ来訪者が通って座るスペースが残された、お世辞にも片付いているとも綺麗ともいえない雑然とした室内を……。
私は両手をゆっくりと戻りながらため息をついた。遠くで九の刻を告げる鐘が響く。
再び地に響く腹の虫。長時間労働で体はクタクタだ。
しかし、私はしばしの瞑目の後、刮目して立ち上がる。
駄目だ、この部屋、片付けが中途半端すぎる!
このままじゃ気になって眠れないよ!!
ああ、自分のバカバカバカと自分で自分を罵倒しつつ、頼まれていた仕事を手早くまとめると、私はふらふらと書類の山に向かって歩き出した。
あと一刻、いや、あと半刻もあればかなりマシになるはず。
私はあと少しだけ、もう少しだけだから、これが最後の仕事だからと自分に言い聞かせて執務室の片付けに着手する。
どうせ、ここまで乗った船だ。あと一刻くらいどうってことない。
さあ、片付けに集中して空腹は忘れるのよ!
「──い、──お」
ううん、誰よ……私の安眠を妨げるのは。
せっかく、いい夢見てたところなのに。
もう少しで、土木院の美味しいお昼ご飯が食べられるところなの……。
あと少し寝か……せて……。
「──い、おい澪、起きなさい。床で寝るな」
「──ぅう……ふにゃ……」
気がつくと、頭上から玲瓏と響く玉の声が降り注ぐ。
ああ……、この高くも低くもなくて、耳に心地よい声……。
白蓮様、もう奥宮の酒宴から戻ってきたのね。
私は起き上がろうとするが、体に力が入らない。
「はぁ、ひゃくへん……さま……」
気力を絞り、ようやっと出たのは間の抜けた声が出。
早朝から白蓮様に振り回されて疲れ切った体は、一度手に入れた睡眠を手放そうとしない。
体が泥のように重く、瞼もくっついて離れない。
瞼が開かないから、白蓮様がどこにいるかも分からない。
「おか……、おかえり、なしゃ……」
仕方なく、行き倒れたような体勢のままむにゃむにゃと声を絞り出す。
「澪、床で寝るのはやめなさい。奥に部屋があるだろう」
ああ私、いつの間にか眠ってたのね。
床かぁ、確かに背中が痛いような……。
でも、もう無理だ。体が全く言うことを聞かない。
私は諦めて体の力を抜いた。もうこのまま寝よう。
季節柄十分に暖かいし、なんならこの敷物、下女寮の寝台の布団よりもずっといい手触りだし。
私このまま寝て全然問題ありませんから。
おやすみなさいませ、白蓮様……。
行き倒れたような私の側に立ち、しばらく様子を伺っていた白蓮様は、私が再び寝息をたてはじめると大きな溜息をついた。
溜息と一緒に、吐息に温められた酒精の香りがふわりと漂う。
ふわふわと波間を漂うような夢心地の中、ぐいと腕が回されて体が宙に浮く。
そのままゆらゆらと、どこかに運ばれていくようだ。
ああぁ、私、いよいよ白蓮様に愛想を尽かされたのね。
それとも、ようやく自分の勘違いに気づいたのかな?
まあそんなこと、どっちでもいいか。どちらにせよ放り出されるんだから。
私は夢の中で早々に観念した。
それでも暖かい腕に抱きかかえられるというのは、はたまらなく眠気を誘う。ゆらゆら揺らされたりしたら尚更だ。
私は完全に諦めて脱力し、白蓮様の胸に体を預ける。
抵抗したところどうしようもない。
ああ、白蓮様って意外と体を鍛えているのね。なんだかとってもいい香りがする、うふふ、これはお酒結構飲んでるわよね。などと、どうでもいいことを考える。
「まったく」と白蓮様のお小言。
ごめんなさい、白蓮様。
執務室の床で寝るなんて、とんでもない無礼だって私もわかってはいるんだけど……、もう体が言うことを聞かないのよ……。
「最初に見つけたのが私だからよかったものの、君には危機感というものが無いのか」
──ってあれ、そう言う方向の、お説教……?
「仕事ぶりは悪くないが、生活面では色々と指導が必要なようだな」
ってこれ、ちょっと分かりづらいけど、もしかして褒められている……?
そうこうしているうちに、がたり、ばたん、と二度扉の開く音がして、私はごろりと何処かに転がされた。
覚悟して目を瞑るが、頬にあたったのは予想外に柔らかい感触。
ああ、なんていい肌触り。
私はそのまま頬ずりする。
ふんわり滑らかで、乾いていて、暖かい。
おまけにいい匂いまでする。
あれ、これってもしかして寝台……?
さらに、ふわりと暖かな感触が覆いかぶさる。
これ、掛け布団……よね……?
ああ、だめだ……。掛け布団なんて反則よ。
そんなことされたら、もう意識が……、眠くて、た、まら……ない……。
「明日も二の刻半から会議だ」
「……は、ひ」
それだけ言い置くと、白蓮様は出口に向かってさっと身を翻す。
ま、まって、ちゃんと伝えなきゃ。
私は必死の思いで白蓮様の片袖を捕まえる。
袖を引っ張られて、仕方なく立ち止まる白蓮様。
「ひゃ……くれんしゃま……」
「なんだ?」
「おや……おやすみなしゃぃ……ませ……」
しばしの無言の後の白蓮様の呟き。
「……おやすみ」
ばたり、かたん、と扉の閉まる音。
ああ、私こんなに柔らかなベッドで眠ったの、本当に久しぶりだなぁ。
私は枕に頬ずりする。
幸せだ、毎日ここで眠れたらどんなに素敵だろう。
そうして、半分以上夢の中で今日一日のことを思う。
もしも、明日もまた白蓮様の元で働けたら、なんて楽しい一日だろう。
おやすみなさい、白蓮様──。
柔らかな布団に包まれた私の意識は、すぐに遥か彼方に遠くなった。
恐ろしいとの噂はどこへやら、意外と甲斐甲斐しい白蓮様。
実力主義・実用性重視なので、仕事のできる部下は大切にしてくれます。
さて、勘違いされたまま執務室で眠ってしまった澪。
明日は一体どうなるのでしょうか?次話をお楽しみに!
・・・・・・
ブックマーク、評価等ありがとうございます!更新の励みとなっております。
面白いお話をお届けできるように頑張って参ります。
どうぞよろしくお願いいたします。




